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和尚料理

精進料理に学ぶ日本型食生活の智慧

日本食の原点ともいえる精進料理が静かなブームになっている。
観光地のグルメマップには精進料理を出す寺院がリストアップされ、休日には行列ができるところまである。
ついには「典座(寺の料理を担当する役職)の指導による「精進料理教室」を開講するカルチャースクールまで出現した。
ファーストフードやジャンクフードが氾濫し、家庭から伝統料理が失わつつあるなか、人々は先人の残した食文化や本物の味を禅寺に求めはじめたようだ。

大徳寺で育まれた精進料理

「精進」とは、ひたすら仏教の修行に励むことを意味する言葉である。禅堂では食事も修行の一つとしてとらえられ、日常は粥を中心とした素食をとることが習わしとなっている。しかし、寺にとっての大きな行事の際には、多様な食材を用いた「精進料理」が供される。
京都洛北の臨済宗大本山大徳寺。織田信長をはじめとする名立たる戦国武将や、茶道の祖である村田珠光、千利休など、茶人との縁が深いことで知られる。
その大徳寺で500年以上の間、出入方を務めてきたのが「一久」である。この屋号は一休禅師の命名によるものといわれる。

 

魚、肉を避けた質素な料理を朱塗りのお椀が映えさせる。「ただ生物を殺さないということと、紙一枚たりとも無駄にしない精神、心を素直にして敬って、一生懸命につくることから始まる。お寺のしきたりを守り、常に工夫を加えるもてなしの心」だと一久のご主人・津田義明氏が語る。
精 進料理の形式は鎌倉時代に中国から来た禅僧がもたらしたといわれ、料理に五味(辛甘鹹酸苦)、五色(青赤黄黒白)を組み合わせる。この考え方は中国の伝統 思想である陰陽五行説と同じである。つまり、五味を偏ることなく食べることで五臓を養うというように、五種類のバランスを大切にしている。
「食べ るというのは、太陽のエネルギーを吸収した野菜の生命力をいただくことです。だから、無駄にはできない。和尚様方が修行をなさる一つの手助けが精進料理で すから、おいしく食べていただくことも大事だけれど、明日のため、仏道を成し遂げるためのものをつくることが基本なのです」(津田氏)

一久の御当主は「お寺の料理という特性もあって、素材が限られていることもあり、代々の当主の料理に対する研鑽が禅味というものに到達した」と言う。そのため、五色の彩りを料理のなかで表現するために旬の素材を使い、季節の色を大切にした献立を考えることも重要だという。たとえば、春の色は緑や青。山 菜や青菜を使って季節感を表す。同様に、夏は赤、秋は黄、冬は白と黒を季節の色としてとらえる。旬の素材はおいしいだけでなく、栄養価も高い。
そして、寺の日常食で不足しがちなたんぱく質を十分に摂取できるよう、豆腐、生麩、湯葉などをふんだんに盛り込む。結果として、炭水化物、たんぱく質、脂質、ビタミン、ミネラルなどがバランスよく組み入れられ、高たんぱく、低カロリーの理想的な献立となる。
また、精進料理では五法、すなわち生、煮る、焼く、揚げる、蒸すという五つの調理法を組み合わせる。わさびや山椒、辛子、梅など自然の五味と、人間が醸造した味噌や醤油、酢などの五味を調和させて五臓を刺激し、働きをうながす手段として五法を用いるのだという。

文明頃より500年以上も続く一久の屋号は一休禅師から賜ったと伝えられている。そして、五臓の中でも「胃をぬくめて、食欲を刺激することが大切」だと津田氏はいう。考えてみれば、懐石料理の「懐石」とは、修行中の禅僧が空腹をまぎら わすために温めた石を懐にしのばせたことを語源とする。このように、お腹を温め、胃腸の働きを癒すという智慧が日本の伝統料理には組み込まれている。
旬の素材を使い、食べる人の体調や気持ちを考えて、心をこめて料理をする。「調理」という人為的な行いと自然の恵み、五臓を養うことが精進料理のなかでは実に見事に調和している。これが数百年の伝統のもつ力ではないかと改めて感動させられる。

「和」して食す、普茶料理

普茶料理。いんげん豆を日本に伝えたことでもその名が知られる隠元禅師は、寛文元年(1661)、山城宇治の地に黄檗宗萬福寺を開いた。煎茶中興の祖、月海禅師をはじめ、黄檗宗は喫茶、煎茶道との縁も深い。その萬福寺で伝承されてきた中国風の精進料理を普茶料理という。
「普茶」とは、普くお茶を供すること。黄檗宗では、寺の行事や法要の後、茶礼の儀式と、謝茶と呼ばれる会食の場を設ける。そこで供されるのが普茶料理である。
萬福寺執事の荒木将旭和尚に普茶料理の真髄を尋ねたところ、「和して食すこと」という答えが返ってきた。互いの労をねぎらうことが目的なので、上下関係を排し、4人1組で卓を囲み、分け隔てなく直箸で料理をとるのだという。
普茶料理の最大の特徴は油を多用することである。「油じ」と呼ばれる味つけてんぷらの盛り合わせには、紅白の巴饅頭に衣と黒胡麻をつけた揚げ物など、風変わりな料理が並ぶ。昔から普茶料理には甘味を1、2品組み入れることとなっていた。これは、甘味と油が相殺され、油による胸のもたれを防ぐためだという。
また、「雲片」という代表料理がある。これは調理の際に出る材料の切れ端を五色の雲に見立て、葛煮にしたもの。食べ物の生命を余すところなく大切にいただくという精進の心の表れである。
さらに、普茶料理には多くの「もどき料理」がある。たとえば、一見すると
「かまぼこ」だが、実は長芋。縦半分に切った長芋に下味をつけ、食紅入りの衣をつけて揚げる。遊び心ももてなし。食べる人を驚かせ、喜んでほしいという思いから考案されたのだという。普茶料理からは、もてなす側、もてなされる側、双方の温かい心くばりを感じる。

荒木将旭和尚(右)は仏様へのお供えものを料理に使うので、バナナやアボガドを使うこともあるという。
梅干し、紅生姜、かぼちゃ、アスパラ、あんことゴマの点心などが天ぷらにされてた。
カマボコや肉かなと思わせるもどき料理のとりあわせ。

伝統の智慧を食す

萬福寺に祀られている布袋さま、お供え物で作りだすのが普茶料理の真髄。栄西が宋から持ち帰った茶の種を贈られた明恵は、京都栂尾の高山寺に茶園を設けた。のちに明恵は茶の普及のための栽培地として宇治を選び、茶の木を移植する。これが宇治茶のルーツである。茶に含まれるカテキンには、発がん抑制や老化防止などの効果がある。
また、最初に紹介した一久には「大徳寺納豆」という保存食が伝えられている。特有の禅味が茶人に好まれている。滋養があるだけでなく、整腸作用と殺菌作用があるといわれる。大豆は健康食品として注目されているが、大豆のフィチン酸はカルシウムや鉄など、ミネラルの吸収を阻害する。ところが大徳寺納豆では、麹の酵素フィターゼがフィチン酸を分解するため、ミネラルを効率よく吸収することが証明されている。

京都近郊で栽培されている京野菜。京都には「身土不二」の考えが根付いているようだ(錦市場で)。

一休は麹酵素の働きを知っていたわけではないだろう。栄西もカテキンの働きに着目したとは思えない。しかし、そこには本質を見極める目と感性があった。中医学における陰陽五行の考え方は科学的には証明できないが、バランスよく食事をとることに結びついている。
こうした智慧は精進料理や懐石へ、さらには伝統的な家庭料理にもつながっていく。その根底にあるのは「食と生命」を正面から見つめる姿勢ではないだろうか。和尚さんが仏の教えとともに伝えた料理に生きる本物の智慧を、今こそ再発見したい。

茶菓子に添えられた大徳寺納豆

大徳寺精進料理 一久
京都市北区紫野大徳寺門前20
電話(075)49310019

黄檗宗大本山萬福寺
宇治市五ヶ庄三番割34
電話(0774)3213900(代)

参考文献
大槻耕三他
「麹納豆に含まれるフィターゼの利用:大豆食品中のフィチン酸の加水分解および微量ミネラル利用効率の改良」(大豆たん白質研究Vol.4第22巻2001)
田谷良忠・菅井榮祐
『普茶料理』婦女界出版社(1984)
津田忠男他『精進料理』婦女界出版社(1984)