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鍼灸のこれから – 4

鍼灸の広がりを語る

後藤学園は日本で最も早く、鍼灸教育に中医学を導入した。これは伝統ある優れた治療術を、単なる「肩こり・腰痛治療」に閉じ込めておくのではなく、全国民が幅広い領域に利用できる医療に発展させようという戦略に基づくものだったのである。その鍼灸のなかで、たとえばスポーツ鍼灸と呼ばれる分野への関心が高くなり、「スポーツ選手の故障を癒す医療から、生涯スポーツを支える医療へ」という視点を備えるようになっている。さらにアメリカでは鍼が医療費高騰を救済する役割をもつのではないかと注目を集めるようになった。広がりを見せる鍼の世界のこれからを展望していく。

後藤修司 (後藤学園理事長)

鍼灸は「カウンター・メディスン」

2003年の「日本伝統鍼灸学会」で、九州国際大学経済学科の石田秀実教授が「気の思想と科学」という演題で講演をされましたが、非常に印象に残るお話でした。石田教授はこのなかで、「鍼灸医療は現代医学に対するカウンター・メディスンである」と語っておられます。「カウンター・パンチ」という言葉がありますが、その意味からすれば鍼灸は「現代医学に逆襲する医療」ということになるわけです。
現代医学は心と身体は別物とする二元論を背景にしていますが、東洋医学は心と身体は一つであるという一元論の上に成り立っています。また、現代医学は病気になれば、一つの臓器だけに焦点を当てて患部を治そうという特質がありますが、東洋医学では全身の健康状態を大切にし、自然治癒力を最大発揮することを目指した医学です。さらに現代医学は病気になった人を治療する医学ですが、鍼灸医学でいちばん大事なのは未病、すなわち病気予防ということです。石田教授は東洋医学がもっている特質について、このように非常にダイナミックな提言をされました。これらは私たちが「鍼灸のこれから」ということを考えるときに押さえておかなければならないポイントなのではないかと思います。
もちろんだからといって、「鍼灸が現代医学を凌駕する」といっているわけではありません。私たちは現代医学が果たしてきた役割や恩恵に浴しつつ、やはりそのなかに行き過ぎている面や不足しているものがあることを認識し、それらに対して鍼灸がカウンター・メディスンである、というふうに位置づけられるのではないかと考えます。

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世界で受け入れられてきた鍼灸

一般に鍼灸医学は中国で生まれて中国で育ったものと考えられていますが、歴史を振り返ってみると、じつは世界中に鍼灸のような治療法が広がっていたことがわかってきました。世界で初めての鍼治療の事例は、アルプスの南側に位置するイタリアのシュナーレスという地方の氷河の中から発見された5300年前のミイラだと考えられています。また、紀元前一六世紀の古代エジプト最古の医学の記述とされるエーベル・パピルスには鍼灸の経絡に酷似した身体の管の図が描かれているそうです。いまもなお、インドなどアジアの人々は、北極のイヌイット族やブラジルに住む部族、南アフリカのバンツー族などは、鍼灸に類似した治療を受け継いでいます。それらをきちんと体系化してきたのはもちろん中国であり、その体系化された鍼灸はいまや欧米をはじめ世界中に広がりを見せるようになりました。
日本で鍼灸治療を受けている人は、現在の国民の10%にもならないと考えられます。一方アメリカを見ると、国民の半数以上が代替医療を受けており、鍼灸治療を受けている人がそのうちの20%といわれるようになっているのです。ですから、割合からいえばアメリカの鍼灸治療の普及は日本にひけをとらなくなっているし、人数からいえば日本人の倍くらいの人が鍼灸治療を受けていることになります。
このような状況を見ると、1300年の鍼灸の歴史をもつ日本の私たちでさえ気づかない、驚くような分野や疾病に鍼灸の利用が浸透し、期待されるようになったことがわかります。もしかすると日本ではあまりに鍼灸が身近な存在だったために、あるいは明治時代の医制改革を引きずってきたために、肩こり・腰痛治療や「お年寄りの養生のためのもの」という固定観念から抜け出すことができない部分があるのかもしれません。

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自分への気づきを与える医療

私はこれまで、鍼灸医学が世界に貢献する役割をもつことを提唱してきました。それはすなわち、「治療医学」「予防医学」「社会医学」「科学分野」「ライフスタイル」の5つの分野にまとめられます。
このうち科学分野で鍼灸がどういう貢献をするかといえば、たとえば未知の領域への科学的なアプローチをもたらすということです。1972年に鍼麻酔が世界 に報道され話題になったとき、なぜそのようなことが起こるのかをという追試が行われたのですが、これは日本より欧米のほうで圧倒的に研究が進みました。そ して、そのなかから痛みそのものの研究がとても進むことになったのです。

国際ストレス学会風景

また、心療内科の草分けである元九州大学教授の池見酉次郎先生が指摘された、体調と心の健康は互いに関係するという「心身相関」という側面からも、鍼は大 きな役割を果たすと考えられています。たとえば鍼灸で体調を管理することが、精神的なストレスを緩和することに結びつくかどうか、あるいはどのように結び つくかを探ることができるでしょう。
さらに、私たちの臨床施設でもよく経験することですが、鍼灸治療を受けた人が風邪を引きにくくなるといったことがよく起こります。また、後天的に免疫不全に陥るエイズの患者さんに対して針治療が行われており、症状を改善したり延命する効果があるといわれるのです。これらは鍼灸に免疫能力を賦活させる働きがあるのではないかと考えられるわけですが、それがどういう仕組みで起こるのかという研究も進んでいくでしょう。
鍼灸が人々のライフスタイルにどのように関わってくるかといえば、自分の中で心身のバランスがとれているかどうかといった自分自身への気づきをもたらしてくれることが挙げられます。やはりこれは東洋医学の背景にある東洋哲学の考え方に基づくものであり、近代社会の考え方に対するアンチテーゼとしての役割を求めることができるわけです。

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現代医学の限度を埋める混合医療

日本の医療保険は、誰でも健康保険証1枚で診療が受けられる、すなわち病気を早く見つけて治すという面では世界に冠たる仕組みだと思われます。それでも、患者さんの非常に多様な医療ニーズに必ずしもすべて応えることができるものではありませんでした。そのなかで、保険診療の適用が認められていない治療法を自由診療として組み合わせる混合診療の仕組みが待望されています。
たとえば現代医学では医師が「患者さんの話をもっとゆっくり聞いてあげたい」と考えていたとしても限界がありましたが、鍼灸なら、そうしたニーズに応えることができる可能性があります。浜松医科大学の永田勝太郎先生は鍼灸師について、「片手に鍼灸、片手にカウンセリング」と言われました。鍼灸師は患者さんの話に耳を傾けながらそれに対応していくという働き方ができる非常に稀有な医療職種ではないでしょうか。ですから私は患者さんが希望するのであれば、混合診療のもとにそうしたサービスが受けられるようにすることが必要だと思います。
また鍼灸医療はQOL(生活の質)の向上という面でも役割が注目されます。人間の自然治癒力にも限界があり、治りにくい病気や不治の病気もあるし、大病や大事故で命は助かったけれども後遺症が残っているということも少なくありません。このようにいままでの医学では対応できないような疾患の患者さんに対しては、身体のあちらこちらが痛いとか、食欲がないといった症状を緩和する治療が主眼になります。
鍼灸を含む東洋医学では、「気の流れを整える」と表現されるように、身体のバランスを整えるということを重視してきました。そして、現象として鍼灸治療を受けると体調が良くなるということを大半の人たちが経験しているわけです。これは必ずしもエビデンスに裏付けられた話ではありませんが、そうした東洋医学の働きが、がんの末期のターミナルケアや長期入院患者の愁訴などを和らげるうえでおおいに貢献できる可能性があります。

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期待される病院の中の統合医療

日本で鍼灸が大きく伸びるためには、やはり身近な医療として存在する病院の中で鍼灸治療が受けられるという仕組みが大切だと思います。大勢の患者さんを相手にする医師のもとでは、多様な鍼灸のニーズが発生するのではないでしょうか。
たとえば岐阜大学医学部の例で、入院中のお年寄の排尿困難に対して投薬をしていましが、今度は頻尿や尿漏れなどの副作用が出てきました。そこで、薬をやめて鍼に切り替えるとすっとスムーズに排尿ができるようになったとのことです。あるいは、入院中に眠れないという患者さんに鍼を用いると、入眠導入剤を使わなくてもよく眠れるようになった例が報告されています。
また、東大病院の人工透析の研究会では、最初CAPD(持続的可動式腹膜透析)の治療を受けている人が鍼灸治療を受けていると、人工透析に移行するまで時間が長くかかることが報告されています。すなわち鍼灸により全身状態を改善することにより、病気の進行を抑えることができるというわけです。
しかし、病院の中でこのような鍼灸治療を取り入れた統合医療を実現するためには、社会保障の制度を変えていくことが前提になります。当面は混合診療により鍼灸を病院へ入るようにできることが非常に重要だと思います。
混合診療について開業の鍼灸師などは、「患者がそちらへ行ってしまうのではないか」と非常に心配にしているかもしれません。しかし、私はそのことは杞憂に終わるのではないかと考えます。先進的な病院での鍼灸治療の導入は、そもそも患者さんのニーズが大きいから実現したものです。こうしたニーズに応えるしくみが確立すれば、鍼灸の全体的なパイはますます大きくなるのではないでしょうか。

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志があれば前途は明るい

高齢化社会が訪れるなかで、現在は少子化の問題もクローズアップされるようになりました。そうしたなかで、子どもたちにも糖尿病や高血圧などの成人病の問題が広がるようになってきました。インスタント食品やファーストフードに頼る食生活や運動不足のことなども問題になっています。東洋医学や鍼灸は、子どもたちに対しても役割を果たすことができると思います。
最近の子どもは多動性障害やキレやすさなど情緒不安の問題も指摘されていますが、こうした分野で小児鍼も注目を集めています。アメリカでも非常に子どもの情緒不安の問題が取り上げられるようになっており、最近カリフォルニア州立大学からこのことで共同研究を呼びかけられています。
スポーツの分野では、身体が資本の選手たちが、自らの身体管理の方法として「これがいい」と選ぶもののトップに鍼治療が挙げられるようになっています。野球やサッカーなど、プロのチームは選手たちが必要とするものを揃えなければならないはずです。そのため、オーナーたちに働きかけるなど、今後この分野でももっと鍼灸を職業として確立できる仕組みにしていく必要があると考えています。
最近、当学園の入学希望者には、「将来女性のための診療所を開きたい」と話す人が増えてきました。「性差医療」ということが強調されるようになっていますが、女性は男性と違う身体のメカニズムがあって身体の変調をきたしやすいし、妊娠・出産という問題もあります。また、ダイエットや美容のニーズも小さくありません。さらに現在、当学園でとくに力を入れて取り組んでいるリンパ・ドレナージは、子宮がんや乳がんなど女性に多いがんの後遺症であるリンパ浮腫に対応するものです。アメリカで今日代替医療の市場が広がった大きな要因は女性のホットフラッシュの問題対策だったといわれます。こうした意味で、「女性の鍼灸」というアプローチもきわめて重要であるといえるでしょう。
このように鍼灸は、現在あらゆる分野でその特質を生かすということが可能になっています。そのなかでやはり最大の障害になっているのは世の中の仕組みであり、政治家や行政の担当者にはぜひ視点を変えてもらいたいところです。
一方、医療関係者には身近にあった鍼灸を「古臭い」というふうに考えている人がいるかもしれませんが、これに対して私たちは新しい鍼灸教育がなされているのだということを世の中に示していかなければなりません。
そして、鍼灸が安全な医療手段であり、安心できる人たちが提供する医療であるということを出すべきです。そのため私は以前から主張しているのですが、鍼灸師の免許の更新制が必要ではないかと考えています。
鍼灸は今後、我々教育の側も含めてこれから変わっていかなければなりません。そのとき、欧米の研究や臨床の動向は大変参考になるので、向こうのニュースをしっかり把握していってほしいと思います。当学園の卒業生が鍼灸に関する新聞や雑誌の情報をまとめたメルマガ「Dラボ」を発信しています。ぜひ購読するようお勧めします。(http://www.vizavi.jp/dlabo/mosikomi.html)
鍼灸師は現在のところ、病院の中にすんなり入れる職種でもないし、開業も大変困難がつきまとう時代になっています。しかし、志をもって進めば大きな可能性が開けようとしているときでもあると考えています。