東名厚木病院スタッフ医療活動支援報告。
二人の看護師さんが勤める社会医療法人社団・三思会、東名厚木病院スタッフは3月11日の東北大震災に対して,全日本病院協会の医療救護班の派遣依頼の呼びかけに応じて3月31日より1ヵ月間の医療活動支援のため被災地気仙沼に向かった。
東北震災医療支援(気仙沼)に向かった看護師はその時なにを考えたか。
東名厚木病院では全日本病院協会の呼びかけに速く対応し医師一名、看護師1〜2名、理学療法士1名、医療事務員1名の四人一組のチームを作った。また震災の大きさを考えて長期間に渡ると交代で医療支援に当たれるようにと8チームを編成した高瀬由佳看護師、檜山由起子看護師の両看護師は、初動隊として医師1名、医療事務1名の4名で被災地気仙沼に向かった。
東名厚木病院先遣チーム
高瀬さん-当院は、医療支援を行うことが始めてのことであり、情報が無かった。最初は野宿を覚悟で車を調達し、準備した医療品や食料を後部が見えなくなる位車に積んで病院を朝7時に出発しました。現地には夕方4時頃に着きました。途中は震災にあったことが分からないくらい穏やかな風景が続いていましたが、港の方へいったとたん、一気に風景が変わりこれが津波の跡かと息を呑みました。全日本病院協会が中心になっている「気仙沼総合体育館・ケーウエーブ」に活動の拠点を置き医療活動を始めました。
ケーウエッブで支援物資の衣料品を選ぶ避難者
檜山さん-ケーウエーブには、多いときには1500人もの被災者の方がいて、各地から4?5の医療チームが活動していていましたが当初バラバラ感が歪めなかった。そこに奈良県と、静岡県の保健婦さんが応援に入ると地域医療連携に長けている分、全体に統一感が出てきました。地元の保健師さんは、ご自分も被災に遭われているにもかかわらず不休不眠で働いていました。そこに応援の保健師さんが入られると地域の情報が私たちのところまで直接に伝わってくるようになりました。
高瀬さん-こういった災害下では、その地域の状況がすぐに支援者には把握できず、地元の行政や医療者が中心となり判断を仰ぐことがとても大切であると学びました。私たちは避難している人達をローラ作戦と称し一人一人尋ね、患者さんがいないかを確認して歩きました。ところが避難所には毎日さまざまな支援ボランテアが訪ねてきており、それも短期間で医療者同士の申し送りも無い状態だったため、それらの対応が避難者にとってストレスになっているという状況でした。
各医療支援者同士のミーティングが行われるようになった
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安全生活支援への方向転換
檜山さん-そこで当初考えていた急性期医療から、避難所の方々の健康管理や介護介入へニーズが変化していることを感じました。現地に入ったばかりの頃は水が供給されておらず、ノロウイルスが流行しており、仮設トイレは便が山のように積み上げられていた。清潔な環境、排泄しやすい環境を整え健康を管理することが必要であると思いました。感染が拡大しないために消毒液は何を使って掃除したら効果的かを考え、当院の感染管理認定看護師に電話で相談。排泄環境を清潔に保つようにするためには、トイレの使い方を明記する、トイレを掃除する物品を揃え、避難されている方へトイレ掃除を委譲していくことが必要であり、現地の保健師と協力し環境を調整することにしたのです。
自衛隊員も参加してトイレ掃除
高瀬さん-そうなんです。救急医療が終わり、避難所での病気にならない生活支援を考えたとき、全体的に避難者の人数に対してトイレが足りないという状況であったこと、水が無かったことなどから、施設内のトイレは高齢者や身体の不自由な方のみの使用となっていました。しかし、外にある仮設トイレは、排泄物がそのままの状態で残っており、不衛生な状態で、感染症の恐れもありました。そこで生活支援の一環として、檜山さんと他のスタッフでトイレ掃除から始めた分けです。
清潔になったトイレ
檜山さん-一つの例ですが、60代の男性は原因不明の排便困難で3ヵ月入院をし、排泄管理方法を取得して退院となった方に出会いました。浣腸を使用した排泄管理であったため、避難所で浣腸を施行することができず、腹部の膨満感と食思低下を訴えていました。身障者トイレがあったので、そこにブルーシートを敷いて排泄が行えるよう環境を調整し、継続できるよう、保健師の方と調整を行ないました。食思の低下に対しては、医師と相談し半消化栄養剤(栄養が豊富な飲み物:薬剤)の摂取をすすめました。また、お粥や離乳食などやわらかい食形態の食べ物がケーウエーブの事務所で管理されていることを伝え、必要なときにもらいにいけることを説明し、継続介入されるよう保健師と調整した。ボランティア最終日に伺ったところ、排泄のコントロールも可能となり、体調が良くなったという言葉を頂き、嬉しく思いました。看護はどこでもできるのだと感じました。
高瀬さんー1000名もの被災者が仕切りもなく雑魚寝をしている状態では何処までが家族か、単身者かも区別が付かないという状態なのです。肺がんの患者さんが居られると聞くのですが、何処に居られるのか確認が取れないという状況でした。そこでここは被災した方々の生活の場だと考え、トイレを始めとした生活とこころのケアに目を向けたのです。
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臨機応変に被災者の健康をサポート
高瀬さん-避難場所には大勢のお年寄りがいました。避難所には多くの医療物資が届けられていましたが、それを必要な人に必要な分だけ配分することができていませんでした。例えば杖が10本あるのですが、全員には行き渡りません。すると10人の方達だけに渡すと、そのことで避難者達の間に問題が起こると困るからという理由から杖を渡せない。という感じで、支援物資が上手く活用されていない現状もありました。
被災者の話しを聞く
自衛隊の炊き出し部隊
食事に関しては、ここでは自衛隊の炊き出しがあり恵まれていたと思いますが、提供される食事内容が高齢者や特に入れ歯を無くしたお年寄りにはとても食べることが難い状態でした。また、様々な企業の支援があるのはいいのですが、チキンとご飯、ドーナツと何とかという感じで栄養の面からも心配でした。さいわい、支援物資の中に離乳食やドリンク剤があったのでそれらをすすめて栄養の確保をするというようなことをおこなった分けです
檜山さん-私たちのチームには理学療法士も加わっていたので特にこの時期での活躍がありました。急いで避難されたこともあり、サイズが合わない靴をはいているため膝が痛い、靴を履きっぱなしであっため、あたっていた部位に傷ができたという方がいました。そこでリハビリスタッフに「免荷」、靴に詰め物などして使用しやすくする方法を行うことで喜ばれていました。また問題視されたエコノミック症候群防予防や元々の病気で麻痺がある方の活動の維持ための運動療法、指導などを行ってきました。
体操をして身体をほぐす避難者
足を清潔にする
私たちの病院のような小さい病院では現場主義を取っていますが、そのことが臨機応変に被災者の方々と向き合えたかも知れません。
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心のケアをどうひきつぐか
高瀬さん-気仙沼に関して言えば、非常に沢山の医療資源が集まってきていました。それらを支援者側は地元の医療者と共に有効に活用しなければならないことも学ぶことができました。例えば、避難所での診察及び薬は無料ですが、地元の病院では有料になります。そうすると避難所に人が集まり医療体制に負荷がかかることもあります。
医薬品は持ち込んだものを使用しなくても良いほど支援されていた
私が出会った60代の女性は夫と娘さんを亡くしてしまいました。夜、眠りについても何度となく目を覚まします。津波で流されていく娘さんの顔が目をつぶると思い出され、眠ることができないのだと言います。元々は何の病気も無い方だったそうですが、血圧は200を超えていました。本人に説明し、薬を内服してもらったところ、血圧は下がり始め、安堵していると、その女性は「どうせ、帰るんでしょ?すぐに帰るんでしょ?私は一人になっちゃって・・・・」と言われました。そのことを思うと医療支援の側としても心の痛みを感じざるをえません。
仲良くなった分だけ別れが辛くなる
地元の医療者、医療支援者そして被災者の方々が避難所で受けた非常時の医療をどのようにして日常の医療に移行して行くかということも今後の課題として今も考え続けなければならないと思います。
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