大切な人を失った遺族の心の整理を支援
愛情が強いほどアイデンティティ崩壊の危機に
身近にいた大切な人を失い悲嘆(グリーフ)に暮れる遺族が心を整理できるようサポートしようという試みがグリーフケア。横浜市で在宅医療に取り組む福澤クリニック(福澤邦康院長)在籍の訪問看護師・阿部優子さんは、看取り体験を重ねる中で、このケアの必要性を認識し、実践してきた。なぜ医療者がグリーフケアに取り組むのだろうか。どんなサポートが行われ、遺族の心はどのように癒されていくのだろうか。
遺族に寄り添いながら “傾聴”
まだご遺骨が家にあるときの訪問在宅で療養してきた患者さんが亡くなる度に、ケアしてきた医療者は家族の激しい悲嘆をまのあたりにする。阿部さんは医療者として「大丈夫かな?」と放置できない思いになる例が少なくなかった。
「在宅療養は家族の介護がないと成り立ちませんが、家族は一方的にケアしているだけでなくて患者さんから支えられているところもあります。どちらが欠けてもなり立たない“持ちつ持たれつ”の関係です。その支え合いが崩れてしまうわけですから、遺された人はアイデンティティ(自分らしさ)が失われる危機の状態にあるといえます」
ともに歩いてきた掛け替えのないパートナーを失った人は、「これからどうやって生きていくのか」「自分は何のために生きているのか」「何故自分を遺して逝ってしまったのか」と途方に暮れることも少なくない。あるいは、「(故人の療養中に)十分なことができたのか」「もっとやさしく接することができたのではないか」と後悔し自分を責めるということも多く見られる。
「こうした反応は、亡くなった方と遺された方の絆の強さ、愛の深さによるものではないでしょうか。強い悲嘆は遺族の心身の健康を損なわせるような崩壊の危機を招き、医学的な介入を必要とする場合も。悲嘆の程度や中身をアセスメントする必要があります」
新しいアイデンティティを形成してもらい、新たな人生を踏み出すための手伝いをすることがグリーフケアではないかと阿部さんは考えている。家族の介護の苦労を知り、故人の人柄に触れてきた医療者ならではのアプローチがなされる。
「グリーフケアは生前のケアの延長なのです。亡くなった方の生き方や大切にしてきたことに尊厳を払い、『いつもニコニコしている方でしたね』『ご家族をとても大事に思っておられましたね』というふうに思い出を語ります。また、『長い間、よく尽くされましたね』『お疲れが溜まっているでしょう』と、ご苦労をねぎらいます。ご遺族の気持ちに寄り添いながら、感情に巻き込まれず、その言葉をじっくり聞き出す“傾聴”が大切です」
こうしたことを繰り返しながらいつの日にか、「あの人も満足だったでしょう」「私も寂しさはありますが、自分のことを考えて生きて行きます」というふうに、死を受け入れ、心を整理してもらえるようになる。グリーフケアは患者さんが亡くなってだいたい1年後までを目途に続けられるという。
30日目くらいに遺族を訪問
担当していた上條医師から心づくしの献花がなされた 福澤クリニックの在宅医療を担う上條医師と訪問看護師の阿部さんは、2か月前に看取った男性患者のお宅を訪れた。元造船会社社員のTさんは腎盂がんにかかり4年間の闘病の末、68歳で亡くなっている。今は1人で家を守る未亡人が、まるで待っていたかのように阿部さんと上条医師を家の中に迎え入れた。2人はまず抱えてきた花束を仏壇に捧げ、位牌に手を合わせる。
「30日目くらいからですかね。どうしようもない寂しさに気づきました。これまで何か話せば相槌を打ってくれた人がいないのですから」
未亡人は堰を切ったように話し始める。まるで心の中にポッカリ空いた穴を必死に埋めようとしているかのようだ。
大切な人を亡くすると、通夜、葬儀、初七日と、人が集まるセレモニーが続く。死亡届けなどの書類を作ったり、会葬礼状を出すなど、あわただしく過ぎていく。「悲しんでいるま(間)などない」という状況だ。悲しみを忙しさにまぎれさせることができるのかもしれないが、遺族が本当の喪失感を味わうのはさまざまなセレモニーが終わって誰も訪ねてこなくなった1か月後くらいの時期といわれる。そこで阿部さんたち福澤クリニックの訪問看護師は、在宅で看取った患者さんが亡くなると、30日目くらいに遺族宛てに慰労の手紙を出す。そして、2、3か月後くらいの時期を見計らって、「お線香をあげに参りました」と訪れる。また、上條医師には、遺族が心身の健康を損ねていないかどうかをチェックするという目的もある。
「ありがとう」を言った時に変わった
奥様の話を傾聴しながら思い出話に時が流れる「ご主人はとてもきちんとした昔気質の男性でしたね。その分頑固で無理を言われることも多かったと思います。奥様は4年間も本当に献身的に尽くされましたね」
阿部さんがねぎらいの言葉を掛けた。自分の苦労やつらさをわかってくれている人がいた…。未亡人の表情に少し安堵の色がうかがえる。
「頑固なところがある人でしたからね。阿部さんにも本当によくしていただきましたよ」
「私、初めてうかがった時、いきなりご主人に怒られたんですよ。『こんにちはー』って元気よく上がりこんだら、『うるさい!病人のいる家で大きな声を出すな』って」笑い。
「そうねえ。いつも私がそばにいないと気にいらない人でした。ちょっとでも買い物で出かけたりすると、『どこへ行っていた?』とうるさくて…。テレビが嫌いで、私が見ていてもすぐにスイッチを切ってしまう。息が詰まりそうになったこともありました…」
「本当にたいへんでしたね。私、
ご主人に言ったことがあるんですよ。『奥さんに、ありがとうと言っておいた方がいいですよ。そうしないと、死んだあとですごく恨まれますよ』って…。でも、きっとご主人も満足されていたと思いますよ」
「そうしたら、本当にある日『ありがとう』って言ってくれたんですよ。その日から主人の態度が少し変わったように思えました。それと阿部さんにもとても感謝していましたよ。何度かうちに来られるうちに、『今日は、阿部さんが来る日だな』って自分から言い出して楽しみにするようになったの。でも、私には本当に満足してくれたのかしらという思いが今でも残っているんです」
2人の会話を聞いていた上條医師が「そうそう」と何やら思い出したようだ。じつは奥様の知らないことがあるという。
「ご主人は私には『自分は不器用で、妻にうまく伝えられないけれど、とても感謝している』とおっしゃっていましたよ」
未亡人は、はっとした表情になり、続いて顔をくしゃくしゃにする。
「まあ、そうですか。あの人がそんなことを…」
上條医師が伝えたTさんの言葉は、これから残された人にとってが新しい人生の第一歩を踏み出していく上で大きな勇気を与えることになるだろう。
「お葬式がすんですぐに私の学生時代の友人がたずねて来てくれたんです。息子も仕事で帰ってしまって、独りぼっちで居たときに、友達って本当に大切なものだと感謝しているんですよ」
グリーフケアには、残された人に寄り添い支え合う人たちの力が悲嘆を少しずつ生きるエネルギーに転換させる役割があるのかもしれない。
ご主人の葬儀の写真を見せてもらう