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患者とともに生きるための新しいアプローチ

欧理学療法士(PT)のネットワークである日本理学療法士協会は、
全国の理学療法士の9割以上の約2万4000人が登録している(2001年2月現在)。
日本の理学療法のパイオニア的存在である奈良勲会長は、
これまでもっぱら医療に組み込まれてきた理学療法のあり方を見直し、
専門性を向上する一方、独立性・主体性を追及することを主張しはじめている。
奈良会長に、これからの理学療法士の世界を聞く。

奈良 勲 (なら いさお)
1964年鹿児島大学教育学部卒。本郷高校教諭。65年カリフォルニア州ローマリン大学留学。71年帰国後病院勤務を経て、79年金沢医療短期大学教授。93年広島大学医学部保健学科教授。89年日本理学療法士協会会長。

絶えず自分を高める努力が大切

後藤
先生は、日本の理学療法士のパイオニア的な存在でいらっしゃいますが、そもそもこの道を目指されるようになったきっかけは何だったのでしょうか?
奈良
私はかつて棒高跳びの国体選手だったこともありますが、昔の棒高跳びの着地は砂だったので頻繁にケガをしました。自らがリハビリテーションの体験者 だったわけです。また、スポーツが好きだったことから、将来はこの関連の仕事をしたいと考えた末、保健体育の教師になろうと鹿児島大学教育学部へ進学しま した。
鹿大の付属中学には肢体不自由児のクラスがあったのですが、当時は障害児がスポーツ活動をするなどということは考えられない時代だったので す。ところが、彼らもスポーツをしたいと考えているし、それができれば大きな喜びになるはずだと考えるようになりました。そうした頃、リハビリテーション という分野があるということを初めて知り、これを勉強をしたいと考えたわけです。そこで、東京の高校に就職し、保健体育の教師をするかたわら、清瀬市にあ る旧厚生省と労働省のリハビリテーション学院の教育として、アメリカやイギリスからやってきている理学療法士から理学療法に関する情報を得ることになった わけです。自分なりに勉強してみると、欧米では「理学療法」と呼ばれる学問分野が確立していることを知りました。これが障害者のスポーツを考えるうえで役立ちそうだと考え、アメリカの大学に留学して理学療法を勉強することになったわけです。
後藤
そのように理学療法一筋に歩んでこられたなかで、日本の理学療法の黎明期と現在とでは、かなり違った環境になっているでしょうか?
奈良
第二次世界大戦後のアメリカの占領下で、日本は医療面での改革も迫られ、そのなかでリハビリテーションを取り入れるよう勧告されて制度化されたようです。もともと日本にはマッサージや柔道整復という分野があったわけで、最初は主にそれらの専門家が理学療法士の国家資格を得ていました。ですから、当初は40代以上の中高齢者で、ほとんど男性が中心でした。
ところが、いまや平均年齢は30歳そこそこで、女性の進出が目ざましい状況にあります。これは日本が高齢社会になってくるとともに理学療法士の社会的ニーズが高まる一方、仕事としては景気動向にあまり左右されない安定した職業になっているということもあるでしょう。
その一方では、真に理学療法の価値を理解し、使命感を持って入ってくる人は、昔に比べれば少なくなってきているかもしれません。ですから、現在理学療法士を目指す人たちは、それがどんな動機であったとしても、勉強していく過程で自分を高め、理学療法の価値を知ってもらいたいし、協会としてはそのようにあるべく支援していくことが課題だと考えています。
専門性を高め、保健・福祉との統合を
後藤
そうした理学療法士の研鑚のため、協会では生涯学習システムを導入しておられますね。私は教育のなかで最も大切なのは、生涯学び続け、自分を高め続ける態度を作ることだと思っています。先生の生涯学習についてのお考えをお聞かせください。
「理学療法士倫理規定」
奈良
昔から「人生死ぬまで勉強だ」といった意味の格言がたくさんあります。職域が何であれ、生涯勉強し続けるというのは個人の責任ではないでしょうか。 ただし、理学療法士協会という組織としては、生涯教育のためのシステムをどう整えて学習に導いていくかということが課題になるわけです。そのため当協会で は、都道府県別に全国研修会あるいは学術大会を展開しています。さらに1994年より生涯学習システムを導入しました。1つは「新人プログラム」で、最初 会員になった人はこれはおさらいにもなるわけですが、3年間、学校で習ったことを先輩理学療法士から教えを受けるという課程です。
そのあと、「専門領域プログラム」を用意しています。これは理学療法基礎系領域、神経系領域、内部障害系領域、骨・関節系領域、教育・管理系領域、生活環境支援系領域、 物理療法系領域の七つの部門からなっており、任意に自分の関心のあるところを学ぶことができ、複数でも登録可能です。協会に申請してパスすれば「専門理学 療法士」の認定書が与えられます。さらにこれが修了しても、それでおしまいではなく、「基礎プログラム」というものを用意しました。これを五年単位で修得 しないと専門理学療法士の資格が無効になるシステムです。
こうしたシステムは、個々の専門性を高めるということがいちばんの特徴です。理学療法の領域は非常に広いので、一人ですべての障害を診るという時代はもう終わりました。
ま た、日本は技術料というものを考えない国で、たとえ一年目の新米だろうと30年やってきたベテランだろうと同じ診療報酬が設定されています。これは非常に 不合理なことであり、将来的に技術料が認められるようになった場合、こうした専門性に磨きをかけておくことは、診療報酬にも反映されることになるはずで す。
後藤
日本の医療は、保健・福祉といった分野との統合した形でシステムを作らなければならないといわれています。こうした点から理学療法という部門のあり方に関してどのようにお考えでしょうか。
奈良
経済的に豊かでない時代は保健・福祉という分野は後回しにされることが多く、かつ日本の縦割り社会の伝統からいっても保健・福祉は医療とは切り離されて考えられていました。そんなところからスタートしたわけですから、日本の理学療法士は医療機関で機能する職域として作り出されたもので、法的に見てもここが原点であり基盤です。
ところが、日本人の長寿化にともない、病気を治療しても治らない人が増えてきたのでリハビリテーションをしようということになり、また自立できないときは福祉が必要になってくるわけです。このように一連の流れが保健―医療―福祉の中にあるわけで、それを縦割りで見ることは不都合になってきました。さらに財政難で医療費が頭打ちになるとともに、保健・福祉の分野が重視されるようになって、厚生省も統合化が必要であると提言するようになったわけです。やはり病気をした場合など、いちばんハンディを背負うのは高齢者であり、国もそこにターゲットを絞って高齢者の回復期リハビリテーションを充実させて、獲得した機能を維持していこうというシステムを作りました。そうした意味では形が整ってきたのかな、と思います。
しかし、若い人たちはどうしても医療というものをメインにして理学療法を考える傾向があります。一方、患者さんは絶えず変化しているので、保健や福祉という分野は若くて経験が少ないとどうしていいのか難しい部分があります。そこで、教育者の側も保健や福祉を重視して、今回のカリキュラムの大綱化を行ったわけです。
臓器別モデルだけによる対応は不可能
後藤
先生はいわゆる「医学モデル」から脱却して「生活モデル」の対応へということを主張されていますが、現在の学校の教員にはそういう考え方がまだできていないと思われます。そうしたなかで理学療法士はどのように考えていけばいいでしょうか。
奈良
医療は専門領域が臓器別に別れていて、それが行き過ぎるあまり、医者も「病気を診て患者を診ていない」などと批判されるケースがあります。理学療法 士も法律自身が医療領域で機能するように組み込まれているため、そうした臓器別の考え方に陥りがちです。そこで、養成校では保健領域を経験している先生を 講師として招いたり、場合によっては実習や現場の見学を取り入れながら、教育内容を幅広い見方ができるような方向へ少しずつシフトしています。
たとえば「要素還元論」という言い方がありますが、その患者さんのそれぞれの問題点を十分把握して、改善することが必要です。しかし、それ以前に患者さんは社会や家庭で「生活する人」であり、要素還元論だけではニーズに対応できません。
病 院では、患者さんが生活者であることをつい忘れ、治療を終えると「これでおしまい」というふうになりがちです。そこで病院の中に訪問看護ステーションを 持っていて、家庭に帰っても患者さんをフォローするとか、そうでなくても連携しながら地域の医療者に患者さんを申し送りするというケースが多くなってきま した。すなわち臓器別に見る医学モデルに対して、「生活する人間なのだ」ということを基盤においた生活モデルというものが成立するわけです。
人間 というのは脳だけ、心臓だけで生きているのではなくシステムとして生きています。そして、この複雑な社会の中で、自分の判断でもって状況に対応し、適応し ながら生きているわけです。ですから、生活モデルは行動科学でもあり、あるいは病気を治すというのではなくいかに健康に視点をおいてそれを維持するかとい う健康科学でもあります。こうした考え方で、生活モデルに準じて患者さんが自らの健康を管理できるようなアプローチを可能にするための教育も行っていま す。臓器別の対応ができるだけではなく、生活モデルとのバランスがとれた対応のできる理学療法士の養成を協会として目指しています。
偏見というバリアを払拭することが第一
後藤
私は医療に関係する学生たちの中でも、医療職と福祉を目指す人たちの意識がすごく違うなと感じています。医療職は「治す」というところに生き甲斐が あるとすれば、福祉は「ともに生きていく」ということに生き甲斐があるわけですね。それらを統合するといっても、担い手の意識が変わらなければなりません。そうした新しい流れに対応していこうという時、理学療法士の開業権についての議論がありますが、アメリカの現状も踏まえながら、そのへんの展望をお聞かせください。
奈良
ほとんどの国では理学療法士は開業できており、とくにアメリカではすでに半分の州でダイレクト・アクセスといって、医師の処方なしに治療が行えるよ うになっています。すなわち理学療法士には専門職、専門家として大きな自由裁量権が与えられているということです。これに対して日本は理学療法士の開業の 道がまだありません。いわゆる発展途上国でも実現していることなので、これは世界でも珍しい現象といえます。今後はそのことが大きな課題になるでしょう。
後藤
日本という国は、自ら変革するということが非常に不得意で、外国の動向に影響されやすいところがあります。この点では、今後は「外圧」に期待しなければならないかもしれませんね。ところで、この度WHO(世界保健機構)は理学療法について新しい考え方を示していますが、これは世界理学療法連盟(WCPT)の活動と結びついているのですか?
奈良
WCPTでは、世界の会員国間で理学療法士の国際的な連携を保とうというポリシーを持っています。もちろんWHOの影響力はWCPTに比べればはるかに大きいのですが、今回の提案では、能力障害者のポジティブな側面を見るようになったことがポイントです。たとえば健常者の能力が100あるとすれば、能力を50失っている人を考えますと、この人にはまだ能力は半分あるわけで、この50を増やしていけばいいではないかというポジティブな見方をしています。WCPTもこれに応えて、能力障害を持った方が何らかの形でより人間らしく、職業を身につけて社会に参加していくことを支援していこうとしているわけです。そうしたなかで、私は人間の偏見がいちばんバリアになると思っています。その意味でもっともっとバリア・フリーにしていかなければ、能力障害者の真の社会参加は実現しないでしょう。
高齢者の問題についても、同じことがいえると思います。作家の赤瀬川原平さんが「老人力」ということをいわれましたが、年齢を重ねないとなかなかできないことがあります。人間国宝に指定される方は、みんな70歳80歳という方ばかりです。いろいろな経験を重ねなければ、高い水準に到達できないわけです。そうしたことからすれば、もっともっと年を取ることに誇りを持てる社会であってほしいと思います。儒教思想の影響が強い韓国などは、そうした考え方が強く残っています。お年寄りたちは今まで社会を背負って来られた方、我々を産み育ててくださった方々であり、我々はそうした方々から大切なDNAを受け継いで最先端にいるのだということを認識しなければならないと思います。
後藤
私は、理学療法士こそ、世の中にある障害者や高齢者に対する偏見を取り除く、あるいは変革していく旗手になる職種ではないかと思います。そのようにバリア・フリーを目指す世の中でこそ保健・医療・福祉が統合されなければならないし、実際行政もその方向に動き出してはいるわけですね。ところが、まだまだ社会は縦割りだし、これを横に串刺ししてものの見方を変えていくことが求められている。そうしたなかで先生は世界の中で日本の理学療法の立ち遅れている点、あるいは優れている点について、どのようにお考えですか。
奈良
理学療法の歴史を世界的に振り返ればオランダは100年くらいの伝統があり、アメリカは80年くらいになります。また、日本とか韓国は35年くらいの伝統があり、北欧などはその中間に位置します。やはりそのことが教育制度にも反映されており、アメリカなどは早く整備され、そのあとオーストラリアやカナダが続き、ヨーロッパはその点では遅れています。日本は国際学術大会の演題の質量からいっても、学問的レベルではすでにそうした先進国にひけはとらないほどになってきました。将来日本が世界のリーダーになる可能性もあるでしょう。ただし、ちょっと遅れているのは、先ほどもいいました医療領域にとらわれすぎるという面です。理学療法士教育の中でも専門知識を学ぶだけでなく、哲学、文学、社会学などもっと幅広く勉強できるようになることを求めたいですね。そうしたことから理学療法というものを社会の中にいっそうに浸透させていくことができるきっかけが生まれるでしょう。
後藤
これから理学療法を勉強していく学生に対してメッセージをお願いします。
奈良
ソクラテスは「汝自身を知れ」と言いましたが、私は自分を知るということが大切だと思います。個人は自分自身の脳を含む身体で生きていて、考えたり、感じたりしているのであり、いい意味で自分をコントロールすることが大切です。このことが理学療法を通じて病気や障害をもった人とかかわり、そういう方たちの問題解決のお手伝いをしていくうえで最も大切な考え方ではないでしょうか。