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スピリチュアルのケアマインドを育てる

死を間近に控えた患者に対するスピリチュアルケアへの関心が増しつつあります。アメリカや日本で長年チャプレンとして活動を続け、スピリチュアルケアではパイオニア的存在の窪寺俊之さんに、スピリチュアルケアの意義、またコメディカルにとってスピリチュアルケアとは何かについて語っていただいた。

窪寺俊之(くぼでら・としゆき)
1939 年生まれ。東京都立大学(現首都大学東京)大学院で臨床心理学を学ぶ。米国のエモリー大学でキリスト教神学、コロンビア神学校大学院で牧会カウンセリングを修めた。ヴァージニア州リッチモンド記念病院でチャプレン、大阪市の淀川キリスト教病院チャプレンなどを経て、現在、聖学院大学大学院教授。主な著書に『スピリチュアルケア入門』『スピリチュアルケア学序説』(いずれも三輪書店)など。

チャプレンとして

後藤
近年、スピリチュアルケアについての関心が日本の医療現場でも高くなっております。今日は、スピリチュアルケアの問題について専門に取り組んでおられる窪寺先生にお話を伺いたいと思います。最初に、どういういきさつでスピリチュアルケアをご専門になさるようになったのでしょうか。
窪寺
私が大学院で臨床心理学を学んでいました頃、なぜ人間に不条理な苦悩があるのか、なぜ障害を持って人が生まれてくるのか、生きるとは何かについて考えていました。その頃墨田区の児童相談所でカウンセリングをしていまして、てんかんの子を持つお母さんが「私はなぜこういう子を持たなければならないのか、この子のために普通の生活ができない」といわれました。これが私の心の中にずっと引っかかっていました。なぜある人は特別悪いことをしたというのでないのに苦しみを背負わなければならないのか。私にとって大きなテーマでした。カウンセリングというのは、ある状況に適応することには道を開くのですが、「何故」という疑問を解決できないわけです。こういう問題は宗教でなければと、アメリカのジョージア州アトランタ市のエモリー大学の神学部に留学しました。そこで多様な人種の人たちの苦悩や悲しみや、社会の矛盾を見ました。また病気で苦しんでいる多くの人たちにも出会いました。その経験の中で将来は病む人へのケアをしたいと考え始めました。神学部を終えて、1970年代の初めですか、チャプレンという病院付牧師の養成トレーニングを受けまして、病院で患者さんのケアをする道に携わるようになりました。
後藤
その後日本に帰国されて活動を始められた。
窪寺
北九州の短大で10年ほど牧師と短大の教師をした後です。やはりケアの現場に戻りたいという思いが募りまして、大阪の淀川キリスト教病院にチャプレンとして勤めるようになりました。その頃から患者さんの魂の問題というのでしょうか、とくに死を間近にした人ですが、「なぜ自分はこんなに苦しまなくてはならないのか」「何のために生きてきたのか、生きているのか分からない」といった心の奥底からくる魂の苦しみをどのようにケアできるのか、私の大きなテーマになりました。信仰心のある人もない人もいろいろの方がいましたが、魂の痛みを抱えている点では同じでした。そこでこの日本でスピリチュアルケアをどう実践していけばいいのか、という問題に関わるようになったわけです。
後藤
その魂のケア、つまりスピリチュアルペインやスピリチュアルケアは、このごろようやく一般的になり始めた言葉です。スピリチュアルケアというと窪寺さんもおっしゃられた、とくに終末期の患者さんのケアというイメージがありますが、スピリチュアルケアの概念はもっと広いように思いますが。
窪寺
そのとおりです。

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3つの共通点

後藤
スピリチュアルケアをどういう範疇でお考えになっておられるのでしょうか。
窪寺
たとえば福祉、教育、医療の現場、それぞれの領域には、現場のフィールドに合ったスピリチュアルケア・モデルがあります。教育では「いのち」の教育という形で現れますし、福祉では「生活の質」という問題が出てきます。医療では「死後の命や罪悪感」の問題が具体的に出てくるわけですが、ただそこには、共通するものがある。私は三つあると思っています。
ひとつは「超越性」というタテの関係性です。タテの関係というと身分や職業の縦の関係と誤解されると困るのですが、そうではなくて超越性、自分を超えたものの存在、つまり時代とか場所をも超えた、ある高みを示す普遍的な存在と自分との関係です。宗教であれば、神仏、神のようなもの。音楽であれば芸術性の高い崇高な音楽、そういうものとの関係。そうした関係性がスピリチュアルケアの重要なキーワードになっています。
二番目は、「癒し」ということですが、これはタテの関係が切れてしまって、本来人間に普遍的に与えられているスピリチュアリティが忘れられている場合に、その潜在的なものが回復していく、あるいはそれに気づいていく、そのプロセスが癒しだと思うのです。カウンセリングの場でいえば患者さんが本当の自分に気づくこと。教育の場でいえば子供たちが自分の中の「いのちの意味」に気づいていくこと。私は、現代人は自分の生を支える超越的なもの、神秘的なもの、言い換えればスピリチュアルなものを失っていると思っています。だから子供も大人も自分を見失ってしまっている。人と比べる相対性の中でしか自分を見出せないでいると考えています。
後藤
いまおっしゃった相対性というのは競争社会のようなものですね。他人との比較で人間を見る視点。
窪寺
そう、まさに競争社会、点数でできている社会です。それは本当の意味で人間を生かすことはないわけですね。タテの関係というのは、例えば「君の成績が悪くてもいいんだよ」「君にもほかに与えられたいいものがあるんだよ」という、自分を超えたところからの声を聞かせてもらえる、そうして本当の自分を発見していくわけです。いまの教育に欠けているそういう視点を取り戻させる、それが癒しだと思うのです。
後藤
私は学生によく言うのですが、この学園が目指しているものは君たちに安心できる場所を提供すること、だと。なぜなら君たちが資格をとって患者さんに接するときに安心してもらえる場を作ることが大事で、そのためにはまず学園が安心できる場でないとそういう医療者は育たないんだ、と。
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自分らしく生きる
後藤
先ほど言われた超越したものですが、神や崇高なる音楽、いろんな表現が可能でしょうけど、例えば私たちの身近で言えば先祖とか大自然といったことも含まれるのでしょうね。
窪寺
音楽、芸術もそうですし、後藤さんの言われた祖先を敬うとか、自分は祖先に見守られているといった意識。おばあちゃんが向こうから見ていてくれるという感覚ですね。
後藤
最近は失われてきている感覚ですね。
窪寺
つまり、さっきご指摘のあった安心できる場を精神的に持つということです。
後藤
福祉の場、医療の場、また教育の場、いろんな場があってそれらの場でのスピリチュアルケアに共通しているのはまず超越的なものとのタテの関係、それと本当の自分を取り戻すという癒しですね。もうひとつは何でしょうか。
窪寺
三番目は、「自分らしさ、人間らしさの実現」ということです。それには、後藤さんも指摘されたその人らしく生きる、安心できる場を持つということが重要なんです。患者さんが看護師さんや医療者と接して「あっ、ホッとします」とか「ここにいると安心してあなたにお任せできます」とか。人間というのは、自分の内側の力を出す場、自分にある癒しの力が活性化すること、これが人間らしさの実現につながる。私たちがいま活動しているパスク(PASCH、臨床スピリチュアルケア協会)という会に、ボランティアで指圧をなさっているご婦人がいます。患者さんたちは本当に彼女に身を任せながら一緒にいると安心しきっている、癒されていますね。そういうところから患者さんは自分らしさを取り戻していく。
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日本のスピリチュアリティ
後藤
日本スピリチュアルケア学会が二年ほど前に設立されましたね。
窪寺
二〇〇七年に立ち上がりました。
後藤
その学会の趣旨とか構成、活動などを教えていただけますか。
窪寺
以前からスピリチュアルケアについての研究会はいくつか分かれてあったのですが、それをひとつの学会として、情報交換ができ、臨床経験や研究の成果を共有できて、学問として研究が進められるような場ができないかと考えてきました。その中には医療者、仏教徒、キリスト教徒、いろんな立場の方がいますが、聖路加国際病院の日野原重明先生に理事長を引き受けていただき、立ち上げることができました。昨年の学術大会などは、多くの先生によるいろんな立場からの発表、討論ができて、スピリチュアルケアの将来にとって希望が持てる、とても密度の濃い大会でしたね。私の関わっているパスクでは、そうした活動に加えて、スピリチュアルケアに従事する人を養成するためのプログラムを行っています。この他にも日本スピリチュアルケアワーカー協会などでもプログラムを持っています。将来は養成プログラムがいくつも出来て、スピリチュアルケアワーカーとして学会認定の資格を持つ人が出てくることが期待できます。
後藤
欧米ではキリスト教などの宗教的信仰がありますから超越性といったことは比較的すんなり生活の中に入り込んでいますね。その点、日本人はわりに宗教的なバックボーンが生活の中で薄い。自然とか先祖とのつながり、八百万の神ではありませんが、自分の存在を超えたものには感じやすい民族だったのに、最近ではそれも薄くなっています。スピリチュアルケアとの関係ではこの点どうお感じになっていますか。
窪寺
日本人の宗教観は、自然との結びつきが強いと思うんです。農耕民族でしたし、わりに自然が生活の中に入っている。それと祖先崇拝、和を尊ぶ風土。そういう自然、歴史、文化ですね。私は日本人のスピリチュアリティはそれらが重なっているんじゃないか。そのことをもう少し言語化し研究していくことが必要だと考えています。
後藤
そうですね。日本ではとかくスピリチュアルという言葉から宗教色の強いイメージを感じて、ともすると医療関係者は、ちょっとしり込みして、「それは宗教の専門の方にお任せします」といった対応に陥りがちな傾向があります。でもスピリチュアルケアについての専門家の養成とか、コメディカルもそのマインドを勉強する、そういう仕組みづくりにこれから取り組んでいかないといけませんね。
窪寺
おっしゃる通りです。とくに終末期医療の現場でケアできるスペシャリストの養成がひとつ。それと、コメディカルとか少し広い裾野の人たちにスピリチュアルケアのマインドを持っていただいて、必要なときには専門職の人にゆだねることができる、そういう教育システムづくり、ネットワークづくりが必要かと思います。実際いま、スピリチュアルケアに関心を持っておられる人が宗教家はもちろんですが、看護師、また福祉の方の中にも増えてきています。
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マインドを持つとは?
後藤
話を少し戻しますが、コメディカルがスピリチュアルケアのマインドを持ってそこに専門の人が関わるようなチームワークがうまく整えばよいのですが、これまで言われてきたカウンセリングマインドだけでは医療の現場が追いつかなくなっているということでしょうね。
窪寺
その通りです。
後藤
神谷美恵子さんという精神科医がおられて、瀬戸内の長島でハンセン病の人たちに向き合っておられたとき、「この島は私がただの精神科医であることを許さなかった」という趣旨のことを書いておられる。これは最近の医療者もよく口にするのですが、「患者と全人的に関わらなきゃいけない」という意味だと思います。
私は思うのですが、先ほど窪寺さんが言われた自分らしくということば。医療者がスピリチュアルケアマインドを持つということは、医療者自身が人との関わりの中で自分らしく生きていくためにもそのマインドが必要だと。患者さんのためにケアしてあげるとか、理解してあげるとかではなくて、スピリチュアルケアのマインドを持つということが自分のためであるということですね。私は、医療者は感性が豊かじゃないといけないとよく学生や教員にも言うのですが、それは、神谷さんが例えば島の療養所で知恵遅れの子で結核を患ったハンセン病の子供が病院ですれ違ったとき元気な声であいさつして笑顔を返してくれる、そのことで自分はずいぶん勇気づけられたとおっしゃっていますが、そういうときに喜びとか生きる力を感じることです。
窪寺
スピリチュアルケアを必要とするのは、患者さんは無論ですが、そのご家族、それに医療チームのスタッフもそうですね。スピリチュアルペインを抱えた患者さんと接するときに、自分のスピリチュアリティが生き生きとしていることがとても大事なことです。その場合に自分のスピリチュアリティをケアしてもらうことも必要なのです。自分もケアされて生き生きと患者さんと接してケアができる、そんな関係だと思います。
後藤
スピリチュアルケアの専門家を育てていくのとは別に、底辺を広げていくという意味でのコメディカルや医療関係者、福祉に従事している人たちが、スピリチュアルケアマインドを持つために最初の取っ掛かりというか、勉強していくプログラム、仕組みなど、日本スピリチュアルケア学会では具体的に活動しているんでしょうか。
窪寺
いいえ、それはまだです。コメディカルがスピリチュアルケアマインドを持つためには、心理学や哲学、あるいは宗教学を学ぶ必要があるでしょう。そうした机の上での学習は必要だとしても、それだけでは多分養成できない。やはり現場の経験が何よりも必要だと思います。
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患者の物語を聴く
後藤
私どもの専門学校を見ますと、高校の新卒者の割合が10~16%くらいで、大学を出た人、ほかの仕事をしていたという社会人がわりと多く、逆にこの学生たちのほうが社会経験を持っていますから、スピリチュアルケアのマインドを早く理解できる素地があるのではないかと思います。窪寺さんのお書きになった『スピリチュアルケア学序説』ですが、医療者がスピリチュアルケアを理解する上でとても分りやすい。例えばスピリチュアルペインのケアの具体例として「傾聴、共感、受容」さらに「ナラティブ・ベースド・メディスン」など、段階を追って述べておられる。コメディカルの授業でもすぐ使えるようなものですね。
窪寺
スピリチュアリティはすべての人が生得的に持っていますが、私の考えでは覚醒するものだと思います。つまり、それぞれの人が内在的には持っているわけで、スピリチュアルケアというのはその人のスピリチュアリティに気づかせる、その人らしく生きられるために医師も看護師も教育者もみんなが協力してその人のスピリチュアリティを大切にした生き方ができるようにケアすることですね。ですから、それができる人を育てる教育プログラムが必要です。特に、患者さんの話を聴くことのできる人です。先ほどナラティブという言葉を言われましたが、何度も足を運んでその人が持っているナラティブ、物語を聞かせてもらう。そして「○○さん、苦労なさって来られましたね。でも一生懸命努力されて生きて来られて私はお話を聞かせてもらって励まされました。ありがとう」と、お礼を言うんです。その人の言葉の深みを聴いて患者さんと一緒になって物語を引き出します。これがケアにとって大切です。そこから患者さん自身も今の自分を受け入れてもっと広い視点で「自分の人生は何だったのか」とか、自分らしく生きるきっかけになります。危機状況の中で生きる意味を超越的なものの存在との関係で見つけようとする、つまり命の本質について考えるようになります。
後藤
やはり現場で学ぶことがなにより必要ですね。ほかに心に残る患者さんのケースなどございますか。
窪寺
ご自分の殻の中でしか生きようとしない方がいました。まさに孤独ですね。大きな企業のエリートだった人で、40歳代で終末期のがんが見つかった。最期まで自分は「生きたい、生きたい」と言っておられました。私も何度も足を運んで、もう少し広い世界の中で自分の人生を見つけられるようにとお話を聴きケアしました。が、その方は自分が生きるということはただ存在して生きるだけでは「生きる」ことにはならない、自分の生は「活きる」ことであると。つまり企業エリートの人がそこから離れては自分の存在価値が見出せないというか、そこに自分の世界を縮めてしまって自滅していくようでしたね。頑としてご自分の殻の中でしか生きようとしなかった。
「いのち」の輝きと「死」のかたち
後藤
先ほど「命の本質」と言われましたが、命のケアというと少し分りやすい気がしますね。
窪寺
それも、ひらがなで「いのち」と書いたほうが分りやすい。「生命」とか「命」というと少し生理学的な意味が強い。
後藤
うちの学園にも「いのちの輝きをささえていたい」という高い志を持ち続けようという言葉があるんですよ。
窪寺
スピリチュアルケアも、いのちが輝くようなケアと考えてもいいんです。
後藤
でも、そのスピリチュアルケアを具体的に進めるという面では、制度がまだまだ追いついていない、と。
窪寺
ええ。ただしスピリチュアルケアを具体的に進める方法はあると思います。まず、宗教立の病院だったら、それが使命ですからできますね。二番目は、制度としてそれがきちんとしていることですね。例えば健康保険の点数制になればとか、もっと具体的に進展します。もうひとつは、第三者評価機関です。スピリチュアルケアのためのチャプレンがいる病院はいいのだと、評価する。
後藤
病院を格付けするわけですね。
窪寺
その通りです。アメリカではそういう制度になっていて、どこの病院でもチャプレンを置いています。でないと、クレジット・レーティング(CreditRating)がもらえないわけです。チャプレンが必要なんだ、という医療文化の問題でもあります。
後藤
日本でチャプレンという仕事についておられるのは何人ぐらいですか。
窪寺
正確にはわかりませんが、多分二〇から三〇人ぐらいじゃないでしょうか。アメリカで勉強されてきた方が多いように思います。
後藤
かつて死の教育というか、上智大学のデーケンさんの『死の準備教育』という本がありました。1980年代でしたか。死を意識することでちゃんとした生き方ができるようになるというもので、意外と若い人たちがこれを受け入れたというので私はびっくりしたことがあります。最近では、今年の映画の『おくりびと』がアカデミー賞を受賞しました。死というものを意識する若い人も増えているようですね。
窪寺
高野山大学の学長さんが新聞で、いい映画だけれど、映画では宗教を通り越して死の儀式がなされていて残念だ、と語っておられました。仏教に危機感を持っておられました。現代人には宗教を飛び越して病院から葬儀屋へ、それで終わりという形で死が受け入れられているんですね。
後藤
死というものが病院に囲い込まれてしまっていましたからね。
窪寺
最近では逆に、高齢者は病院とかホスピスではなく老人施設や家で死を迎えることが多くなってきて死の形が変わりつつありますね。この人たちの最期をどうやって見送るのか、スピリチュアルペインを誰がどうケアしていくのか、最善のケアが求められていると思います。
後藤
確かに最近の仕組みとして、病人が病院などから、家に帰されてしまうケースが増えてきました。こういう時代ですから、患者さんと最後まで寄り添うことの多いコメディカルの人たちに、スピリチュアルケアのマインドを身につけてもらうことがますます大切になっていますね。後藤学園では、準備している大学やいまの専門学校の両方で、鍼灸師を含めたコメディカルを養成する中でスピリチュアルケアのマインドをひとつの柱に勉強させてもらおうと考えているのですが、どういうプログラムで養成するのか、それが私たちのいま重要なテーマです。学会に道筋を付けていただければ、と思います。
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