『三国志演義』にみる医療の旅ノート」の取材で出会った
中国各地の人びとに感謝して
岡田明彦
古今の人びとが『三国志演義』に引き込まれるのは、中に登場する英傑、豪傑たちの武勇あふれる活躍もさることながら、疾病に苦しんだり、死を迎えるにあたっての臨場感あふれる場面など、「生老病死」をも、人生の時間経過の中で見ようとする人物論に貫かれているからに違いない。
中医学がもつ病態観をキーワードに読むことで、『三国志演義』の面白味が別の角度からも湧いてくる。現代人にも相通じる病態観がそこに的確に捉えられているからだ。とくに後漢末から三国時代にかけては、華佗や張仲景など傑出した中医学の医学者を輩出し、医学書の『黄帝内経』や『傷寒論』などもこの時代に著されたとされる。日本で中医学を漢方医学というのもこの時期に中医学が開花したからにほかならない。
中医学的人間観や疾病観を元にした記述を随所に盛り込まなければ、『三国志演義』の物語性を広げられなかったのではなかろうか。
赤壁の戦いでは、伝染病の流行で敗北する曹操軍の例にみるような自然環境(外因)から引き起こされる疾病と、周瑜に代表される精神や身体(内因)による疾病に分けられている。英傑、豪傑といわれる人たちも、その性格が1人ひとり違うように、その性格からくる生活習慣の違いや、そこから引き起こされる個々の行為がやがて疾病を引き起こすに至る過程まで読み取ることができるほどに書き込まれている。
そしてそれらを治そうと活躍する華佗に代表される医師たち、彼かの豪傑たちに疾病があると分かると、さまざまな戦術や策略、心理戦などによって葬り去ろうとする敵対者たち。
現代を振り返っても、為政者たちが「今の日本経済の体力が弱っている状況では外科手術ではなく穏やかな漢方治療がいい」などと社会状況を疾病に譬えて話すのも、『黄帝内経』や『三国志』の中の諸葛孔明の言葉を拠り所にしているのはあまり知られていない。