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がんの受容を考える – 2

上海がんクラブ『上海癌症康復倶楽部』を訪ねて

自らのがん体験をもとに、「がん=死」ではないと、医学の可能性を信じ、生きる喜びを感受し生き方を変え、その経験を他者へ還元するがんネットワーク

吉村克己 (ルポライター)

生きる希望を湧かせた上司の言葉

郭林新気功をする人たち

上海に6000名のがん患者たちが自分たちで運営する『上海癌症康復倶楽部』がある。彼らはがん患者であることを受容し、孤立を否定し、仲間を求めて集団でがんと闘う方法をつくりあげた。
ことの始まりは、八一年の春、袁正平さん(当時三一歳)が急に倒れ病院に運ばれたことによる。担当の医師は病状を「第四期の悪性リンパ肉腫で一年以上は生 きられない」とがんの宣告をした。好きな演劇活動で知り合った新妻の湯恵琴さんと七日前の春節に結婚式を挙げたばかりで、人生の最大の喜びを享受している 真っ最中の出来事だった。

7日間の甘い新婚生活からがん病棟へ、そして一年という限られた時間と生命。宣告された当時を振り返って袁さん は、「何ともやり切れない恐怖心や、希望を絶たれたことへの悲しみ、健康な人への妬み、なぜ自分だけがんになるのかと自分を責めてみたり、泣いたり怒った り、感情も不安定で、ふとわれに返ると自殺まで考えていた」という。
そんな死神と向かい合うような闘病生活のなか、袁さんに生きる希望を湧かせる一つのエピソードがあった。ある日布団をかぶって泣いていると、そこに義足で 松葉杖をついた男性が真冬だというのにおお汗をかきながら笑顔で立っていた。その人は若い袁さんにとってはいままで話す機会もなかった上司の張さんであっ た。
張さんは重度の身体障害者で、病室のある六階まで松葉杖と義足を頼りに、階段を一段一段必死な思いをして登って、末端の部下のお見舞いに来てくれたのだ。

彼は袁さんを勇気づけようと袁さんの手を取りながら「いま、君の人生は世間一般でいう第一の人生だね、そして普通は、数十年後に第二の人生という穏やかな 老後が待っている。しかし第三の人生というものもある。それは死の脅威に直面するほどの困難に出会ったとき、ひるまず戦いを挑む人生のことをいうんだ」 と、ハンディキャップを背負った自分の実体験として、他に普段あまり話したことのない話をしてくれた。

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第三の人生を選択

この突然の張さんの来訪は、袁さんにとって「現実をありのままに受け止め、そして自分がいかに誰かに必要とされているかを知る」ことの重要さを教えられるものだった。
化学療法で心身を痛めつけられながらも袁さんは、張さんのように第三の人生を選択し、自分を必要としている最愛の妻と年老いた両親のために何としても生き延びようと決心した。
すると、同じようながん患者で同じ療法をしていながら、治療効果の良い人と悪い人がいるのに気づいた。どうしてかと疑問を持つようになり、さらに注意深く観察すると、患者に二つのタイプが存在するのが分かってきた。

5年の生存の祝いと、第3の人生への誕生会

一つは楽天的な性格で、積極的に治療に参加し、病室でも社交的な人たちだ。もう一方はがんの重みに自己喪失し、治療においても受動的な人たちであった。前 者の人たちの方が治療効果は著しく上がっているように見受けられた。そして自分は生来、楽天的な性格だったのを思い出した。そういったことを思い出すこと 自体、自分の中に秘められた潜在能力が、いま現在発揮されていることに気づき、喜ばずにはいられなかった。こうして袁さんは驚異的な回復力で退院は果たし たものの、最初に宣告された「余命一年」という言葉がまだ胸にわだかまりとなって重くのしかかっていた。

気功との出会い

そんななか、当時北京で始まった「郭林新気功」というがん気功が上海に伝えられると早速参加し、袁さんはそこで郭林先生の唱える「がんは死の宣告に非ず」というスローガンを知る。そしてこの言葉が後に第3の人生を切り開くキーワードとなっていくのである。

「気功を習い始めると最初は息切れがして5分と立っていられないのですが、毎日訓練することで10分、20分と続けられるようになり、自分が回復に向かっ ているバロメーターになりました。そして気功をすればするほど化学療法からくる副作用にも抵抗感を示すようになってきました」という。

宣告された1年目を乗り越えると「死神から命を取り戻した」と実感するようになっていた。そして5年目に、医者から化学療法の終わりを告げられたとき「が ん=死ではない」ことを実証したのだと、郭林先生のスローガンが沸々と胸にこみ上げてきた。「どうして、がんにうち勝つことができたのかを考えるとき、西 洋医学の化学療法を受けたこと、張さんや妻の励ましの言葉、そして毎日の目標としての気功、これらが三位一体となって、身体の治療、心の治療が同一方向で 行われたことではなかったか」と思えてきた。

がんクラブの誕生
この命の尊さを考える時間と経験が袁さんの人生観を一変させた。自分が闘病生活をしていたときにいちばんつらいことは何だったのか、その時、人からどうしてもらいたかったのかなど、体験したことをがん患者同士が伝え支え合わなければと思った袁さんは、「自分の経験を人のために、人の経験を自分のために」がん患者同士のネットワークをつくる必要性に気づいた。
そして情報を早く正しく伝え、『がんになる│気落ちする│再発や転移する』といった悪循環を絶つために、89年に『上海癌症康復倶楽部』を発足させたのである。

5年生存を祝い、生命の樹を植える

「私たちのがんクラブのいいところは、みんなががん患者だということです。がんになると、医者や家族、友人などからさまざまな励ましの言葉や心構え を言わ れますが、がんに罹った者としては理解はできてもなかなか受け入れられないものなんです。「なぜ自分だけが」という思いと、あなた達はがんに罹ったことが ないじゃないかという思いが湧いてきます。その点がんクラブはみな体験者ですから、細かい感情のひだまでサポートすることができ、安心して何でも話せるよ うになるのです」

上海がんクラブでは自分たちの集団治療行為を代用医学と呼んでいるが、これには前提がある。「私たちが行う行為は、医学 的な第一次治療の代替という意味で はなく、第一次治療が終わった後に自ら行う集団治療のことで、医師の代わりになにかをするということではありません」という。
病状をコントロールしたり、緩和することはすべて医師にまかせるが、心理的側面も含めた身体全体の健康回復には潜在能力を発揮させることが必要だ。

そのためには西洋医学だけでなく中医学、心理療法、体質鍛錬、食事療法などを合わせ持つことが重要であり、そうすることによって再発、転移、生存率どれを とっても最も良い結果が出ることをすでに体験している。医学の可能性を信じ、なおかつがんを見つめ直す信念と、生きる喜びを感受し、それを感謝し、生き方 を変え、その経験を他の者のへと還元する。この一連の行為ががんを患っていながら「がんは恐ろしくない、意味ある人生を笑って生きる」とまでいわせる。こ れが袁正平さんと6000名のがん患者仲間とが、必死の思いでがんと闘ってきた到達点なのだ。