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東洋医学とプロスポーツの接点 – 1

プロスポーツ選手は
自己の肉体を極限にまで酷使する。

武田薫 スポーツライター  写真・真野博正

観衆の前でのアクシデント

今年のテニスのウィンブルドン選手権、男子の準々決勝でこんなシーンがあった
3連覇を目指す優勝候補のピート・サンプラスと、若いながらもサンプラスに2勝した実績を持つマーク・フィリポウシスという注目された試合である。第1セットをフィリポウシスが奪い、第2セットもその好調を持続していた。
ところが、第三ゲームが終わったコートチェンジの際に、フィリポウシスが主審にトレーナーを依頼した。
テニスの場合、ケガなどの治療に関してはこんな決まりがある。

まず2分間のタイムが与えられる。そこでトレーナーが手当の必要性を認めた場合、そこから5分間のメディカルタイムが与えられる。
コートに呼ばれたオフィシャル・トレーナーは、フィリポウシスとしきりに会話を交わしながら痛めたと思われる左膝を点検。主審にメディカルタイムを要求し、ボールボーイに命じてコートにバスタオルを敷き、そこに選手を俯せにしてマッサージを始めた。

113年の伝統を誇る大会の、1万人の観客で埋まったセンターコートでの出来事である。
5分間が経過し、結局、フィリポウシスはそこで棄権した。観戦していた限りでは気付かない出来事だったが、第二ゲームにパッシングショットを放って着地した際に、コキッと嫌な音がしたという。「その時は痛みはなかったが、次の着地でその音が大きくなり、どんどん酷くなり、トレーナーが呼ばれたときには無理だと思った」と、試合後に話している。サンプラスには「歩けない」と言ったという。
サンプラスは勝ち続け、決勝ではアンドレ・アガシを破って大会三連覇を果たした。試合は終わっていなかったのだから、その準々決勝がどうなっていたかは分からない。しかし、フィリポウシス戦が最も危なかった試合だったことを、優勝者は認めている。


ひざを治療中のフィリポウシス

優勝賞金は45万5千ポンド(約9100万円)。ケガの正確な情報はまだ発表されていないが、準々決勝の勝者と敗者の賞金差額は4万4600ポンド、フィリポウシスは目前の1000万円をフイにしたことになる。
しかし、こうしたトッププロにとって、1000万円などは端金に過ぎない。というのは、ツアーで勝って稼ぐだけが彼らの収入の道ではなく、彼らには年間何 千万円もの契約がかかっている。また、公式戦だけでなく、一試合のギャランティーが数百万円単位のエキシビジョン・マッチが興行されるし、社会的地位を押 し上げる機会のデビスカップという舞台もある。ケガは、スポーツ選手にとって、まさに命取りになる可能性を孕んだ悪魔であり、呪いであり、彼らは常にその 危険性と背中合わせで世界を回っているのだ。

このウィンブルドンの前に、やはり四大大会の一つとして知られるフレンチ・オープンがある。今年の大会の女子ダブルスで、ヤナ・ノボトナという選手が味方選手と交錯した際に足首を捻挫。悲鳴と共にコートに倒れたまま一歩も動けず、担架で運ばれた。
この事故が大きな波紋を呼んだのは、ノボトナが2週間後のウィンブルドンの前年度優勝者だったからである。出られるのか、無理なのか。何番目のシードを与えればいいのか・・このように、トップ選手のケガは選手個人だけでなくツアー全体にも大きな影響を及ぼしてくる。四大大会ならまだしも他のスター選手がいるし、大会そのものの力もある。しかし、例えば東京で行われるジャパン・オープンなど一般大会であれば、トップ・プレイヤーの欠場はそのまま券売、テレビ視聴率に結びつくわけだから、大会を運営する人々は常に選手の故障に注目することになる。

女王グラフ、故障の戦歴興味深い資料がある。

今年のフレンチオープンで優勝し、ウィンブルドンでも決勝まで進んだシュテヒ・グラフは、今年限りでの引退を示唆した。四大会で通算22回、ウィンブルドンだけで7度の優勝を飾っているテニス・ヒロインがプロに転向したのは13歳だった82年。

彼女の17年間に及ぶキャリアの全故障リストが別掲の通りである。テニス医学事典のようだと言われているが、これは試合を途中棄権したり、大会に欠場するために選手組合(WTA)に提出された書類に限られているから、他にもあった可能性は高い。
それにしても凄いのは、復帰後の試合では最低、準々決勝まで勝ち残っている足跡だ。女王グラフはこれだけの故障と戦いながら、これだけの結果を残してきたのである。そして、他のプレイヤーたちも、同じ様なリスクを背負いながら選手生活を送っているということだ。

求められながらも潜在化する東洋医学


94年ウインブルドンで足の治療中のC.マルチネス

では、選手たちは東洋医学とどのような接点を持っているのだろうか。
先のフィリポウシスの例で、オフィシャル・トレーナーが出てきてコート上で手当をしたことを説明した。
テニスの場合、他のプロスポーツとは異なって、ツアーが男子はATP、女子はWTAという選手組合によって運営されている。ツアーには、この組合のオフィ シャル・トレーナーが同行して、緊急のケガなどの手当に当たる。二年前から、痙攣の手当ても認められるようになった(それまでは疲労の一種として、一切の 救護、手当てが認められなかった)。

手当てと治療との間の厳密な区別にはそれぞれの考え方もあるだろうが、競技規則ではメディカル・タイムでの鍼治療は認められていない。センターコートでお灸を据えたりする図はなかなか面白そうだが、それもダメである。コート上ではテーピング、マッサージ、痛み止めの提供程度の手当てしか認められていないのだ。
ただ、日常的なケアとしては、テニス界でも東洋医学のことを耳にする。疲労回復、あるいは痛み止めとしての効果を認める選手は多
く、かつて日本を代表した伊達公子さんは、引退する前のUSオープンなどに白石宏トレーナーに同行を依頼していた。しかし、それがシステムとして取り入れられているかとなると、まだまだである。その辺の事情に関して、伊達の育ての親として知られ、現在はフェデレーション・カップ(女子国別対抗戦)の日本代表チーム監督である小浦猛さんはこう説明している。


93年フレンチオープンでテーピング中の佐伯美穂

「個人的には、昔も今も東洋医学にお世話なっているテニス選手は多いんですよ。
私も現役時代も、いまも鍼を打って貰っています。ただ、難しい問題がありま すね。どの程度の手当て、治療を施すかの判断に関して、テニスに関しての専門的知識や高度の経験が必要になって来るんです。すなわち、いまこの時点で、鍼 をどこまで深く入れていいのか――どこまで治すのか、こういう判断は、医学的な知識とは、また別な判断になるんです。ですから、チームの機能として関わる ということにならざるを得ないでしょう。監督やコーチ、マネージャー、栄養士、そういうサポートする体制の中でトレーナーが機能する、それがあり得る形で しょうね。となると、今度はコーチやマネージャーたちに、東洋医学に関する知識も求められてくるわけです。スポーツに関する認識と、東洋医学に関する認識 が合致しないと、これは巧く機能しないことになります」


98年USオープンで足のテーピング中の杉山愛

世界のトップを目指すスポーツ選手にとっての肉体は、我々一般人の肉体とはまた違うものがある。
すなわち、治ればそれでいいといった単純明快な話では済ま ないことだ。
何時、何処で、選手のどういうタイミングで、そういった関係性の渦の中で最高のパフォーマンスを出すべく、手当てをしなければならない。その タイミングにしても、選手生活という長期的な観点と、年間スケジュールという短期の時系列とが複雑に絡んでくる。小浦さんが言う、チームとしての機能と は、そうした縦横の関係性の中で選手を把握するためのバックアップ体制のことである。選手組合が専門のオフィシャル・トレーナーを同行させるのも、流れの 中で選手たちをケアしなければいけないという、組合らしい配慮と言うこともできるだろう。

選手の側がどれだけ東洋医学を受け入れるか、それも大きなテーマだろう。しかし、東洋医学のサイドからの積極的な関わり方はむしろスポーツの世界へのより高度な知識と情報収集にあるのではないだろうか。
まして、ここで挙げたテニスの場合、他のスポーツに類のない世界ツアーという国際性がある。ランク付けされた大会が四大大会を頂点にしてピラミッド型に構 成され、そこを這い上がるための一ポイント、0.5ポイントを求め、選手たちは世界中を飛び回る。そうしたツアーの実態、競技現場の緊張感、そこを理解し なければ、プロ選手は鍼一本刺すことにも、抵抗を感じるに違いない。
極東という、まさにスポーツの辺境の地でその知識と経験を得ることはなかなか難かしい。東洋医学界だけの問題ではなく、日本全体のスポーツへの関わり方 が、そこでは問題になるからだ。ただ、選手だけが世界を飛び回っても、決してよい結果を得ることが出来ないことだけは、もう分かっている。

【グラフの全故障】
カッコ内は復帰までの期間と復帰直後の成績

86年 6月3日 風邪
(七週間:ベスト八)
86年 7月26日 右つま先骨折
(3週間:優勝)
88年 2月14日 左手首捻挫
(3週間:準優勝)
90年 2月9日 右親指骨折
(9週間:優勝)
90年 7月10日 SINUSES手術
(3週間:優勝)
91年 7月24日 右肩痛
(4週間:ベスト4)
92年 1月3日 風邪と風疹
(5週間:ベスト4)
93年10月4日 右足突起骨除去
(4週間:準優勝)
94年 9月10日 椎間板ヘルニア
(8週間:ベスト8)
94年12月20日 右CALF痛
(7週間:優勝)
95年 4月26日 背中の痛み
(4週間:優勝)
95年12月15日 左足突起骨除去
(11週間:優勝)
96年10月10日 左膝蓋腱炎症
(4週間:準優勝)
96年11月17日 腰痛
(2日間:優勝)
97年 1月21日 日射病、爪先ケガ
(一週間:準優勝)
97年 2月2日 左膝蓋腱炎症
(13週間:ベスト8)
97年 6月10日 左膝軟骨除去 左膝蓋腱手術
(33週間:ベスト8)
98年 3月13日 左膝腱 右踵損傷
(12週間:ベスト4)
98年 9月18日 右腕突起骨除去
(6週間:優勝)
98年10月21日 右腿痛
(6週間:準優勝)
99年 4月22日 右足手術
(3週間:ベスト8)