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東洋医学とプロスポーツの接点 – 2

土壇場の決断

今年8月半ば、スペインのセビリアで世界陸上競技選手権が行われた。1983年に4年に1度の開催で始まった陸上競技の祭典は、いまや膨張するテレビメディアの目玉商品として隔年開催となり、イベント規模の魅力にオリンピックに次ぐ招致合戦が繰り広げられるほどになった。

高橋尚子の記者会見

しかし、日本がこの大会に注目したのは最近である。マラソン大国の日本には夏開催に魅力はなく、トラック種目で世界に歯が立たなかったからだ。91年の大会が東京で開催され、谷口浩美(旭化成)が金メダル、山下佐知子(現第一生命監督)が銀メダルを獲得したことが国民の注目に繋がり、その後、浅利純子(ダイハツ)、鈴木博美(積水化学)が金メダルを獲得。今年の世界陸上のマラソンも、40度を越す悪条件にもかかわらず2つの点で注目を浴びていた。


高橋尚子の記者会見
まず、昨年暮れのアジア大会で積水化学の高橋尚子が2時間21分47秒の驚異的な日本最高をマーク。それまでの日本最高を一気に3分以上、しかも高温のタ イのコースを独走で短縮した高橋が、やはり高温のセビリアで2つ目の金メダルを狙っていた。次に、世界選手権がオリンピックの最初の代表選考レースに指定 されていたことである。高橋の他にベテランの浅利、新鋭の市橋有里(住友VISA)らが、シドニーを視野に入れて夏のアンダルシアに向かった。


しかし、レース1週間前に現地入りしてすぐ高橋の不安が囁かれ始めた。3週間前、トレーニング地の米国コロラドで風邪を引き3日間休んだ。休養明けのト レーニングで追い込んだ際に腸脛靭帯を痛め、その悪循環を引きずったままの現地入りだったからだ。痛み止めを打てば30キロの練習は可能だったが、その後 は脚を引きずるほどの痛みが残る。
瀬古選手と鍼灸師の小林先生
治療は、周辺の筋肉痛をとるので精一杯。根本的な治療をする時間はなかった。高橋陣営は出欠の最終決断をぎりぎりまで延ばした。欠場は、余りにも影響が大きいからだ。
小出義男監督は世界の舞台で高橋を優勝させるだけでなく、2時間20分を大幅に切る驚異的な記録で
それをやってのけようと計画していた。そのためのハードな練習を課し、高橋も必死にそれをこなした。準備は整い、整うほどに高橋の気持ちは、痛くとも走るという緊張感と集中力で満たされていった。簡単に「痛い なら止めよう」と言うレベルの問題ではない。そんな簡単に結論を下せば、師弟の関係は2度と戻らない。また、五輪選考に向けての日本陸連としての事情も絡んでいたからである。

瀬古選手と鍼灸師の小林先生

体調が不充分でスタートさせても、途中で調子が悪くて棄権できれば構わない。だが、日本選手にはそれが難しい。もし中途半端に走れば、他の日本選手に、ずば抜けた記録を持つ高橋に勝ったという「実績」を与えることになり、秋から始まる国内選考に複雑な影を投げる……。
最終的に欠場を決めたのはレース前日の真夜中。監督が高橋に伝えたのはスタート5時間前の午前4時で、日本陸連による発表の会見が行われたのは午前7時半だった。
日本の女子マラソンの層が厚いとはいえ、世界に通用するのは高橋だけというのが陸上界の一致した見方だ。それほどの選手になれば、商品価値は大変なものに なる。日本のレースでは明らかにされないが、もしロンドン・マラソンの招待に応じれば、出場料は2000万円を下らないだろう。優勝賞金と合わせて 3000万円以上の収入は期待できる計算で、それだけに、ケガには本人も周囲も敏感にならざるを得ない。

練習、けがの悪循環

有森裕子の練習風景(1999/コロラド・ボゥルダー)


有森裕子の練習風景(1999/コロラド・ボゥルダー)
長距離選手の合宿には、必ずトレーナーが同行する。マラソンの本格的な準備は約三カ月前に始まり、1日平均で30キロ以上を走ってスタミナを蓄える。練習 で脚に負担が掛かる分、体重にも最大の注意が必要で、食事制限などかなりストイックな生活を強いられるのがマラソン選手の宿命である。
練習しないと走れない。だから、痛くとも練習する。真面目で強い選手ほど、こんな悪循環に嵌るのは今も昔も変わらない。


1984年のロサンゼルス・オリンピックで優勝したのは、三六歳のカルロス・ロペスだった。老雄の勝利に、優勝候補・瀬古利彦(現エスビー食品監督)を送 り出した日本陸上界は仰天したが、瀬古の監督だった中村清(故人)は驚かなかった。ロペスは七六年のモントリオール・オリンピックの一万メートルで銀メダ ルを獲得したスピード・ランナーだった。ところが、モントリオール後、ロペスはぱったりとなりを潜めていた。故障の悪循環に嵌っていたのだ。
トップ選手だけに人一倍負けん気は強く、生活も掛かっていたから、痛めたアキレス腱が少しでも好くなれば走り、また痛めるという繰り返し。ロペスは最後に、リスボン在住の日本人の鍼灸師の門を叩いている。その日本人は電気鍼の治療を施し、絶対安静を命じた。それでも走れば、烈火の如く叱り付け、半年間、走らせなかった。コーチの指示に耳を貸さない選手が、陸上を全く知らない治療師の言葉を聞いた結果、再び世界の舞台に復帰することが出来たのである。

こうした例は、瀬古利彦にも言えることだった。福岡マラソン3連覇、ボストン・マラソン優勝を果たした瀬古は、81年から1年ほど何の記録も残していない。右膝の関節を痛め、それをかばって左足を痛め、それがまた右足へという故障地
獄に嵌り、この苦境を救ったのが、前橋盲学校の鍼灸師である小林尚寿先生だった。「どうですか、治るでしょうか」と不安げに尋ねた瀬古に、小林先生ははっきりこう答えたという。「私が診て治らなかったものはない」。
原因を突き止めて治療を施すと同時に、コミュニケーションの重要性を物語る。焦る瀬古に対し、開き直りの気持ちを持たせた。「治らなければ治らないでいい。鍼治療を受けて、出来る範囲で練習しようと考えるようになった」。
と、瀬古は当時を振り返る。
日本のマラソン・ランナーは国民の大きな期待を背負っている。その精神的プレッシャーが傷を深くし、故障の悪循環へと追いやっているならば、そこを軽減することもまた治療師の大事なポイントになるわけだ。デリケートで複雑な治療の現場を、現役のトレーナーに聞いてみた。

コミニケーションで築く信頼感

滝田剛さん(35)は、千葉県佐倉市に拠点を持つ積水化学陸上部の専属トレーナーである。積水化学との契約は社員ではなく委託。原則的には、練習の休みの木曜日にパートの鍼灸師に来てもらって自分も休みを取る以外は、午後5時から10時まで、トレーニングを終えた選手の手当てを引きうけている。現在部員は一二人。その中には、高橋尚子や鈴木博美といった世界的なランナーも入っている。空いた時間は自由に使えるため、兄が監督を務める市立船橋高校の陸上部などに出掛けて治療に当たることもあるというが、夏場には北海道や米国の高地トレーニングに同行するなど、実質的にはチームの一員である。
「小出監督との付き合いは、もう20年以上にもなります。監督がやりたいことは、自分にも分かるし、監督が夢をかなえる助けになりたいと思っています」。

滝田さんは元陸上の中距離選手である。
小出監督が佐倉高校の監督を務めていた頃の教え子で、順天堂大学は2年で中退したが、その後アルバイトをしながら国内のトップレベルで1500メートルを走り続け、小出監督が鈴木博美と共にリクルート陸上部を立ち上げたときに一緒に参加。その後、小出軍団と共にリクルートから積水に移籍した。
「マッサージには興味がありました。競技をしていた頃は練習後に必ず受けたし、お金も総額で500万円以上掛けたと思います。でも、自分の思うように揉んでくれる人になかなか出会えなかったんですね」。
名刺にはスポーツ・セラピストとなっていて、小文字で「鍼・灸・あん摩・マッサージ・指圧師」との説明がある。昔から選手の片手間にトレーナーのようなことをやっていたが、一念発起して、働きながら鍼灸専門学校に三年間通い、昨年二月に国家試験に合格した。
「非常に厳しい学校だったんで、両立は地獄のように苦しかったですね。米国の理学療法など、まだ勉強したいことはたくさんあります。勉強して資格を取った後は、やはり監督の信頼も違うんです。少しは話に耳を傾けてくれるようになりました(笑)」。
基本的には、トレーニングの疲労を取ることと予防治療が仕事となる。鍼も使い、その判断は自分でするが、上半身の鍼治療は自分の判断では行わないという。
「スポーツ・トレーナーは、東洋医学の一部を専門的に使う。ボクが一般治療を受けるとするなら、ベテランの町の鍼灸師のところに行きますね。逆に、陸上の長距離に関しては誰にも負けないという気持ちはあるんです」

スポーツ・セラピストの役割

滝田さんはスポーツ・セラピストの職能を、トレーナーの中でも、選手の目標と練習日程を把握しそこに係わる者と規定した。一般治療とではそれほどの違いがあり、専門的な経験が必要なのだという。
例えば、かつて小出門下生は一般鍼灸師の治療を受けていたことがある。その先生は中国鍼の名医だったが、立て続けに3人の選手が気胸になった。長距離ランナー選手は極端に体脂肪率が低い。普通の人で20%以上あるのに、オリンピックでメダルを取ったころの有森裕子は8%、平均しても10%以下である。ところで、一般治療において巧いといわれる先生とは強い治療が出来る先生でもある。普通の感覚で長距離選手に鍼を打てば、脂肪が少ない分、深く入ってしまう。
また、マラソン練習にはレースの3~4週間前にとことん疲れ切った状態で練習する時期が必要になる。この時期に、全身の疲れをほぐしてしまっては元も子もなくなる。体が軽くなる時期、重くなる時期、それらの時期にどこまでほぐすかの匙加減は、実際の高いレベルでの競技経験がなければなかなか掴めないデリケートなもののようだ。また、長距離選手の故障は、圧倒的にシンスプリント(足の後ろ側の痛み)と腸脛靭帯の炎症が占めるという。走れないほどではないが、トップレベルの選手は年中、痛みを抱えながらトレーニングしている。

滝田さんは、鈴木博美の二年に渡る故障との戦いに付き合った。97年の世界陸上で優勝した後、彼女は右足踝の内側の腱に炎症を起こした。一般生活に支障は なくとも、練習でそこをかばって、今度は左を痛め、それをかばって今度は右と、まさに右往左往の連続で3ヵ月間に6個所も痛みの部位が移った。「高橋も鈴 木も有森も、結局、強い選手は故障する選手でもある。別な言い方をすると、故障するまで追い込める選手でないと強くなれないんです。金メダルを獲るため に、選手はケガと紙一重のところで戦っている。そのため、監督とのコミュニケーションも重要な要素になります」。
だが、ミーティングには出ることも出ないこともあるという。練習はきつい。選手心理には、いつしか逃げたいという意識が生まれる。余り師弟の仲に入り過 ぎても、選手の不満のはけ口になったり、逃げ道となりかねず師弟関係に複雑な綾を作りかねない。といって何の理解も示さないでは、選手との信頼関係も築け ない……。時間があれば練習を見ることを心がけているというのは、最近、選手自身が痛さが分からないケースがあったり、痛みを隠す選手がいるからだとい う。
「特に、厳しい指導者の下でやってきた名門高校出身の選手に多いように思いますが、先生が一生懸命やってくれる分、自分で何が故障なのか分からないような んです。うちも学生時代に雑草のようにやってきた選手が、伝統的に強いですね。また、痛みがあれば監督は練習させませんから、それが嫌で黙っている選手も 中にはいます。スタッフとして性格まで分かっていることは、治療には大事でしょうね。トレーニングを見ていれば、言われなくとも痛いところは分かりま す。」

大切な経験と専門知識

他のスポーツのトップ選手を見る自信まではまだないというが、陸上長距離なら誰にも負けない自負はある。それだけ専門知識を要し、特別な経験が求められる分野なのだ。
給料は、選手時代に比べれば減った。それでも、世界にも知られた名監督や名選手と目標を共に出来る喜びと、経験は金に換えられるものでもない。鍼灸学校にもトレーナー志望の仲間は多かったが、積水のようなチームで仕事をするチャンスは決して多くない。
「これからますます必要とされる仕事なのですが、その分、各専門知識が欠かせないし、やりがいもあります。でも、人間関係に恵まれていないとポジションを得るのは難しい。ボクは恵まれているんです。小出監督の気持ちは、いまのトレーニングをさらに1.5倍くらい増やしたいんです。ボクの仕事は、監督の考えが可能になるように手入れをすることです。監督との勝負だと思っています」。
冒頭に触れた、世界選手権での高橋の話を少しだけ聞かせてくれた。高橋は夏の練習で昨年のアジア大会を遥かに上回るトレーニングをこなし、2時間18分ペースの準備は整っていたのだという。
シドニーに向けた紙一重の挑戦=その一重にスポーツ・セラピストがいる。