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がん診療日誌 – その5

「今だから笑って話せる」

一皮剥けたMさんの輝き
肝臓がんで余命3カ月と宣告された主婦Mさん。
それでも自力で可能性を求めて単身上京、様々な治療法を試みるが、ついに肝がんが破裂。
しかし、生死の境をさまよって帰ってきたMさんの顔は、
再び輝き出した。

帯津良一 (おびつ・りょういち)
1936 年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、現在帯津三敬病院院長。専門は中医学と西洋医学の結 合によるがん治療。 世界医学気功学術会議副主席などを務める。著書に『がんを治す大事典』(二見書房)など多数。

「今だから笑ってお話しできるんですよ。いや、やっと笑ってお話しできるようになったと言った方がよいかもしれません……」

と、Mさんは退院を前にして胸に蟠っていたものを吐き出すかのように話しはじめました。しかし、それにしては表情もおだやかで口調も実に淡々としています。胸中に去来するものをある種の感慨を込めて語りはじめたと言うべきかも知れません。

平成4年の発病以来のMさんの5年間は文字通り、激動の5年間でした。

当時46歳、ごく平凡な家庭の主婦のMさんにとって、「肝臓がん」の診断はまさに青天の霹靂でした。
頭がぼーっとして、何が何だかわからないまま、近くの病院で手術を受けました。関西地方の名の通った病院です。

全部取り切れたのではありませんでした。残ってしまった小さな腫瘍に対しては抗がん剤の注射と局所へのアルコール注入法がくり返されました。どちらも決して楽な治療ではありません。黙って耐えました。


それでも腫瘍は少しずつ大きくなってきました。平成6年、つまり最初の手術の3年後に、もう一度肝臓の手術です。さらに残った腫瘍に対して、その後も抗が ん剤の動注療法です。そけい部の動脈から刺入したカテーテルによって腫瘍に直接抗がん剤を注入する方法です。これも嘔気や発熱が伴うことが多く決して楽な 方法とは言えません。

おまけに、平成7年には食道静脈瘤の破裂です。これは肝がんのもとにある肝硬変によるもので、昔は緊急手術になったものですが、最近は内視鏡による硬化療 法で止血するのが一般です。Mさんの場合も硬化療法でおさまりました。しかし食道静脈瘤の破裂というのはかなり大量の吐血ですから、うまく止血できたとは いえ、精神的なショックも相当だったと思います。

そんなに数々の苦労をしてきたのに、平成8年の春には、肝がんは少しずつ進行している、しかし、抗がん剤ももう効かなくなってきた、もう治療手段はない、という宣告です。あとは自宅で静かな余生を、ご家族といっしょにすごされたらいかがですか、と来ました。見放されたのです。

何が静かな余生だ!と怒鳴りたくなったそうです。心のなかに希望の火を灯しつづけることができないで、自宅も家族もあったものではありません。

Mさんは自力で可能性を求めることにしました。いろいろ情報を集めた上で、ある食事療法の先生の門を叩きました。詳しくは知りませんが、かなり特殊な療法だったようです。背水の陣でおこなう、このような特殊な治療法が効を奏することは決して無いわけではないのですが、Mさんの場合には適さなかったようです。尿量が減少し、腹水が溜まり、みるみる全身状態が悪化しました。

これまで治療を受けてきた病院とは別の病院に入院しました。ここでの治療で、腹水はたまらなくなり、全身症状も持ち直しました。ほっとしたのも束の間、今度は余命3ヶ月と宣告されてしまいました。よくもそう簡単に他人の命を予測できるものだとあきれてしまいますが、ご本人にとっては並大抵のことではありません。

世の中にはまだまだ山ほどの治療法があると思いました。そして、その中から、東京に在住の有名な気功の先生を選びました。その先生の治療がどんなものであるにせよ、少なくとも3、4ヶ月は、あるいはそれ以上続けてみなくてはわかりません。


家族と別れて、上京し、東京のアパートでの一人暮らしがはじまりました。平成8年9月のことです。
50歳を越えての一人暮らしですから、なんとも切ないものだったそうです。ただ一つの心の支えはなんとか肝がんの進行を食い止めることです。せっせと気功の治療に通いました。たしかに体調は良くなってきました。これはうまくいくかなと少し自信めいた気持も湧いてきました。

しかし、実際の病状はどうなっているのか、時々は検査をしてみなくてはいけませんし、もし病状が悪化した時に駆け込むことのできる病院も欲しいということで私の病院にやってきました。平成8年の11月のことでした。

そういうことでしたら2、3ヶ月に1度ぐらい来院すればいいでしょうと簡単な検査を含めて2、3回来たでしょうか。安定した状態ですので、その都度、気功を心を込めてやるように励ましていたのですが、平成9年5月の初旬の日曜日、突然、猛烈な腹痛のために病院に転がり込んできました。全身状態も悪く、当直医は肝がんの破裂による腹腔内出血と診断しました。これを止血するためには特殊な器械と人手が必要です。間髪を入れず近くの大学病院に転送しました。この決断とす早い動きは立派でした。

止血は成功し、Mさんは3週間ほどして私の病院に帰ってきました。しばらく私の病院に入院して、自然治癒力を高める方法をあれこれやってみたいと言います。Mさんの心の中で何かが変ったのがひと目見てわかりました。なにか一皮剥けたという感じなのです。 病院の道場で朝から晩まで4単位ほどおこなわれている気功にもせっせと出てきます。それも、気功をしていることがうれしくて仕方がないといった表情で、にこにこしながらも心を込めてやっているのがよくわかります。というよりも毎日々々、こうして生きていられるのが楽しくて仕方がないという感じなのです。あれだけの死線をさまよったのです。わかるような気がします。

ちょうど1ヶ月、私の病院で生きいきと暮らし
たあと、東京のアパートを引き払って、故郷へ、家族のもとに帰ることにしたのです。病気は治ったわけではありません。しかし気持は晴ればれしています。

そして退院を数日後に控えて、冒頭の述懐です。


「……気功に通いはじめて、少し手応えを感じはじめた頃です。在京の友人が、肝がんで有名な○○大学の先生の診察を受けてみることをしきりにすすめるのです。私は気が進まなかったのですが、友人の顔を立てて診ていただきました。

そうしたら、こうですよ。私のそれまでの経過をきいただけで、『あなたはもう元を取っています。これ以上何を望むのですか。第一、これといった治療法もあ りませんよ。気功なんて絶対効きませんよ。これは断言できます。一日も早くご家族のところに帰った方がいいですよ。』ですって。こんなのってあります?  私はこれを聞いた時、暗いというより、なにかこういやーな気持になってしまいました。」

本当にそうです。他人の生命だと思って、馬鹿にしないでくれ! と言いたくなります。

生命についてはまだまだわからないことだらけです。明日のことだってわからないのです。

気功についてだってそうです。気功のキの字も知らないで、どうしてこうも断言できるのでしょう。

このことがMさんの心の中にどれほど蟠りとなって自然治癒力を押えていたことでしょう。悲しくなってしまいます。

でも、もう大丈夫です。Mさんの心にもう蟠りは微塵もありません。Mさんの顔の輝きを見ればわかります。