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中医学とメンタルケア/中医診療日誌-28

在宅医療と伝統医学 第6回 がんの統合的アプローチ

後藤学園付属入新井クリニックで漢方外来を担当している北田志郎先生は、千葉県松戸市のあおぞら診療所で、東洋医学をも取り入れながら在宅医療に取り組んで来ました。今回は若くして末期胃がんとなった主婦の看取りを通じて、漢方と鍼灸治療が患者と家族にとって満足度の高いケアを提供できた体験を紹介します。なお、北田先生はこの8月から半年間ほど入新井クリニックでの外来を再開される予定です。

北田志郎(きただしろう)

1991年東北大学医学部卒業。 その後,東京都立豊島病院臨床研修医(内科系・東洋医学専攻)を経て、 1993年東京都立広尾病院神経科 1995年東芝林間病院神経科 1997年精神医学研究所附属東京武蔵野病院 2000年天津市立中医薬研究院附属医院脾胃科に留学、その後、後藤学園附属クリニック医師として勤務 2003年より千葉県で地域医療を特徴としているあおぞら診療所で勤務。最近はとくに精神医学・中医学と地域医療と関連する研究に力を入れている。帰国した残留孤児達の心身の健康をサポートするボランティア活動などにも、積極的に携わる。

在宅での東洋医学的治療を希望

「北田先生、こちらで診ているがん患者さんで、漢方と鍼灸を希望している方がおられます。診ていただけますか?」
 昨年のゴールデンウィークの初日、私たちの医療法人内会議がありました。その場で顔を合わせた分院の院長からこんな依頼を受けたのです。私たちは2つの診療所を持ち、松戸市を南北のエリアに分けて在宅ケアを担当しているのですが、東洋医学的治療の希望があれば外のエリアにおいても対応しています。
 45歳女性でEさんという末期胃がんの患者さんでした。前年12月にがんが見つかった病院で「余命3ヶ月」と言われ、「自宅で死にたい」と希望してそのまま退院、往診開始となったとのことです。
 「最近、腹水が増え食べられなくなっています。昨日たまたま彼女の夫が、中国製漢方薬などいろいろな健康食品をインターネットで大量に入手していたことがわかりました。「それだったらウチに漢方専門医と鍼灸師がいますから、ちゃんとしたアドバイスを受けて利用した方がいいですよ」とアドバイスすると「ぜひ治療をお願いしたい」とのことです。
 「北田先生あまり時間が残されていないと思うので、できれば早めに診てあげてください」といきなり言われたものですが、私が近いうちでスケジュールの融通が利くのは、この会議後しかありませんでした。連絡を取り、すぐにEさんのお宅に向かいました。
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まず効果不明な健康食品を整理

 幹線道路沿いにある店舗を兼ねた住宅でした。ご主人に案内してもらってお店の奥に入ると、レジの後ろが玄関です。靴を脱いで一段上がったらすぐダイニングキッチンとなっていて、そこにEさんは横たわっていました。ここなら、ご主人がお店で仕事しながらでもEさんの声が届きます。布団の傍らにテーブルがあり、3人のお子さんと一緒に食卓を囲めるようになっていました。

「私も女房も、末期だということは受け止めていますが、すでに宣告されていた3か月よりは長く生きられたし、まだ何か道があるのではと思っているんですよ。それでインターネットで探して健康食品をいろいろ買っているんですが、何がどのように効くのかさっぱりわからなくて・・・それにこのところ気力が落ちてすぐ横になりたがるし、「お腹が張る」と言って水物しか摂れなくなってしまいました」

Eさんを診察する間、ご主人は健康食品についていろいろ尋ねてきます。そんな様子を 傍で寝たままの姿勢で聞いていたEさんは「私も「いい」といわれるものは何でも試したいんです。主人があれこれ買ってくれるので、一所懸命「飲まなきゃ」と思うんですが、あんまり数が多すぎて、それだけでお腹一杯になっちゃって・・・。」とEさんは努めて明るく振る舞おうとして話してくれます。そして、「食欲はあるし、のども渇くけれど、実際に食べようと思うとのどを通らないのです」と訴えます。

Eさんのお腹は腹水のためにお臍を中心にパンパンに膨れ上がっていました。主治医がすでに1回腹腔穿刺により腹水を抜いたけれども、またすぐ水が貯まってしまったとのことです。さらに利尿剤が使用されていますが、濃い尿が少量しか出ていません。

このほかの投薬としては、疼痛緩和のために副腎皮質ステロイドホルモンである『プレドニン』を使っています。また主治医からは抗がん剤の処方も続けられていました。加えて、ご主人が入手し飲ませていたのは、漢方系だけでも半枝連、白花蛇舌草、冬虫夏草があり、その他も合わせるとその数10種類以上に及んでいました。

診断をするために、腹診をすると心下痞(みずおちがつかえて硬いこと)があり、少腹(お腹の両側)には熱を持っています。脈診は細滑尺弱という弱い脈です。舌診では痩で乾いており、舌尖部に裂紋が見られ、色調は暗紅で苔に白剥があり、生気が損なわれているのがうかがわれます。問診では「手と体幹に火照りを覚えるため、すぐ布団を剥いでしまうけれど、足は冷えている」と言います。

中国医学的な弁証(見立て)としては、強い「気陰両虚」、すなわち正常な気の流れが損なわれた著しい体力の消耗状態がうかがわれます。これは胃の痞えに最大の原因があり、摂り入れたものは全て湿濁と化してしまうためと考えました。幸い近隣に生薬の処方箋を受けてもらえる薬局があったので、生脈散・五苓散・枳朮湯の合剤を煎じ薬として調剤してもらうことにしました。ご主人が揃えた健康食品については相談の上で、「漢方と鍼灸に手応えが出てきたら、これらのものは“用なし”としましょう」と説明しました。

私は分院主治医の診療とは別に、鍼灸師が診療所にやって来る日に合わせて週1回定期的に伺うことにしました。

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1ヵ月で散歩できるまでに回復

連休明けの第2回目の診察は、診療所スタッフの神津美子鍼灸師と共に伺いました。Eさんは1診より腹水が増え、吐き気も新たに出現しているということで、病状はさらに進行していることが伺えます。一方では、だるさが取れてきていて、固形物も摂れるようになっているとのことでした。実際心下の痞えも、舌苔の剥がれも消失していました。明らかにEさんの身体は動き始めています。
私はこう告げました。「漢方と鍼灸との相乗効果でもっとお身体は変わりますよ」

この日、神津鍼灸師との間で治療方針について打合せを行い、お互いの役割分担を大まかに決め、私は薬の処方を若干加減することにしました。また私自身は施術の場には同席せず、先にEさん宅を離れ、次の往診先に向かうこととしました。鍼灸治療には30分から1時間ほどかかるからです。

3診の日、Eさんは私たちを待ち構えていた様子でした。お腹の膨らみはすっかり取れていましたが、これはこの間、主治医が再び腹腔穿刺を行って腹水を抜いていたからです。しかし彼女が真っ先に話したのは、2診の時の鍼灸治療の手応えでした。「お灸をしてもらったら気持ちよくて気持ちよくて。私あの時、眠っちゃったでしょ。でも晩ごはんを食べたらまた眠くなって、朝まで寝ちゃいました。本当に久しぶりに、ぐっすり眠ったんですよ」

最初に腹水を抜いた時にはすぐまた腹水が貯まってしまったのですが、鍼灸治療のあとからは再び腹水が貯留することはなくなったのです。Eさんは鍼灸治療を心待ちにし、治療を受けた日は熟睡し、その翌日が1週間のうちで最も元気な日ということになりました。食欲も増し、いろいろなものを食べたがるようになりました。ただ、「ちょっとたくさん食べると吐いてしまう」とのことです。そこでウリ科の野菜や緑豆のスープなどをお勧めしたところ、これらは吐かずに食べることができるようでした。ご主人は購入した大量の生薬製剤やサプリメントについて、「もう必要がない」と全てやめる決意をしています。こうしてEさんは、5月のうちに退院以来、初めて近所に散歩に出ることができるようになっていました。

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病床にあってもなお家族の中心に
Eさんの胃がんの進行は止まったわけではありませんでした。7月に入ると吐き気が強まっただけでなく、お腹の痛みも出てきます。主治医はモルヒネ製剤を使って鎮痛を図り、これにより痛みはかなりコントロールできました。
 しかし、一日に何度も下痢を起こすようになります。通常はモルヒネ製剤を用いると便秘の副作用が出ることが多いものです。Eさんの下痢は副作用ではなく、もはや胃腸がものを吸収することができなくなったためと思われました。腹部の膨満こそありませんが、その分お腹を触ると多数のゴロゴロとした塊に触れるようにもなります。
 この時期の生薬は『参苓白朮散』の量を加減して処方したものです。Eさんは湯液だけは吐くことなく飲み続け、そのあとしばらくは下痢も起こさない状態でした。
 この頃Eさんは、鍼灸の施術が行われている1時間弱の間、治療の心地よさを味わいながら、鍼灸師に語りかけたそうです。闘病の辛さとかすかな希望、ご主人と二人で築き上げたお店のことや子供たちのことなどなど。
 7月下旬、子どもさんたちも夏休みとなり、日中も家にいることができるようになりました。私たちも初めて3人のお子さんたちと会いましたが、みんなまだ学生です。Eさんは自分の病気を理由に学校や部活を休むことがないよう、彼らに約束させているとのことです。ようやく病気の母のそばに寄り添う時間ができた子どもたちは、代わる代わる台所に立ち、炊事をします。その姿を、Eさんは病床から眺め、時々「そんな切り方じゃ、危ないわよ」「焦がしちゃだめよ」と声をかけます。まだ若くして病に倒れたEさんは、それでもなお一家の中心におられます。
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最後まで「鍼灸を受けると元気になる」と
8月に入ると、もはやEさんはほとんど口からものを摂ることができなくなっていました。鎮痛剤の作用もあり、日中からウトウトすることも多くなりました。そうしたなかでEさん夫妻と主治医の間で、点滴も行わずこのまま自然の経過に任せるという取り決めがされていました。しかし私たちが伺うとEさんは、「私ね、鍼灸を受けると元気になるの。頑張ります」とおっしゃるのでした。
 8月11日。呼吸不全も加わり、在宅酸素療法が行われていました。主治医から「一両日中の命」との告知を受け、ご親族が部屋に溢れんばかりに集まっておられました。それでもその前の日まで湯液だけは飲んでいたとのことです。私は脈をとり「よく頑張られましたね」とだけ声を掛けしました。声は出ませんでしたが、Eさんはかすかに目を開け、うなずかれました。
 そのあと行われた鍼灸施術中に、Eさんは水を望まれ、一杯の水を吐かずに飲まれたそうです。そしてこれがEさんの「最期の水」となられました。
翌々日の朝、Eさんは自宅で眠るように息を引き取られ、主治医がそれを看取りました。数日後私たちが伺うと、ご主人がこうおっしゃいました。
「女房も私たち家族も、正直ここまでやれるとは思わなかった。悲しいけれど、悔いはありません」
伝統医学は在宅医療でも有用性を発揮
標準的な医療以外の治療手段を一般に代替医療と呼びます。英語圏では相補代替医療(Complementary & Alternative Medicine;CAM)と総称されています。欧米ほど代替医療の研究・評価が進んでいない日本においては、患者・家族が代替医療の利用を医療者に隠していることが多いと言われ、その利用実態は明らかになっていません。在宅医療の取り組む医療者は、自宅で医療を行うというその性質上、代替医療を含めた患者のヘルスケア・システムを最もよく知りうる立場にあると言えるでしょう。
 代替医療は一般にがんの緩和ケアの局面において医療者から否定的な評価を受けていますが、在宅医療においても例外ではありません。つまり、代替医療は患者家族の「疾病の受容」を妨げ、ケアを混乱させるものととらえられているのです。実際がん患者さんの中には、厳しい状況を受け入れることができずに、代替医療に過度に傾いて、とうとう現代医療を一切拒否してしまうこともあります。
 ところがそういうことが、病気の進行とともに結局代替医療の使い手(伝統医学の担い手)にも見放されてしまうことになりがちです。病院に戻ることもできず、苦痛と絶望に苛まれ、医療不信の塊となっている場合もあります。在宅医療者は、そんな段階から往診を始めなければならない場合も少なくありません。
 しかし、東アジアの伝統医学は玉石混交である「代替医療」とは一線を画しており、もともとは本流の医療であり、長い歴史と体系を持った包括的な医療です。
 一方在宅医療・在宅ケアはご本人・ご家族を中心に、多くの医療職や福祉職が関わり、共通の認識のもとに場の成員全てが意思決定に与る特性を持っています。この統合的なケアの一翼として伝統医学を位置づけることで、安全かつ効果的にその有用性を発揮することが可能になる、という考え方が私たちの実践の核となっています。
 Eさん夫妻は、Eさんのがんがすでに手の施しようがないことをよくわかっておられました。しかしそれでも、何か回復の手立てがないかを捜し求め、たくさんの健康食品類を購入していました。それは、生きることへの希望を繋ぎ止めたいという祈りにも似た思いからなされたことだったのではないでしょうか。
 そのなかで湯液と鍼灸の治療がEさんの希望を支えることに、少なからず寄与できたとすれば、医療者として望外の喜びなのです。
あおぞら診療所における鍼灸治療は東京衛生学園の教師だった島田力氏によって始められ、卒業生の神津美子氏に引き継がれました。そしてEさんへの鍼灸治療を学生実習の一環として見学した山崎浩二氏が、現在鍼灸部門を担っています。これからも鍼灸部門とともに、在宅での伝統医学の実践を続けていく所存です。
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