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「生命(いのち)の輝き」をサポート

利用者の視線で生活支援機器の開発を進める。

今回登場の畠山卓朗さんは、学生時代の北海道旅行の際、
お世話になった家庭で障害を持つお子さんに出会う。
その経験によって卒業以来、一貫して重度身体障害者の
コミュニケーション工学に取り込んでいる。

畠山卓朗 (はたけやま たくろう)
1949年生まれ
中部工業大学電子工学学科卒
社会福祉法人 横浜総合リハビリテーションセンター企画研究室 主任研究員

重度身体障害者のための生活支援装置を開発

後藤
最初に先生のいまやっていらっしゃるお仕事の概要をお教えいただけますか。
畠山
私が現在勤めておりますのは、横浜市の総合リハビリテーションセンターというところで、従来のリハビリテーションセンターと同じような機能を持って いますが、大きな特徴は、これまで必要とされながらなかなか実現できなかった在宅訪問サービスが10年前のオープン当初から機能していることです。必要に 応じて直接利用者のお宅へスタッフがチームを組んで機材を持ってお伺いして、そこでいろいろな生活上のご相談にのったり、ときには訓練や、具体的な生活支 援をしたりすることです。
私自身の仕事は、そのなかでも特に重度の障害を持った方、それから難病の方たちのコミュニケーションをテーマにしております。
研究中の畠山卓郎さん
後藤
具体的にどんなことをされているわけですか。
畠山
コミュニケーションの基本は、人に自分の気持ちを伝えるということですけれども、その手段の最も基本的なものに文字盤があります。これはいまでも非常に重要なものだと思っていますが、指で差しながら自分の言いたい文字を順番に拾っていくわけです。選んでいく側も大変ですし、読み取る側も長い文章ですと、最初に選ばれた文字が判らなくなってしまうんですね。それと、自分の気持ちを表したいときに、誰かに読み取ってもらわないといけないわけで、自分自身に残された機能をフルに活用して文字を選ぶということになります。これをタイプライターとかパソコンのプリンターに打ち出すための装置を20年近く一貫して研究してきたわけです。
後藤
残された機能というのはどういう状態ですか。
畠山
交通事故などで頚椎の4番目あたりが損傷を受けますと、肩の上下運動はなん とかできるのですが、首から上だけの機能しか動かせません。そういった方たちが、首から上だけの機能、例えば息を利用してパソコンを使って文章を書いた り、口に特別なスティックをくわえてパソコンのキーボードとかマウスを使えるような装置を開発しています。
後藤
一人ひとり残されている機能も違うでしょうし、障害の度合いも違うでしょうから、基本的な部分は同じかもしれませんが、オーダーメイドというか、その個人に合わせて開発するわけですね。いわゆる福祉工学的な分野になるんですか。
畠山
そうですね。まさに個別対応ができなければ私たちの仕事は意味がないんですね。広く多くの人が使えても、目の前にいる1人の人の生活をどうしようもできなければ、その人にとって、なにも意味をなさないわけですから基本は個別対応です。
1人の方をなんとか解決できて、2人目、3人目とやっていきますと共通項が見えてくるんですね。共通項が見えてきますと、これをなんとかもう少し効率よく提供したいということで、そこから先は企業と一緒に共同で製品化して、そしてお届けできるような形にしていく。最近はそういう方法をとっています。
後藤
そうですか。
畠山
先ほどいわれた福祉工学というのは日本ではまだまだ根付いていませんで、私たちが行っているものも、本当の学問領域にまだ達してないと思います。
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機器は踏み台
後藤
人間の持っている可能性の素晴らしさといいますか、人間はすごい力を持っているといつも思うわけです。科学的にそんなことはあり得ないというような ことであっても人間の体では何かが起こって、例えば病気が治ってしまったり、障害を超えていくということがある。そういう人間が持っている力のすごさみた いなところを、先生は工学という立場から技術を提供することで引き出すわけですね。
畠山
そうですね。
後藤
いままでの経験で特別に何かそういうことに出会ったことなどありますか。
畠山
私たちができることというのは、そんなに大きなことではないけれども、実際にいま先生がいわれたように、非常に科学的ではないことが目の前で割合と見せられることがあります。
例えば、原因不明の発熱がずっと続いている方がいまして、この方はラグビーの事故で、C3レベル、頚椎の3番あたりの損傷で呼吸ができなくなり、人工呼吸器をつけて1年以上寝たきりの状態でいました。そのときに私たちはまず、彼が人を呼ぶためのナースコールを用意しました。そうしましたところ、その日の夜から原因不明の発熱がスーと引いたというんです。多分に心理的な面からくる発熱であったのではないかといわれています。
後藤
なるほど。
畠山
ここから先は工学の話ではないのですが、大学を出たお祝いに自動車を買ってもらって、その日に交通事故にあって植物状態になった男の方がいまして、 医療からほとんど見放されていました。けれども、お父さんが会社を辞めて家庭に引き取られて、とにかく刺激を与えること、声をかけたり、体をさすったり、 日向ぼっこをしたりしているなかで、表情が少しずつ出てきました。怒ったり、泣いたり、しばらくすると少しニコッと笑ったり。このような状態に至るまで七 年ほどかかったそうです。彼は現在、好きなクラシックを聴きたいという時に、舌を出してスイッチを触ってオーディオ機器の電源を入れています。これはもと もと機器がスゴイのではなくて、人間が素晴らしいんだと思うんです。
機器というのは、ちょっとした踏み台だと思うんですね。その踏み台さえ用意さ れれば、人間は自分の力でその人なりの乗り越え方を発揮していくんだろうと思います。ですから、技術というのはたいしてスゴイものでもなく、ただ踏み台で あって、私たちはその人の変化を見ながら、いま必要な踏み台を差し出していく、そしてその踏み台はいつかは捨てられてもいいと思っているんです。
後藤
なるほど、医療や福祉の仕事に携わっている人たちが陥りやすい罠みたいなことをお話しいただいたと思いますが、つい治してやるとか、治してやったと思いがちなんですね。自分の提供した技術は、いわれるように、踏み台だったり、後押ししてあげたり、その手助けをするんだという謙虚さが、医療なり技術をやる人には大切だと思うんです。
畠山
私は年に1度ほど、日々人工呼吸器を付けベッドの上で過ごしている人のところに行きます。食事介助をするときに、ベッドで寝ながら食事をしている人たちは食事の内容が見えないんですね。いろいろ彼とやりとりしながら、一個のスイッチで周りを見渡せる鏡を作りました。そうすると、彼はその鏡を使って、食事の内容や周りの風景を見渡したりできるようになったのです。
何が鏡を作るきっかけになったかといいますと、彼があるとき、お風呂に入っている間ベッドが空くから寝てみないかと言ったんですよ。私は最初、躊躇したんですが、寝てみたんですね。それは、ほんの短い時間でしたけれど、彼が生活している風景というのが初めて見えたような気がしたんです。利用者の目線を大事にすることによって新しい考えとか、新しい発想が生まれるんじゃないかという気もしています。
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生の証としてのコミュニケーション
後藤
いまの世の中は、コミュニケーションを取り合うということ自体がどこかで阻害されているという気がしているんです。当校でも保健医療職の教育 をやっているわけですが、実習へ出たときに患者さんとうまくコミュニケーションがとれないというケースが、以前より目立つという気がしているんです。障害 を持っていない方たちの世界であっても、コミュニケーションはとっても大切なことだと思うんです。
息を利用したスイッチとマウススティックでパソコン操作が可能になった。
畠山
そうですね。この仕事を通して、コ ミュニケーションというのはこんなに大切なものか、今更のように教えられています。というのは、特に言葉を持たない方、言葉をなくした方、それから体の部 分で動かせるのは額の動きだけとかそういう方が、私たちが訪ねていくと、作って届けたスイッチを使って、家族の人に「お茶をお出しして」とか、そういう気 を遣ってくださるんですね。場合によっては、「体に気をつけて」というような、私たちに向かってそういう気をかけてくださるんですね。
非常に限られた能力のなかで、その人は必死に発信しようとするといいますか。私たちは何げなく言葉を使ったり、無駄口をたたいたりしていますけれど、言葉の大切さというのを知らないで使っているような気がしましたね。
後藤
額で動かすというのは具体的にはどういうものですか。
畠山
畠山さんが開発した上村数洋さん宅の介護システム
例えば最も簡単な例は、電極を2つ、眉毛の上と額の上に用意しまして、額に皺を作るといいますか、あるいは眉毛を上げる、そうすると接触します。そ ういったセンサーがまずは考えられます。最近では光ファイバーの1.5ミリぐらいのケーブルを持ってきまして、眉毛で反射させたりして、眉毛の動きを捉え ることができるようになっています。
ただ機器も大事ですが、その方がいかに自分の気持ちを伝えたがっているか、周りの人に聞く気持ちがないといけ ませんし、元々周りとの人間関係というのがまずあって、そこに技術という踏み台が必要だと思います。いくら機器があっても、決してその方が幸せというわけ ではないと思うんです。
それと、もう一つ、これは私の職場の仲間から聞いた話ですが、あるご家族は、ALSという筋萎縮性側索硬化症の難病でご主人が眼球運動すら動かなくなったのです。そこでどうやってコミュニケーションとっておられるかというと、奥さんがご主人の肛門に指を差し込んで、「イエス」、「ノー」を聞いているそうです。
私はそれを聞いたときに、これは家族だってなかなかできることではないと思ったと同時に、コミュニケーションってそれほど根源的なものなのかという驚きと、人間が生きている証というんでしょうか、それはコミュニケーションがとれることなんだろうと、そんなこと を思いました。
また福井のウエルドニヒ・ホフマン病を持つというお子さんの例ですが、彼は眼球運動と親指が2、3ミリほどしか動かないんです。それでも彼のために工夫されたスイッチを使ってパソコンで『僕の家は病院』(中日新聞社)という本を書き上げたんです。そのなかで私が非常に印象に残っているのは、いま学校でいじめがあって、自分で自分の命を断ってしまう。だけど僕だってこんな状態でも……といい、「絶対に死なないで」と訴えかけているんですね。彼は立石郁雄くんといって現在高校1年ですが、私自身もいつも彼に勇気づけられています。
その彼が昨年初めて私に、パソコン通信でメールを送ってきまして、それで私はびっくりしまして、返事を出したのです。彼が小学校二年のときに指先2、3ミリで動くスイッチを作っただけなんですが。それ以降は地元福井の人びとの輪ができて、彼になんとかパソコンを使わせようと皆努力していたわけです。
実はウエルドニヒ・ホフマンのお子さんたちは、ご覧になると分かりますが、表情筋までマヒしているんです。本当に失礼な話ですが、一見すると、アッこのお子さんなにも考えてないんじゃないかって見えてしまうんです。ですけれども、ひとたび、スイッチさえ与えられれば、画面に文字がポツポツポツポツと出てくるんです。その文章の表現の豊かさといったら一言では言い表せませんが、この本を読んでいただくと、そんなこともよく分かってもらえると思います。
いま、コミュニケーションがなかなかうまく取れない若者たちも、コミュニケーションってなんだろうということを、いま話したようなことも含めて、もう一度問い直すと、人間にとってのコミュニケーションをもっともっと豊かにしていくということの大切さが、分かってもらえるような気がするんですが
後藤
とてもいいお話を伺いました。これから特にやってみたいとお考えになっていることなど、抱負はございますか。
畠山
私自身は障害を持った方専用の道具を研究・開発してきたんですが、実際に私がやっていく仕事のなかでも、障害を持った方のために作った道具が、例えば電話機ですが、NTTと一緒に開発しまして、高齢の方にも使いやすかったというのが後で分かったんですね。そういうことを考えていくと、全てではないけれど、障害を持った人にとって使いやすいものは高齢者の方にも使いやすいし、あるいは一般の方にも使いやすい。そういった道具づくりも目指したいと思っています。
後藤
今日は生命の素晴らしさや技術の原点とかいろいろな話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
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