病因撃退を目指す「感染症と戦争の医学」から環境全体を見渡した健康づくりへ
我々を取り巻く病気の構造が変わるにつれ、健康づくりの視点を一つの病因ではなく環境全体に向けなければならなくなってきた。さらに健康には身体的な健全さ だけでなく、精神的、社会的な良好さを伴うことが重視されるようになっている。千葉大学法経学部教授の広井良典さんに、慢性疾患時代の健康のあり方をうか がう。
広井 良典
1984 年、東京大学教養学部教養学科卒業。同大学院修了後厚生省入省。医療保険や福祉に関する政府立案に関わる。マサチューセッツ工科大学大学院に留学。96年 より千葉大学法経学部助教授、2003年より千葉大学法経学部教授。専攻は医療経済・社会保障論・科学哲学。著書に『「環境と福祉」の統合』(有斐閣)、 『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)など。
人間社会の劇変が病気を生み出している
病気とは何か、人間はなぜ病気になるのか―。健康というものを考えるとき、まずこのことを知っておきたい。広井さんは、「エボリューショナリー・メディスン(EvolutionaryMedicine =進化医学)という立場の考え方を紹介する。
「生 物学的に考えれば、我々はずっと健康でいていいはずです。なのに、なぜ病気が存在するのかというと、それは遺伝子と文化、遺伝子と社会の間にギャップが出 てきたからではないかと考えられます。人間の遺伝子自体は3万年前にクロマニヨン人が出現したときとほとんど変わっていません。当時の人たちはもっぱら草 原を走り回りながら狩猟に明け暮れる生活をしており、それに合うように身体や遺伝子が作られました。そうした遺伝子のその後の変化に比べて、社会や環境は はるかに大きいスピードで変化したために、それらの間に大きなギャップが生じてしまったわけです」
人類の歴史の大半は食糧不足の状態が続いてい た。そこで人体には飢餓に耐えられるように、できるだけ栄養を使わずに貯め込んでおこうとする「節約遺伝子」というものが備わったと考えられている。現在 の飽食の時代を迎えてもこの節約遺伝子は健在なので、身体は栄養を貯め込みすぎて簡単にメタボリックシンドロームになってしまう。
また草原を走り回っていた時代はとても外傷を負う機会が多く、これを早く治すしくみとしてカサブタを作るようになった。その機構が残っているために、血管内に傷ができるとこれを素早く修復しようとして血栓や動脈硬化を発生しやすくなると考えられている
さらに人体には病原菌や汚染物質に対抗するよう強力な免疫機構が備わった。ところがこれが働きすぎて、本来は外敵ではないものにまで反応してしまうようになり、花粉症などのアレルギーを発症するようになったという考え方もできる。
「すなわち病気になるということの一番の背景は、遺伝子に刻まれた環境と現在の環境とのズレではないかと考えられるのです。環境といっても自然環境だけでなく社会的な環境もあります。たとえば現代社会のストレスや長い労働時間なども病気を生み出す背景となるわけです」
環境の変化が病気を作り出し、さらにどんな病気を生み出すかということにも影響を与えているのだ。
病気は一つだけの原因で説明できなくなってきた
私たちを取り巻く病気の構造が大きく変わってきている。かつてのように感染症中心ではなく、最近では慢性疾患の比重が圧倒的に大きくなってきた。さらに、社会の高齢化とともに老人退行性疾患といわれるものが増えており、精神疾患も目立つようになってきた。
「日 本では、第二次世界大戦が終結した1945年前後までは死因の一位が結核でした。当時は『国民病』といわれ、医療費の3割くらいが結核で占められていると いう感染症の時代でした。10年後の1955年ころは脳卒中が死因の第1位になり、やがてがん・脳卒中・心臓疾患の三大成人病、すなわち『慢性疾患の時 代』に入っていきます。最近では第三段階の老人退行性疾患が大きな問題になってきました」
老人退行性疾患の時代を迎えるとともに、医療費の問題が クローズアップされるようになった。いまや日本の医療費の5割強が、人口の20%を超える65歳以上の人のために使われている。さらに日本が高齢化のピー クを迎える2050年ころには医療費の8割が高齢者で占められるようになると考えられる。「さらにもう一つ、今日では精神疾患の拡大が見られます。とくに 先進国の15歳から44歳の人たちの病気の負担(寿命が短くなったり、身体に障害が生じたりすること)がどういう原因で生じるかをある手法で計算すると、 男性ではアルコール摂取、女性はうつ病がトップで、交通事故も上位でした。精神疾患もしくは社会的な問題が、若い人たちの健康を損なう原因になっているわ けです。このような疾病構造の変化とともに、社会のしくみや医療制度を変えていこうという『健康転換(Health Transition)』という考え方が示されています」
私たちは健康のイメージや病気のイメージを変える必要が出てきた。今までの急性疾患は、1回の手術を受けることで治るというふうに病気と健康にはっきり境目が見られたが、慢性疾患や高齢者の病気、精神疾患は、病気と健康がより連続的なものとなっている。
「従 来、西洋医学の基本になってきたのは、19世紀ころ成立した『特定病因論』というものでした。これは『一つの病気には一つの原因が対応している』とし、そ れゆえにその原因を見つけて除去すれば病気は治るという考え方です。別の見方をすれば病気の原因はすべて身体的なものにあり、直線的因果関係で結びついて いるとしていました。当時は感染症が病気の中心であり、一方でナイチンゲールがクリミア戦争で活躍したように、ヨーロッパは戦争の時代であり、外傷の時代 だったのです。感染症は菌を見つけて除去し、外傷は傷口を手当てすれば治るということで、特定病因論が絶大な効果を発揮し、『西洋医学はすごい』となりま した。私はこれを『感染症と戦争の医学』と呼んでいます」
ところが現在の高齢者ケアと精神疾患の時代に至ると、こうした特定病因論が絶大な効果を 持つとはいえない状況となってきた。医療技術の効果がこれまでほど直接的に発揮されなくなっている。病気はたんに身体的要因だけでなく、ストレスや環境な どさまざまな要因が複雑にからみ合った「複雑系」として考えなければならなくなった。病気への対応の中心が、キュア(治療)からケア(看護)に移ってきた のだ。
21世紀は東洋医学中心の時代に
日本の医療費総額は年間33兆円強といわれるが、疾病構造が変化し特定病因論が後退している現在、これからその配分も大きく変わっていくと考えなけ ればならない。これまで医療は「診断・治療・リハビリ」等が中心となり、その周辺に大きくは「高度医療」「予防・健康増進」「生活サービス・アメニティ」 「介護・福祉」という4つの分野があった。(図1)
「現在は医療費の流れが、『診療・治療・リハビリ』からその外側にあった『予防や健康増進』『患者に快適な医療サービス』『介護・福祉』へと広がっていま す。すなわちキュアからケアへと変わっているわけです。これからはむしろ周辺と考えられていたことが主流になって、診療や治療はほんの一部になっていくの ではないかと考えられます。急性疾患、感染症をモデルとしたこれまでの特定病因論は、たしかに長所もあるけれど、限界もいろいろわかってきました。慢性病 や老人性疾患の時代には、東洋医学の役割が重要になっていくでしょう。東洋医学は21世紀の医学・医療の中心になっていくと思います」
厚生労働省は、西洋医学に東洋医学など代替医療と呼ばれるものを組み合わせた統合医療の研究に力を入れるようになった。2006年度から3ヶ年計画で、統合医療の社会的側面を探るプロジェクトを発足させている。広井さんもこのプロジェクトの一員だ。
「韓国、中国、台湾などアジアでは伝統医学を西洋医学と同格に位置づけ積極的に取り入れていて、そもそも『代替医療』という言葉はあまり使っていません。こうした政策は正直なところ、日本がいちばん遅れているのです」
しかし、じつは日本の医療システムはこれまで国際的に見ると優等生に近い評価を受けてきた。これには国民のライフスタイルに対する知恵も大きく関わっていたらしい。
「WHO(世界保健機関)は2000年に世界の医療ランキングで日本の医療システムを第一位としました。これにはいくつかの指標がありますが、日本は世界 一の長寿であるうえに、寝たきりの期間が短い『健康寿命』の面でも第一位です。また、全般的な医療システムの目標達成度も第一位と評価されています。 ちょっと注意したいことは医療制度そのものが優秀ということもあるけれど、やはりそれ以前の食生活とか生活習慣が国際的に見ると優れているという面がある のです。その結果、虚血性心疾患などもOECD(経済協力開発機構)加盟国では韓国に続いて少なく、肥満率もきわめて低くなっています」(図2)
ただし、日本の優等生的な生活習慣にも陰りが見られるようになってきた。よく指摘されるのは、沖縄の人たちの健康状態が急に後退しているのではないかと考 えられることだ。長らく男女とも長寿日本一だった沖縄県は、2000年に突然男性の平均寿命が、全国26位と大幅に順位を下げた。そして2006年に30 代以上の肥満と診断された人の割合が男女ともに全国一位という「肥満王国」になった。アメリカ軍の占領が長く続いた沖縄には、早くからフライドチキンやハ ンバーガーが上陸し、若い人たちはそれまでの伝統食をどんどん捨ててしまった。伝統食を守りながら長寿社会を支えてきた高齢者たちが世代交代して、沖縄で はますます短命化が進むのではないかと心配されている。
WHOによる日本の医療システムの評価では、課題も示された。日本では患者サービスなどの面での評価は必ずしも高くない。
た とえば医療消費者団体「COML」が2000~01年に会員約500名を対象に実施した医療への満足度の調査では、「患者に対する心理的・社会的サポー ト」について96%が「不十分」と答えている。「患者の心理的な不安などに対するサポート」「医師などへの要望や苦情を間に立って聞いてくれる医療者の存 在」「家族に対するサポート」などへの要望が大きいことがわかった。
「特定病因論の世界では、患者のわからない専門知識を持った医療従事者が、そ れを使ってスパッと治していたので、患者は医者の言うことに黙って従っていました。ところが、慢性疾患や高齢者ケアが中心になってくるとまさに複雑系で、 スパッと治る状況ではなくなっています。患者自身が主体になって治すという要素が強く、医者よりも患者のほうが分かっているという面もあります。サービス とかケアの医療のあり方も根本から変わってきているわけです」
健康ということを考えるうえで、死ということも含めたライフサイクルという視点が非 常に重要視されるようになっている。WHOは従来健康の定義を「身体的精神的に良い状態」としていたが、1990年代になって「スピリチュアリティ」、す なわち死を含めた安心した状態ということを主張するようになった。
「これから日本は死亡者数が急増する時代になります。これまで年間の死亡者数は 90万人前後でしたが、これが170万人くらいにまで増えていきます。そのなかで、これまで病院で死ぬ人が増え続けていたのに、2006年に初めて減少に 転じ、自宅や老人ホームなどでの死が増えています。私たちは、健康を考えるうえでは、あまり老いとか死に目を向けてきませんでしたが、長い老後を迎えるよ うになって、どこでどのように死ぬかといった死生観を持たなければ立ち行かなくなってきているのです」
広井さんは日本的なスピリチュアリティのあ り方を、「自然のスピリチュアリティ」と呼ぶ。スピリチュアリティはもともとキリスト教的な言葉で「神」「永遠」ということを意味していたが、日本では 「八や百およ万ろずの神」や、宮崎アニメに描かれるように自然の中に何か物質を超えたプラスアルファを見出そうとするのが特徴となっている。
さら に健康ということを考えるうえで、コミュニティも重要なテーマとなってきた。日本では一人暮らしの高齢者が急激に増えていて、それはとくに女性に顕著と なっている。「県別の調査で、一人暮らしの人が多い地域ほど要介護者が多いことがわかりました。一人暮らしは人との関わりも少なくなり、外出の機会が減る ので身体機能が衰えやすく、また心理的な寂しさから介護を求めるようになるのではないかと考えられます。残念ながら日本は先進諸国の中では社会的孤立状況 の割合が最も高いのです。これからの日本では個人を単位にしたつながりを形成していくことがきわめて重要になると考えています。人間は社会的な存在なの で、やはり人間同士の付き合いが健康を支える大きな要素の一つとなるはずです」
今日、健康問題は原因と結果からでなく環境全体で考えなければならなくなっている。健康についてこれからの社会環境の中で考えようとするとき、広井さんは均衡や持続可能性という意味を込めた「定常型社会」という言葉を示した。
「た とえば、アメリカ政府が健康や病気と取り組む政策には、『がんとの戦い』『疾病との戦争』『魔法の弾丸』とか『征服』『駆逐』『勝利』などと、やたら戦争 に関わる比喩が使われます。感染症の時代はそれでよかったのですが、これからの慢性疾患中心の社会は定常型社会のコミュニティとかゆとり、自然とのつなが りといったもうちょっと柔らかい、総合的、全体的な視点が必要ではないでしょうか。健康だけが価値ではないので、身体的な健康を示すヘルス (Health)というよりは、身体的、精神的、社会的に良好な状態を示すウエルビーイング(Well-being)ということがこれからのキーワードに なると考えています」