姜維と母親の間で交わされた薬草、当帰と遠志とは何を意味するのか。
『三国志演義』にも出てこないもう1つの三国志エピソードがある。
岡田明彦
姜維が最後まで守り通そうとした剣門関姜維は天水郡の出身で、当初は魏の武将であった。蜀に降ると孔明に「鳳凰を得た」とまでいわせた姜維は、孔明亡き後も蜀のために剣門関で獅子奮迅の働きをする。この姜維、子どもの頃から兵法や武芸に長じていたといい、母親思いの子としても有名だった。今でも四川省剣閣の辺りに姜維と母の逸話が民間に伝承されている。
蜀に移り孔明のもとで才能を開花させた姜維を苦々しく思った魏は、姜維の母親思いの心情を巧みに利用して連れ戻そうとし、母を脅して、姜維に帰ってくるよ うに手紙を書かせる。賢明な母親は言われるままに手紙を書いて息子の立場が危うくなるのを恐れ、姜維の元へある薬草をそっと小袋に入れて送った。姜維がそ の小袋をあけるとそこには薬草「当帰」の根が入っていた。姜維はそれを「当に帰る」つまり帰ってくることができるかという母からの問いと解読するが、姜維 は蜀を守り抜かねばならない身の上である。「帰れない」と手紙にしたためると今度は魏に残る母の身が危うくなる。姜維も母と同じように思案に暮れる。そし て思い立って使いの者に1袋の「遠志」という薬草を持たせて帰した。受け取った母は、「遠大な志」と読みとる。志が遠大で成就しなければ母の元に帰れない という返事と悟るのだった。
剣門閣の南街にある3層の楼門当帰と遠志の効用を中医薬学にみると、母が姜維に送った当帰の薬効は「心に入り、血脈を良くする」薬とされている。また姜維が母に送った遠志の薬効は「肺に入り志力を倍に強くする」とされ、どちらも心臓の病に用いられる。姜維は戦いの最中に心臓の痛みが起きて天命を悟り自刃してしまうが、母は姜維の心臓が悪かったのを知っていたのかもしれない。薬の薬効からみても姜維の最期の状態をも隠喩した言い伝えではないだろうか。