在宅医療と伝統医学 第1回「家族同服」
後藤学園付属入新井クリニックで漢方外来を担当(毎週火曜日)する北田志郎先生に、在宅医療の現場での伝統医学の活用について、報告していただきます。1回目は、子供の疳の虫に用いられてきた抑肝散(よくかんさん)という漢方処方の投与方法として知られる「母子同服」のバリエーションとして「家族同服」について取り上げていただきました。てんかん発作を繰り返す少年と保護者である母、認知症の夫と介護する妻が、それぞれ同じ漢方薬を服用したところ顕著な有用性が示されたとのことです。
北田志郎(きただしろう)
1991年東北大学医学部卒業。 その後,東京都立豊島病院臨床研修医(内科系・東洋医学専攻)を経て、 1993年東京都立広尾病院神経科 1995年東芝林間病院神経科 1997年精神医学研究所附属東京武蔵野病院 2000年天津市立中医薬研究院附属医院脾胃科に留学、その後、後藤学園附属クリニック医師として勤務 2003年より千葉県で地域医療を特徴としているあおぞら診療所で勤務。最近はとくに精神医学・中医学と地域医療と関連する研究に力を入れている。帰国した残留孤児達の心身の健康をサポートするボランティア活動などにも、積極的に携わる。
在宅医療と伝統医学の結びつきが拓く可能性
こんにちは。北田志郎と申します。現在私は、在宅医療を営みの中心とした診療所に勤務しています。在宅医療とは、患者さんがご自宅で受けることができる医療のことを指します。ご自宅へうかがう医師の立場からは「訪問診療」という呼び方になります。
私は中国短期留学を経て、2000年から後藤学園付属クリニックに赴任しました。立ち上げから約3年間漢方外来を担当した後、友人たちが運営している在宅医療専門の診療所の一員となってこの世界に飛び込んだのです。「現代医学がどんどん進歩し、グローバル化しようとしている現在、東アジアのローカルな伝統医学の存在意義はどこにあるのか?」という自分自身の問いに対する答えを求めての転身でした。現在でも「往診する漢方医」はそれほどたくさんいないと思われますし、読まれるみなさんもピンとこないかもしれません。そんななかで少しでも、「これからの医療の切り札」とも呼ばれる在宅医療と、東アジア伝統医学との結びつきが拓く可能性について、お伝えできればと願っています。
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母との同時服用でてんかん発作が大幅に緩和
A君は12歳の男の子。ご両親とマンションで3人暮らしをしています。2歳の時に脳性マヒと診断され、そのうちてんかんの発作を繰り返すようになりました。抗てんかん剤を用いても発作を完全に止めることができず、今でも連日のように白目をむく発作が起こります。よだれが多く、飲み込みの力も弱いため、口の中の雑菌が気管支から肺に入って起こる誤嚥性肺炎を繰り返しています。
この冬のこと。肺炎がこじれて生死の境をさまよう事態が起こり、栄養を確実に確保するため「胃ろう」の造設を行いました。胃ろうとは胃の内側からおなかの皮膚に向けて設けるトンネルのことで、ここにチューブを通し流動タイプの栄養剤を注入します。が、A君はその後も肺炎を繰り返しました。春には中学に進学したのに通学もままならない状態となり、私たちの診療所の訪問診療を受けることになりました。
初めてご自宅へうかがうと、服やおもちゃが所狭しと並んでいるのが目に飛び込んできました。お母さんは一人っ子のA君をたいへん可愛がっておられるようです。「買い物のたびに、つい何か買ってしまって…」と笑って説明されています。A君は言葉を話すことができませんが、満足できることとそうでないことははっきり発声して伝えてくれます。
そんなお母さんですが、ある時その口からA君のケアについて愚痴がこぼれてきました。こんなことが語られたのです。
「Aは学校にも通えないので、常につきっきりでいなければなりません」
「隣町に住む私の父(A君にとってはおじいさん)の具合も良くないのに、Aの世話で手一杯だから、思うように面倒をみることができません」
「いらいらしてついAに当たってしまうことがあります。通院している内科クリニックで数種類の精神安定剤をもらって服用しています」
そのうちおじいさんの容態はいっそう悪くなっていきました。それに呼応するかのように、A君は叫び声を挙げ、扉に頭を打ちつける自傷行為を示すようになっていったのです。
こうしたことを聞き、私は「抑肝散の適応ではないか」とひらめきました。A君とお母さんの2人に抑肝散エキスを処方し、「一緒に飲んでくださいね」と指示したのです。また、お母さんのほうには、診療所から定期的に精神科専門医が訪問することになり、カウンセリングを併用することになりました。
まもなく素晴らしい効果が示されました。A君の叫び声と自傷行為は訪問の度に減っていき、機嫌よく過ごせるようになっただけでなく、てんかん発作の程度も軽くなっていったのです。お母さんのほうも情緒が安定し、部屋の整頓にも手がつけられるようになっています。
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夫婦同服で取り戻したひと時の平穏
B氏(85歳)とB夫人(81歳)のご夫妻から、訪問診療の依頼がありました。B氏は数年前から認知症の症状が出始めていましたが、3ヶ月前に肺炎を起こし入院したことがあります。肺炎は速やかに治癒したものの一気に体の動きが鈍くなり、リハビリも認知症のために進まなかった結果、ほぼ寝たきり状態となっていました。
一方B夫人は、腰や膝の変形性関節症のため歩行が不自由だったのに加え、1年前に大腿骨の付け根を骨折しています。歩行器で室内を歩けるくらいに回復はしていますが、3階にしつらえられた玄関からの外出は困難を極めます。長男一家が片道2時間の距離を通いながら、通院を支えてきました。そして、B氏の退院を機に、夫妻で訪問診療を受けることになったのでした。
初めて訪問すると、お宅は切り立った崖沿いに建っています。外階段を昇って3階に玄関がある4階建ては、独創性に富むご自慢のお宅だったのではないかと思われます。B氏は長い間商店を経営し、B夫人は創作の分野でご活躍する中、4人の子どもを育ててこられました。しかし、いまやその子どもたちも巣立ってそれぞれの拠点を築いています。かつてにぎやかだっただろうこのお宅はいまやむしろ、社会との隔絶の象徴となってしまっているかのようです。
そこで、この時居合わせたBさんの長男らのご家族には、現在の住環境は二人のリハビリにあまりに不利であり、介護態勢もあまりに脆弱であることを伝えました。そして、だれかが同居してあげるか、老ご夫婦の住み替えをしたことがよいことなどを伝えています。もちろんご家族も事態を深刻に受け止めておられましたが、すぐには環境を変える状況にないようでした。
初回の訪問診療を行って3日目のこと、B夫人が強いめまい感を訴え臨時往診を依頼してきました。うかがうと B夫人はベッドに横たわっていました。私がベッドサイドに近づくと、「お父さんが帰って来てからこうなった」と聞こえるか聞こえないかくらいの声でおっしゃいます。最初にうかがった時に食欲不振を訴えておられたので、流動タイプの栄養食が処方されていましたが、それにも全く手がつけられていません。長男宅に電話をかけて事情を聞くと、介護保険によるヘルパーと、自費で雇い入れている家政婦が計1日5回入る態勢になっているそうです。しかし、B夫人は他人に任せることをたいへん気に病み、B氏のオムツ替えなどを無理して行っていたようだ、とのことでした。
診察を一通り終え、私は「桂(けい)枝(し)加竜骨(かりゅうこつ)牡蛎(ぼれい)湯(とう)」という薬を処方することにしました。B夫人には、「赤の他人が入れ替わり立ち代りお家に入ることはさぞ気ぜわしいでしょうが、家族共倒れにならないよう任せられることは任せてしまいましょう」と申し上げました。その時、B氏のお部屋は居間を挟んで一番奥にあることに気づきました。つまりお二人のお部屋は階の端と端、一番離れたところに位置していたのでした。
B夫人のめまいは翌日には解消され、食事も少しずつノドを通るようになっていきました。漢方薬を気に入って下さり、笑顔も見られるようになってきました。一方B氏も少しずつ体が動くようになってきました。
ところが介助や見守りの機会が絶対的に少ない環境下において、中途半端に動けることはかえって危険を招くことにもなります。B氏が床に倒れていたり、壁に放尿していたりするのを、ヘルパーさんが発見するようになりました。
さらにそうした中、Bさんが家政婦やヘルパーさんに抱きつくなどの性的逸脱行動を起こすようになり、家政婦さんが退職するという事件が起こります。そのまま介護破綻に直結する事態でした。
B氏とは部分的には会話が成り立ちますが、お話のほとんどが「的外れ応答」で「事件」についても何を聞いてもよくわかりません。こうしたご夫婦の状況について、長男夫婦は「まるでシーソーに乗ってるみたいに、どちらかが調子よいとどちらかが悪いんですよ」とおっしゃっています。私はこうしたことを聞いて、「B氏にも桂枝加竜骨牡蛎湯を処方しよう」と決めました。
効果はてきめんで、服薬が始まってから性的逸脱行動は全く起きなくなったのです。これまでのヘルパーさんによる介護を継続され、ご夫妻ともに穏やかにお過ごしになることができました。
半年後、お二人は住みなれたお家を離れ、市内の老人ホームへと移っていかれました。私達は新しいお住まいにも往診に伺いましたが、B夫人はほどなく肺炎に罹られ、息を引き取られました。
個々の所見ではなく家族共通の状況から処方を選択
現代医学の観点から見れば、在宅医療とはハイテク機器の導入が困難であることから検査や治療の手段が著しく制限されている環境です。しかし伝統医学の実践者にとっては、患者さんの暮らしを直接体感し、弁証に組み入れていくことができる点で、外来や病棟よりむしろ有利な環境であると言えるのです。
A君親子に処方した「抑肝散」は16世紀の小児医学書『保嬰撮(ほえいさつ)要(よう)』に登場する処方で、こどもの夜泣き、疳の虫、ひきつけに対し用いられてきました。そして「子母同服」つまり「お母さんも一緒にこれを飲みなさい」という指示が為されている最初の文献としても知られています。5世紀も前の文献に、家族システム的観点が提示されているというのは医学史的にみて驚くべきことです。ただ実際母子関係だけでなく、家族の人間関係が症状に大きく関わっている場合は、父子、夫婦、兄弟姉妹の間でも弁証が似通ってくることは珍しくありません。一方在宅診療においては、患者さんのみならずご家族の健康・精神状態をも勘案することが極めて重要であり、しばしば家族療法的なアプローチが必要となります。ここに、在宅診療において漢方薬の「家族同服」を試みる意義があると考えています。
今回の2つの症例では、あえて舌・脈診をはじめとする患者さん個々の所見を省略してみました。A君親子については密着した関係で互いに焦燥感を募らせていることや、物が整理しきれないお家の有様が、B夫妻については孤立感・不安感を背景に、お互い距離を持ちつつも敏感に影響し合ってしまう状況が、それぞれの処方選択に大きく関わっていることをお示ししたかったのです。
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