リンパ浮腫がほとんど知られてない時代に、松永さんは患者としてこの病気の克服に乗り出しました。アメリカにリンパ浮腫治療のパイオニアを訪ね、さらに後藤学園附属リンパ浮腫治療室の第一号受療者となっています。2014年11月、519回目の治療のために来室された松永さんに、後藤修司理事長がインタビューしました。
松永龍(まつなが・りゅう)
元会社経営・リンパ浮腫患者1985年以降(60才代)に胃がん、腎細胞がん、前立腺がんを立て続けに患い最初の手術から約12年後に、後遺症である下腹部、右下肢リンパ浮腫を発症されます。1998年に廣田医師出会い、翌年1999年に渡米してリンパ浮腫専門医のDr.アイカーを訪ねます。
自らパイオニア医師を訪問
後藤
松永さんは2000年に当施設を開設した時のカルテ番号第1号。それほど初期からの患者さんなのですから、当初はとてもご苦労が多かったと存じます。症状にお気づきになった頃は、医療者の間でもリンパ浮腫の専門知識を持った人はほとんどいなかったわけですね?
松永
前立腺がんの手術を受けたのは1992年のことで、96年頃から足にむくみが起こり始め、徐々に悪化してきました。医師に相談すると「皮膚がんではないか?」と疑われ、バイオプシー(細胞生検)をしたけれどがん細胞は見つかりません。他の病気についてもいろいろ検討してみたのですが、どれにもあてはまらず、「いったい何なのだろう?」と悩まなければなりませんでした。そして、97年の春、風の便りで医師の廣田彰男先生(現広田クリニック院長)という方が、こういう症状を持った患者を診療していると聞き、診察を受けたら初めて「リンパ浮腫」と診断されたわけです。
後藤
そのあと、アメリカにリンパ浮腫治療のパイオニアであるエミリー・アイカー先生の治療を受けに行かれたのですね?
松永
診断されても当時日本では、リンパ浮腫をどう治療していくかという方法もわかっていませんでした。そこで、欧米にもそういう患者がいるはずだから、向こうではどんなことをしているのだろうか、と調べてみることにしたのです。するとアメリカの知人から、「サンタモニカで女性医師がリンパ浮腫の治療をしている」という情報を得ました。早速アメリカに治療を受けに行こうと考えたわけです。
後藤
素晴らしいご意欲ですね。アイカー先生と初めてお会いになった印象はいかがでしたか?
松永
じつはアイカー先生ご自身もリンパ浮腫の患者だったのです。そのご経験からいきなりこんなアドバイスをいただきました。 「ミスター・マツナガ。あなたは、もうリンパ浮腫発症以前の身体に戻ることはないでしょう。 ただし、努力してよくケアすれば、それ以上悪くならないし少し良くなる可能性はあります。リンパ浮腫に耐え、治療に挑戦してください。そのつもりがないならあなたを応援できませんので」 厳しい言葉でした。内心では、「はるばるアメリカまで訪ねてきたのに…」という思いです。そして、「これからずっとアメリカまで通院するわけにもいかないし、どうしたらいいのだろう?」と途方に暮れました。するとアイカー先生は、「あなたが、本気で治療に取り組もうとするなら、私は日本にお手伝いをしに行ってもいいですよ」と約束してくださったのです。この言葉をお土産にして日本に帰ってきました。
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成果の大きかったリンパ浮腫シンポジウム
後藤
松永さんは「医と療、道具、患者の4つが一体になったところにリンパ浮腫の治療がある」とおっしゃっていますが、アイカー先生の言葉が原点だったわけですね? これに応えるために99年10月12日のリンパ浮腫シンポジウムを企画されたのでしょうか?
松永
そうです。シンポに向けて8ヶ月間準備のために駆け回りました。何もわからないので、いきなり新聞社に飛び込んで「応援してくれ」と頼んだり、医師にも協力要請して歩いたり…。
後藤
それは大変なことだったと思います。医学関係者さえもリンパ浮腫の知識に乏しく、そういう言葉さえ知る人も少なかった時代ですから。
松永
がんの主治医だった杏林大学泌尿器科の東原英二先生がいろいろと協力してくださいました。学長や理事長も紹介していただき、大学を会場として使ってもよいということになったのです。それから、西武の堤清二さんや日本テレビ会長の氏家齊一郎さんなどの財界人も参加するなど、経費面で応援してくれる方も現れています。紆余曲折いろいろありましたが、なんとかシンポジウム開催の運びとなりました。運営主体に何か会の名前をつけなければならないということになり、「SL」としています。蒸気機関車のSL(Steam Locomotive)です。
後藤
なるほどまさに「牽引車」というわけでね? シンポジウムが、当室の佐藤佳代子との出会いのきっかけにもなったのですか?
松永
シンポジウムのパネラーとして廣田彰男先生と山崎善弥先生(当時癌研付属病院)をお招きすることになりました。当時リンパ浮腫の診療をしていた医師は、国内でおそらくこのお二人だけだったでしょう。が、肝心のセラピストはどこにも見つからなかったのです。そんな中でどこかから「後藤学園というところにドイツへリンパ浮腫治療の修行に行って帰って来た女性のセラピストがいる」という話を聞いたのです。会社の者に「なんとしても捜し出しなさい」と指示し、佐藤さんにたどり着くことができました。シンポジウムの当日に会場で初めてお会いしたというわけです。
後藤
いろいろな面で、シンポジウムは大成功だったわけですね?
松永
新聞募集をしたら、わずか10日間で580名が集まりました。初対面の医師も三十数名参加しています。その中に現日本医療リンパドレナージ協会会長の小川佳宏先生もおられました。こんなふうに会ったことのない人にまであっというまに広がったというのは、よほど多くの人がリンパ浮腫を何とかしたいけれど何もわからないという状態だったのでしょう。
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「正しい治療だ」と実感
後藤
小川先生にとっても松永さんとの出会いがリンパ浮腫に取り組むきっかけになったわけですね?
松永
小川先生から「あのような会を立ち上げたということで大変感動しました。自分はリンパ浮腫に関心を持っていていろいろな病院の外来で診ている」と書いた手紙をいただきました。当時日本の病院には、リンパ浮腫を診る外来も治療室も全くなく、患者がどれだけいるかもわかっていません。まったく得体のしれない、海のものとも山のものともわからないジャンルの病気であり、そういう世界に入って行こうかどうかを相当迷っておられたようです。それで、そのうちまた手紙が来て、「決心しました。大学を止めてリンパ浮腫の診療を行う専門クリニックを開院します」と書かれていました。私はすぐに小川先生に「坂本龍馬がいました。日本で初めてリンパ浮腫専門の医療機関ができるというのは、私にとって夢のようなできごとです。ぜひ開院祝いをさせてください」と申し出たのです
後藤
私どももあのシンポジウムで東京医大血管外科の重松 邦広先生とご縁ができて、現在の西新宿の治療室誕生に結びつきました。リンパ浮腫を取り巻く状況は、大森でのスタート時とはずいぶん違ったものになっていることをお感じのことと思います。
松永
最初の頃は来室する患者さんもそう多くはありませんでした。それだけにやむにやまれず治療を受けに来るといった重症の方が多かったようです。一目見てそれとわかる腕や足の大きなむくみを持つ患者さんが目立っていました。私自身はそう重症ではなく、弾性ストッキングをつければゴルフもできるほどでした。おそらくアイカー先生の「意識して自分でケアしていれば悪くならない」という言葉に従ったか後藤理事長のインタビュー らで、その正しさが実証されたものと思います。
後藤
アイカー先生の言葉に最初はショックだったけど、それが感謝の気持ちに変わったということですね?
松永
アイカー先生は自費で来日し、日本の患者を治療してあげたいとおっしゃいました。そこまでの熱意を持っておられるということで、やはりこの治療が本物だと信じることができたのです。それを実証するように後藤学園での治療に通うようになって、私自身の状態が良くなってきました。これは正しい治療法であり、絶対必要な治療法であるということ確信できたのです。
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他力本願では克服していけない
後藤
現在もリンパ浮腫まだまだよく認識されているわけではありません。その中で今後私たちが何をすべきでしょうか?
松永
たくさんの問題がありますが、リンパ浮腫治療はだんだん需要に供給が追いつかなくなってきました。とくに病院勤務が可能な有資格のセラピストを増やすことが大事ですね。どうしたらもっと多くの患者が救われるようになるかを考えなければなりません。
後藤
私たちも経営的にも困難な時期もありましたが、その中で国に対して働きかけた結果リンパ浮腫指導管理料や弾性着衣などに係る療養費への保険適応が実現し、また施術者も学会が認定するようになるなどの成果をあげることができました。
松永
私は自分が仕事で苦労を重ねてきた経験から、「先立つものは金」ということを身にしみて感じています。需要を満たすようにセラピストを増やして供給できるためには、この分野をドクターにとって美味しい医療ビジネスにしていくことが必要ではないかと思います。
後藤
何かほかの患者さんにお伝えになりたいことは?
松永
リンパ浮腫になったら急に良くなることはないし、生きる限りリンパ浮腫とは一生離れられません。上手にリンパ浮腫と付き合っていくヒントとしていただくために、私は『リンパ浮腫と生きる』というタイトルの本の出版に協力しました。リンパ浮腫を乗り越えていくためには他力本願では無理です。患者はもう一度改めてリンパ浮腫と向き合って生きていくという自分なりの覚悟を改めてし直して欲しいと思います。
後藤
後藤学園は人の命の輝きを支え続ける志を持った医療人を目指せということをモットーとしています。松永さんが必死にご自身の病気に取り組んでこられたお話を聞き、私たちもどうしたら患者さんたちのお手伝いができるか必死になって考えていかなければならないと改めて思いました。また現在「医療リンパドレナージセラピスト養成講習会」を終えたセラピストが1610名(2014年3月末)に達していますが、必要となさっている患者さんから見ると全体量としてまだまだ少ないことも実感しています。さらに「正しい医療」だと患者さんに実感を持ってもらえるセラピストの養成に邁進したいと思います。
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追記
新宿にある学校法人後藤学園附属マッサージ治療室において、松永龍さんをむかえて後藤理事長のインタビューが終わる頃、治療室から出てきた女性と松永さんが親しく話し始めた。訊くと女性のご主人中島侑三さんとは長い仕事の付き合いがあった。奥様のがん、そしてリンパ浮腫を松永さんに相談していた。中島さんは定年退職後、世界遺産をテーマに280ヵ所を訪ねまわり、その風景をキャンバスに留め活躍している。そのような緣からマッサージ治療室に松永さんが集めた中島さんの絵を寄贈して頂いた。近くマッサージ室のロビーが世界遺産ワールドになりそうだ。(お)