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中医学とメンタルケア/中医診療日誌-27

在宅医療と伝統医学 第5回【認知症中等度~重度の経過と東洋医学的対応】

前回に引き続いてアルツハイマー病の症例です。抑肝散加陳皮半夏(よっかんさんかちんぴはんげ)の処方により周辺症状が大きく改善していたDさん(61歳男性)ですが、中心症状は進行するばかりで、排泄の問題も深刻になってきました。この時期に「本人の意志」を考えて、東洋医学的ケアを中心にした穏やかな終末を選択した家族の姿をお伝えします。

プロフィール写真

北田志郎(きただしろう)

1991年東北大学医学部卒業。 その後,東京都立豊島病院臨床研修医(内科系・東洋医学専攻)を経て、 1993年東京都立広尾病院神経科 1995年東芝林間病院神経科 1997年精神医学研究所附属東京武蔵野病院 2000年天津市立中医薬研究院附属医院脾胃科に留学、その後、後藤学園附属クリニック医師として勤務 2003年より千葉県で地域医療を特徴としているあおぞら診療所で勤務。最近はとくに精神医学・中医学と地域医療と関連する研究に力を入れている。帰国した残留孤児達の心身の健康をサポートするボランティア活動などにも、積極的に携わる。

八味地黄丸で夜間頻尿を改善

 Dさんがアルツハイマー病の診断を受けて2年、私たちが訪問診療による介入を開始して半年経っていました。抑肝散加陳皮半夏の効果もあって、Dさんの情緒は安定し、ご家族はようやく落ち着きを取り戻して穏やかな毎日を過ごすことができるようになっていたようです。精神安定剤をさらに減らすことができるようになりました。
 さらに1年ほど経つと、Dさん一家は新しく猫を飼い始めました。Dさんもとても可愛がり、心をなごませることができていたようです。
 ところが同じ頃、Dさんは訪ねて来た妹さんのことがわからなくなっていました。認知症の主要症状の1つである見当識障害です。
 見当識とは人間が他者と関わる日常生活に必要な基本的認識機能のことです。認知症においては時間→場所→人の順に見当識が失われていくとされています。よく知っているはずの人を認識できないのは、すでに認知症として中等度の段階に入ったことを示唆しています。家庭生活に様々な障害が出る段階です。
 その後1年の間にDさんは箸は使えてもおかずを選ぶことができなくなりました。家族がごはんの上にのせてあげることではじめて食べることができるという具合です。まだ服を着替えることは自分でできるものの、お風呂では石鹸をつけたタオルを渡さないと身体を洗うこともできなくなりました。
 ことのほかご家族を困らせたのは、排泄の問題です。尿意はあるようでしたが、トイレの場所がわからなくなり、間に合わずに漏らしてしまうことが出てきたのです。日中はご家族がもじもじしているご本人の様子を見て取り、タイミングよくトイレに連れていくことで対応できるようになりましたが、夜間はどうにもなりません。夫人や娘さんが気配を察して目を覚ました時には、すでに寝巻きだけでなく布団ごとビショビショになっているのです。ご家族はDさんに夜間だけオムツを着けてもらうようにしましたが、尿があまりに大量なためオムツから漏れてしまいます。それが一晩に何回も繰り返されるのです。 


 私はこの時点で抑肝散加陳皮半夏に加え、もう一剤漢方薬を追加することを決めました。 自分から進んでお薬を飲むわけではない方に2種類の漢方を処方することはできるだけ避けたいところですが、やむをえません。選択したのは八味地黄丸料エキスという処方です。認知症の中核症状は伝統医学的には「腎の衰え」と考えられていますが、八味地黄丸は、この腎の不足を補う基本方剤です。
 八味地黄丸の効果が現れたのか、飲み始めてほどなく、夜間尿の回数が減ってきました。回数をゼロにすることはできませんでしたが、尿のことが気になってほとんど眠れなくなっていた夫人にとっては、多少は安心できる成果です。一方、ご家族は防水のシーツをあつらえるとともに、排尿時間を見越して夜間もトイレに誘導することができるようにもなりました。

認知症末期に嚥下障害は必発

 八味地黄丸の作用は限られたものでした。さらに1年が経過する頃には、Dさんは尿意でもじもじする反応もなく、「気がつくと失禁している」という状態となっていました。もはや自転車の乗り方も忘れ、外出することもほとんどありません。こうした活動性や自発性の低下に対し、認知症の治療薬"塩酸ドネペジル"を再開してみましたが、かえって興奮しやすくなっただけでなく、身体の副作用も重なったのですぐに使用を断念しています。
 Dさんの尿にまつわるトラブルの背景には前立腺肥大もあったようです。往診開始後6年経った時点で尿閉(尿が膀胱にまでは溜まるが排尿できない状態)のため尿道カテーテルを留置しなければならなくなりました。このことに伴い尿が臭うようになり、八味地黄丸料エキスを竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)エキスに変えて対応しています。
 Dさんの認知症はもはや重度の域に達していました。身の回りのこと全てに介護が必要になってしまったのです。もうヘルパーさんが家に入ってもかつてのように落ち着かなくなることはなく、あれほどいやがっていたデイサービスも抵抗なく受け入れるようになりました。しかしどこで過ごすにしろ、ただ座ってボーッとしていることが多くなり、身体も次第に硬くなっていったのです。
 往診開始から7年半。とうとう嚥下の障害が出始めました。口にはヨダレが溜まり、うつむけば抜歯した隙間からヨダレが垂れてきます。この連載で以前ご紹介した半夏厚朴湯を用いてヨダレは減り、誤嚥性肺炎を防ぐことができましたが、Dさんは言葉もほとんど発することがなく、食事量も落ちて少しずつやせていきました。 私は、平日勤めに出て
おられるため一度もお会いできなかった娘さんにも同席してもらうため、定期往診のない土曜日にDさん宅を訪れました。認知症として終末期の状態に入ったことをご家族全員に告げるためです。

嚥下障害に対する三つの治療選択肢

 多くの方には、認知症が「死に至る病」であるという認識はあまりないと思います。通常死亡診断書の死亡原因に「認知症」と書かれることはなく、統計資料に表れることはありません。日本人の三大死亡原因は頻度の高い順にがん、心筋梗塞などの心疾患、脳卒中となっており、この3つで死因の55%ほどを占めます。第4位が肺炎でその数は増え続けており、近い将来脳卒中を抜いて死亡原因の第3位になるだろうと予測されています。この肺炎の中には、嚥下機能が低下して引き起こされる誤嚥性肺炎が少なからず含まれていると考えられています。認知症はそのタイプに関わらず、その末期状態には必ず嚥下障害をきたします。嚥下障害による肺炎を免れたとしても、それは必然的に食事量の低下を招くことになり、老衰過程が進むことになります。認知症の終末期とは自分の命を自分の力で守ることができなくなってしまった状態で、認知症は三大死亡原因を生き延びた方に訪れる慢性の致命的疾患であると言えます。そして認知症を患った方は、およそ10年の経過で臨終を迎えるとされているのです。
 認知症終末期を迎えた方にとって、その後については三つの選択肢があります。一つは経管栄養に移行することです。現在我が国で胃ろうによる経管栄養を受けている人はおよそ40万人とされていて、そのうちの少なからぬ方の原疾患が認知症と推測されています。胃ろうを造ることで本邦においては1年以上寿命が延びることが明らかになってきましたが、欧米諸国では寿命の延長効果はもっと短いとされています。そして欧米諸国では、認知症の方に胃ろうを造設して経管栄養を導入すること自体がご本人の苦痛を長引かせるだけのものとされ、原則行われなくなっています。
 選択肢の二つ目は、食事を召し上がれなくなってきたら無理には差し上げず、そのまま見守るというものです。絶飲食状態となれば数日後にはご臨終が訪れます。
 三つ目の選択肢は、主に皮下からの点滴を最低限行うことで二つ目の選択肢よりはゆっくりとご臨終を迎える、というやりかたです。そして胃ろうを造ることは入院して手術することを意味していますので、造るのであれば完全に召し上がれなくなる前の、まだ体力が充分残っている間に実施する必要があります。
 そもそもこうした生き死ににまつわる選択は、ご本人に委ねられるべきことでしょう。しかし認知症の場合、その判断をすべき時期には既にご本人はその意向を表明する能力を失っています。そしてわが国では、予め生き死にについての意向を表明しておくという土壌があまり育っていません。従って多くの場合、選択はご家族に委ねられることになります。私はこれら選択肢をご家族に提示する際、「ご家族のお気持ちというより、ご本人だったらどうして欲しいか、という観点からご勘案ください」と申し上げることにしています。
 Dさんご一家全員と直接お話する機会を作ったのは、この選択肢についてご相談するためでした。もちろんそうした選択肢についてはそれまでも往診の折々に少しずつ夫人に説明してきたことですが、もし胃ろうを造るのであればこれがラストチャンスという時期だったのです。

「できるだけ自然のままで」という選択


 Dさんは夫人と娘さんの間に、ちょこんと座っておられます。私が三つの選択肢について改めて説明をすると、そのあと夫人がゆっくりと話し始めました。 「胃ろうを造ることは望みません。あまりうまく言えませんが、それは『延命治療をしなくていい』ということとはちょっと違います。この人も、私も、これまで一生懸命生きてきました。そして、できるだけ自然のままで暮らしたい、というのが正直な気持ちなんです。今までもこの家に往診に来てもらって、ほとんどお薬も使わないで、漢方薬くらいでやってもらいました。そのままでいい、と思っています。その上でこの家で主人を看取って下さるなら、それ以上望むことはなにもありません」
 すると横で聞いていた娘さんが、涙を流しながらも笑いを浮かべて、言葉を続けました。 「私もまだ独身で家にいますので、夜と休日は私も手伝うことができます。家族を看取るというのは初めてのことなので正直不安はありますが、診療所のみなさんに教えてもらいながらやっていきたいと思います。それでいいわよね、お父さん。」
 私はお二人の話を聞きながら、7年半にわたる夫人のたたずまいを思い出していました。Dさんの認知症の進行につれ様々な介護問題が次から次へと起きたわけですが、夫人は介護の仕方で悩むことはあっても、まだ若くしてDさんを襲ったこの運命を呪ったり、変わり果てていくDさんのありさまを嘆いたりすることはありませんでした。Dさんの生と、その先にある死をあるがままに受け入れる姿勢をうかがうことができたのでした。「それはむしろ人間にとって最高の知性だと思います」と私は胸の内でつぶやいていました。
 Dさんはこの間もずっとおとなしく座っておられました。声を掛けられても反応はありませんでしたが、妻と娘に挟まれ、そのお顔はこれまでになかったくらい穏やかに見えました。