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実戦重視の医療教育が「受容する心」を培う

植村研一さんは、豊富な海外留学の経験をもとに、
医療者教育の現場にさまざまな斬新な試みを採用してこられた。体験をさせ、試行錯誤の末に問題解決させるという学習方法の提案は、詰め込み一辺倒の教育のあり方に大きなインパクトを与える。さらに、そうした訓練の中からはぐくまれる「受容する心」は、医療者のコミュニケーションの基本となるものだ。

植村研一 (うえむら けんいち)
1959年千葉大学医学部卒、60年ニューヨーク州立大学留学、67年オックスフォード大学・ロンドン大学留学、68年千葉大学医学部第二外科、脳神経外科、78年浜松医大脳神経外科学講座の初代教授に就任、日本医学教育学会運営委員、99年浜松医大を退官、同大名誉教授。

知識を詰め込んでも医療はできない

後藤
先生は海外留学のご経験が豊富ですが、医学教育のお考えはアメリカ仕込みですか?
植村
私は日本の大学にまだ脳外科の独立した教室がなかった1960年代に、脳外科の専門医になることを目指してアメリカに渡りました。7年間の滞在で勉 強になったことの一つは、向こうの先生たちは人の教え方が非常にうまいということです。アメリカは小学校の時から体験学習を重視し、先生がうまく謎かけを しながら覚えさせます。「教え込む」というのではなく「気づき」の教育ですね。こうした技術は、日本とは比較にならないほど巧みでした。
日本はヨーロッパ 的な古い講義形式を尊重し、これしか教育はないと思い込んできたわけです。
後藤
アメリカの先生の教え方がうまいというのは、教育者が体験させるための訓練を受けてきたからですね?
植村
それは日米の臨床教育を比べればよくわかります。たとえば日本では、お腹が痛いという患者さんが来院すると、指導医は研修医に「これは胃潰瘍の穿孔と診断すべきで、すぐに手術して胃を切除しなければならない」と押しつける。じつにワンパターンで丸暗記型ですが、こうした上司のいうとおりに動いていさえいれば地位も上がっていくわけです。
ところが私がニューヨーク州立大学で受けた臨床教育では、同じ場面でまず「お前は何の疾患だと思う?」と聞かれる。「胃潰瘍の穿孔からも知れないし、すい臓炎かもしれないし、胆石かもしれない」と答えると、「だったら、どういう処置をするんだ」と聞いてくる。胃潰瘍の穿孔なら開けないと死んでしまうので、腹を開けるしかない」と答えると、「胃潰瘍が穿孔したら何故死ぬのか」と聞いてくる。「胃潰瘍が穿孔して腹膜炎になったら死にます」と答えると、「腹膜炎になるというのはわかるけれど、腹膜炎がどうして死ぬんだ」という。日本では教科書に「腹膜炎になると死ぬ」と書いてあるのですから、そう答えるしかありません。さらに、「すい臓炎だったら、腹を開けて何ができる?」と聞かれます。「その場合は、開けてもしかたないのですぐ閉じます」と答えると、「なら、お前は何のために開けるのか」と聞かれる。要するに日本の教育では、「何故」ということを教えていないのだということに気づきました。さらに点滴や胃の洗浄をするという大切な処置を忘れていたことも指摘されます。「なんだ、お前は大事なことを何もやっていないではないか」「困った経験が何もないのか」「お前はそれでも医学部を出たのか」とやり玉にあげられました。
すなわち、日本で教えられている「知識の教育」と、アメリカで教えている「問題解決能力」ということの間に大きな落差があることに気づかされました。教師は学生に知識を教えることではなく、理屈をちゃんとわからせてあげようとする。そうしないと人間は動かないわけです。こうした学問を「病態生理」といい、たとえば人間が何故死ぬのかというプロセスを扱うのですが、これは日本では教えていません。日本で教えるのは「病理学」というもので、「こうしたらこうなる」という結果だけしか教えていないわけです。
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不備を突き、気づきをもたらす
後藤
アメリカにはそうした医療者の教育にあたる人を訓練する機関があったわけですね。
植村
そうです。たとえば1959年にジョージ・ミラーという学者がシカゴのイリノイ大学医学部に教育開発センターというのをつくっています。浜松医科大 学が新設された時、私は初代教授に指名されて赴任したのですが、その後まもなく吉利和学長の命令でこのセンターへ教育学を勉強するために、3ヵ月間留学しました。
そんな機関が何故できたかというと、以前のアメリカは一夜漬けの学生やサボリ学生がたくさんいて、それを摘発するために抜き打ちの試験を繰り返したりして いたのです。アメリカの医学生の13~14%は途中退学というありさまでした。
そのため学生はこの試験地獄に戦々恐々となって、ある大学の場合は厳しいス トレスから15%の学生が精神科に入院するほどでした。結局医学部の先生は教育学を知らず、「詰め込めばいい」「試験で落とせばいい」という発想になって いたのです。
イリノイ大学のマックガイヤー女史という教育心理学者が「医者はただ詰め込むだけではだめ」といい出して、教育開発センターが生まれました。たとえば数学 でいえば方程式を覚えることはすぐできても、高度な応用問題を解くことができる力は、いくつもの応用問題を解いていかないとつきません。医者も症例をたく さんこなさないと力がつかないのですが、低学年の医学生は患者さんを診るわけにはいきません。そこで、ロール・プレイ(模擬演技)をすることによって体験 学習をして、学生を困らせて、そこから「自分で勉強しなくては」という気づきを与えるわけです。
これは今はやりの「チュートリアル」といわれるもので、いっさい授業をせず、ロール・プレイやグループ・ディスカッション、ワークショップを採用し、テー マを次々出しながら進行します。朝から晩まで図書館にこもってやらないとこなしきれないほどの宿題が出ます。大学としては受講者の不備なところを突くこと により、学生を困らせて本当の勉強をさせようという狙いです。
後藤
日本の医学部は、臨床、研究、教育の中でいちばん教育が遅れてしまっただろうといわれています。医学部の先生は自分の研究は一生懸命やっているけれど、これは学生の教育ということに結びつかないわけですね。
ロール・プレイが現場での感覚を研磨
後藤
先生の医学教育は、たんに医学に教育学を持ち込んだものではなく、実際の臨床教育の経験の中からいろいろな場面で必要にかられて築き上げてこられたものなのですね。実際それを授業に持ち込まれて、学生の反応は変わってきましたか?
植村
最初の頃の学生は実験台になったようなものです。ただし、非常に優秀な学生だったのでどんどんうまくいくようになりました。さらに慣れてくるにしたがい自信がつき、学生に大きなインパクトを与えることができるようになってきました。
浜松医科大で初めて内分泌の授業を受け持った時は、まず学生の中から任意に代表10人を選び出して、彼らを医師として壇上に上げました。そして、私がその 何日か前に自分で手術した35歳の女性の患者さんになるロール・プレイを行うことにしたのです。「さあ、私を診てください」といっても、学生たちはどうし ていいかわかりません。
「まだ診断学の講義を受けていない」といいます。
「講義を受けていなかったら何もできないのか。
『将来基礎医学の研究者になるつもりだから臨床医の資格が要らない』という人は出ていきなさい」
こういいますが、出ていきません。すると、後ろのほうから、「事情聴取すればいいじゃないか」などという声が飛んできました。
こうして壇上の医師はいろいろ細かい問診をしました。すると今度は、
「検査する必要がある」といい出します。
そこで、「どんな検査するんですか」というと、黒板にいろいろな検査の名前を書き始めます。全部で20幾つかがあげられました。
「これを全部やるんですか?」
「やらないと診断が決まりません」
「私はお金を持っていません」
「健康保険が効きます」
「保険でいくらの負担になるのですか」
「わかりません」
「じゃ、今日は私は帰ります」
すると、また後ろから「必要な検査だけに絞り込むしかないじゃないか」と野次が飛んできます。
そこで、医師になった学生たちは、どの検査が大事かという検討を始めます。
こうなると、学生たちは「面白くてしかたない」といい出します。
次はシチュエーションを変えて、また10人の学生を選んで医師役のロール・プレイを行います。今度は私のポケットから患者さんのレントゲン写真を取り出し て見せたりしました。なにしろ、私が経験した実際の症例に基づくロール・プレイですから、迫力があります。学生は夢中になって取り組みました。
こうして3組の学生医師たちと次々ロール・プレイしたあと、いきなり用紙を配りました。「これに今日の授業の評価を書いてください。書いたら出ていってよ ろしい」というと、学生たちは一生懸命書き始めました。チャイムが鳴っても書き続け、ほとんどの学生が昼食時間を犠牲にして文字を埋めてくれます。帰りの 電車で、これを読むと、「生まれて初めて面白い授業を受けた」「答えが見つかって泣くほどうれしい」「この授業を永久に続けて欲しい」といった感想が綴られていました。
後藤
医学教育学会などでも「講義ではだめだ」と話しながら、その先生自身が講義しているという例をよくみますが、先生の場合は本当に全部ワークショップの視聴者参加型ですね。ただ、これは教育する側にそうとう自信がないとできないですね。そういう授業の中からは、教育者側が考えつきもしない発想が生まれてきたりするわけですね。
植村
浜松医大には看護学科もできたので、私はここでもワークショップを入れたコミュニケーションの授業を受け持たせてもらいました。じゃんけんでグループ分けし、一方はコミュニケーション促進派で、もう一方はコミュニケーション阻害派ということで討論をさせます。たとえば挨拶についての話題などが出てきますが、非言語の目の高さといった問題には学生はなかなか気づきません。そこで私が「何をやっているんだ」と話をはさむ。そこからまたディスカッションするということで授業を進めていきます。最後にここでもアンケートを集めますが、「この時間はとても面白かった」「来週は先生何の授業ですか」「他の先生方のつまらない講義をやめさせてほしい」と反応がありました。
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あいづちと繰り返しがコミュニケーションの基本
後藤
先生はコミュニケーションということに関して「患者さんを受容する」ということをおっしゃっています。このことをご説明いただけますか?
植村
私は日本のホスピスの先駆者である柏木哲夫先生のお話を聞き、ここから受容ということのヒントを得ることができました。日本ではがんの告知を巡って「告知するか、しないか」が論じられていますが、そうではありません。大切なのは患者さんに嘘をつかないことです。ですから、胃がんになった人に「これは胃潰瘍です」と嘘をつくのは許されない医療行為です。これに対して、「あなたは胃がんが進行しているから、あと半年で死にますよ」というのは、確かに事実であっても、患者さんの心を傷をつけることになります。心を傷つけず、できれば心を支えるような告知のあり方として、柏木先生は「小出しの告知」というものを提唱されました。これに対して私は「ぼかしの告知」というものを考えました。すなわち、嘘をつかず、患者さんの心を傷つけないためには、ストレートにものをいわないで表現を和らげるということです。私は柏木先生の「治るといいですね」といういい方をします。たとえばリハビリなどでも同じです。私のところには脳卒中の発作が起こって、身体が不自由になった患者さんが多く訪れるのですが、「もうこんなもの治るわけがない」というふうに話す人が少なくありません。リハビリに取り組むよう勧めても、「治りもしないのに何故そんなことをしなければならないのだ」ということになる。これでは話が進みません。そこで、治らないことがわかっているにしても、「これは無理です。治りません」というのではなく、「おじいちゃん、治ると本当にいいね」というのです。これなら、「治る」とはいっていないし、「治るといいね」というのは事実のことです。しかも神様のいたずらで、1%くらいは治る可能性があるかもしれません。
さらにこれに加えて、患者さんが「たまらないよ」といったら、「そうだね、たまらないよね」といい、「一生懸命やっている」と聞いたら、「そうだね。一生懸命だね」と相手のいったことを必ずおうむ返しに繰り返すテクニックがあります。パラフレージングといいます。
じつは、このようなあいづちとパラフレージングによるコミュニケーションのテクニックは、シカゴ大学精神科のキンボール博士が日本に来てカウンセリングの講演を行った時にお話になりました。
また別のホスピスについての、オックスフォード大学のトゥワイクロス先生の講演では、ある患者さんが町の開業医が書いた診断書と写真を持って現れた例を話しておられます。診断書には「この人はあと3ヵ月で死ぬ」と書いてある。そこで、「みなさんはどうしますか?」というわけです。
この医師はレントゲン写真を黙って見ています。患者さんが反応しなければその日はそれで終わりですが、たいていは5分以上経てば動き出します。けっして口を聞いてはいけません。すると患者さんのほうから寄ってきます。あくまでもこちらから働きかけるのではなく、向こうのニーズに合わせるということで、忍耐そのものです。やがて「先生、どこか悪いですか?」といったら「ここに病変がある」と指し示しただけでまた医師はじっと写真を見ている。「何ですかこれは?」と聞いても、「何ですかね写真だけではわからない、もうちょっと調べなければ」という。するとたいていの患者さんは、「胃潰瘍ですかね」と聞いてくる。「そんな軽いものだったらいいね」と答える。今度は、「簡単にいかないですかね」と聞いてくる。「簡単にいけばいいけどね」と答える。ついに患者さんは「先生、わかっているんでしょう」と探りに入る。「いや、写真だけじゃなんともいえない。医者は神様ではないから」という。こうして、精密検査に行かなければ、というところに患者さんを誘導する。ダイレクトに告知するのではなく、こんなふうに精密検査に持ち込んで時間を稼ぎながらじょじょに病気を悟らせていくわけです。
トゥワイクロス先生はこうした方法で、1回も患者さんから「精密検査の結果はどうでしたか」と聞かれたことがないとのことでした。これもまさに「ぼかしの告知」です。
私も似たような経験があります。ある時、がんが脳に転移して余命の短いことがわかった患者さんがいて、ご家族から患者さんに告知しないよう頼まれたのです。そこで家族に告知の有無の違いを2時間以上説明し、やっと告知の同意を得ました。最初は患者さんと会ってもまったく切り出すことができず、雑談に終始しました。結局全部で3回、計6時間かかり、どうにか最後に「ただならぬ病気」であることを悟ってもらいました。その後、私は、肝硬変で医師から酒を禁じられているその患者さんを一升瓶を下げて訪問し、「飲みたいなら飲んだほうがいい」と勧めて飲み明かしました。まもなく患者さんは亡くなりましたが、最後まで一度も「俺は死ぬのか?」と聞かれませんでした。もちろん100%病気のことは悟っていたと思います。もっとも、これはじつにしんどい作業でした。
後藤
患者さんの心を支えるための、受容する心を育てるには、医学教育のなかでどう考えていくことができるでしょうか?
植村
それは「共感」ということでしょう。共感は同情とは異なります。話をしていて「あなたは可愛そうだ」というのは同情です。すなわち、自分が上の立場になるということでこれでは患者さんを怒らせてしまいます。一緒になって考えなければならないということです。ただ、これは本能的にできる人となかなかできない人とがいます。ですから、あいづちとパラフレージングによる共感については、最初は学生に我々を真似てもらうしかないでしょう。患者さんが「お腹が痛い」といえば「ほんとう、お腹が痛いの? たいへんだね」と、その時の共感句を出すことによって、患者さんが「この人は俺と同じ気持ちになってくれているんだ」と思うことがポイントになると思います。
私も最初の頃は、患者さんに話した時、「俺は同情されたくない」と怒らせてしまったことがありました。目の高さを同じにできていなかったからだと思います。私はある市民講座でお話をした時、ステージから降りて聞いている人と同じに立ってみました。すると、目の前にいたお婆ちゃんが、「先生が降りてきてくださった」と大変感激したのです。これはいかに目の高さを合わせることが大事かを物語るものです。「なるほど」と感じ、それ以来私は市民講座ではステージから降りてお話しています。
後藤
これからの医療を目指す学生にも、「受容されてよかった」という体験がぜひ欲しいところですね。
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