小学校同級生の吉田くんが重い病気になった
舞台美術装置を作る(株)メックデザインの社長である井上和夫さんが電動車いすの制作に携わった切っ掛けは、小学校の同級生で一級建築士とし活躍している吉田さんが筋ジストロフィー症という病魔に襲われたことだった。吉田いすに乗る吉田さんと井上さん
注文の多い依頼主
吉田さんは病気と戦いながらも事務所で仕事をこなしていた。そこには昔ながらの仲良したちがいつも集っていた。ある時、仲間の1人が足の萎えてきた吉田さんがキャスター付き事務椅子でごろごろ音を立てながら移動するのを見て井上さんに舞台装置を作っているのだから何とかならないかと言ってきたからだと言う。 それまで車いすのことなどなにも知らなかった井上さんは「吉田くんのためにやってみるか」と軽い気持ちで引き受けた。
ところが吉田さんは一級建築士という職業柄のせいか、注文の多い依頼主であった。吉田さんの車いすに対するイメージは、医療器具のように見えないいす、楽しい感じのいす、狭い屋内でも使えるいす、家具のようないす、そして仕事場でも使えるいすなどなどと言う。
図面を引いて持って行くと、さらに細々と注文が出された。例えばフットレストは、しゃがめないので折りたたむ方式ではなく固定の小さいもの、アームレストは上がる方式で、トイレやベッドへの移行に便利なように、電磁ブレーキの解除スイッチは背もたれにして、などなど多岐にわたった。
多くの利用者と出会うために
これらの要望を一台の電動車いすに組み込むためのパーツ探しが、日本では困難なことが段々わかってきた。そこで井上さんはネットで検索し続けると台湾の小さな電動車のメーカーに行き着いた。台湾では「自転車以上自動車未満まで」を作る世界市場がある。そのことが分かると、すぐに台湾に飛びメーカーと商談成立させた。パーツの心配が無くなると本格的に電動車いす作りが始まった。そして「吉田くんの、吉田くんのための仕様電動いす作り」に没頭し技術蓄積をしてきた。
キッズムーン・チィルトに乗ってこの経験を他の障害を持つ人たちへつなげたいという思いがふつふつと湧き上がってきた井上さんだが、どのように利用者にアプローチしていいか見当もつかなかった。2007年に初めて福祉機器展に出品すると用意したパンフレットが瞬く間に無くなるほどの注目を集め、その時出品した一つに子供用のモデル「キッズムーン・チィルト」があった。「パパが作ってくれたみたい」とハンデキャプを持つ子どもたちが喜ぶ姿に、吉田さんからの注文「医療器具に見えない電動いす」を思い出したと言う。これはただの移動道具ではない「自分の足のような電動車いす」、そして電動車いすを利用することで、生活の中の様々な局面で、利用者に心的プレッシャーを与えないQOLの高い製品を作ることを目指すことだと思った。「やっぱりカッコー良くなくちゃね」と井上さん。
利用者の思いと落差
自分がやってることは単なる電動車いす作りではなく、メディカル・エンジニアリングという医療や福祉の分野であるということを自覚していった。表示井上さんのところへ松戸特別支援学校から二台の貸出依頼が来た。授業で車いすの使用訓練があるためだ。中でも脳性マヒの生徒に使いたいのだが「ほとんど寝たきりで、使える身体機能があまりない、車いすには座らせることができるが、スピードが速すぎるような気がする。きっと恐ろしがると思うので、スピードを遅くすることができるか」と注文が付いていた。
新しい車いすの開発に挑む井上さん椅子など家庭にある道具を使って欠かさずに運動を行う低速仕様にして乗ってもらうとゆっくりスピードしか出ない電動車いすに「なんで速くならないの?」といぶかしそうに言われた。その言葉を聞いて「やったー」と思いました。「そうなんだ、利用者には、その人が求めるスピード感覚というものがあるのだ」。固定観念で安全安心を思うあまり、利用者個々のニーズを封殺してはいけないのだ。担任の先生と井上さんが気付いた瞬間だった。 これには後日談がある。この2台の電動車椅子を乗りたがるようになると姿勢が保たれることで肺機能も良くなり、受動的な生活から能動的な意識への変化が起きているのが分かってきたことだ。
ある母親が施設にきたとき寝たきりだった子どもが目の前を電動車椅子で動き回っているのを見て、子どもの成長に感動し喜んだというエピソードも生まれた。
子どもの時から車椅子を身近に
井上さんと吉田さんは自分たちの経験を「モノ作りの楽しさ」として、川崎の小学校で講演をしたことがあった。何台かの電動車いすを学校に持ち込んで子どもたちに試乗させると、今までは自分とは関係ない人が乗っている乗り物としてみていた子どもたちは、自分が乗ってみたことで、車いすの人たちとの距離感が近くなったことが、子どもたちの感想文から読み取れる。そんな中に「僕も吉田さんみたいに、井上さんのような友達がほしい」というのがあった。2人は「オヤジ殺し」の言葉として胸に刻んだと言う。
ムーンウオーク
さらに吉田さんの注文は続き「海に行って砂浜を走れるものが欲しい」と、では四輪駆動の車いすだね。その開発が進むと、そこからアイディアは全方向移動型のムーンウオークへと広がる。井上さんの作る電動車椅子を必要とする人がいる限り、その電動いすには井上さんの人となりが反映されていくのだ。