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世界に広げたい看護の原点=TE(テ)―ARTE(アーテ)

 60年以上に渡って看護の世界と関わってきた川嶋みどりさんは、「看護とは何か」を問い続け、知識を臨床に反映する教育を推し進めてきた。看護の基本は”手当”にあると考え、TE―ARTEという言葉を世界の共通語にしようと願う。今また被災地・石巻(宮城県)に、新しい活動の拠点を設けた。

川嶋みどり(かわしま・みどり)
1931年ソウル生まれ。51年日本赤十字女子専門学校卒業。51年~71年 日本赤十字社中央病院 (52~55年 日赤女専、日赤女子短期大学派遣。65年東京看護セミナー設立)。71年より看護基礎教育、卒後研修、教員養成講座等講師。74~76年中野総合病院看護婦教育顧問。82年~ 健和会臨床看護学研究所所長。84年臨床看護学研究所設立。2003年~日本赤十字看護大学教授。05年~同学部長、同看護実践・教育・研究フロンティアセンター長。07年第41回フローレンス・ナイチンゲール記章受章(赤十字国際委員会)11年日赤を退職、名誉教授に。専門分野は老年看護学、看護管理学。

問いかけ続けた「看護とは何か

後藤
 先生は2007年にナイチンゲール記章を受章されるなど、看護の世界でつとに高名で、看護教育には早くから取り組まれておられました。
川嶋

 19歳で看護師になって最初は日赤中央病院の小児病棟勤務だったのですが、1年ち ょっと経過すると、母校から「教員になれ」と声がかかりました。経験も浅くて何もわか らない教員だったのですが、4年半の間、助手を務めています。その後「やはり自分は臨床 に向いている」と思って小児病棟勤務に戻ったのですが、65年に病院の中に「東京看護学 セミナー」を立ち上げて、再び看護教育に取り組むようになりました。このセミナーは現 在もなお、個人が自主的に会費を払って勉強するサークルとして、続いていています。  71年に看護師を退職すると、いろいろな病院で卒後研修に関わるようになりました。そ して1984年にそれまでに培った教育のノウハウを全国にオープンにする目的で、埼玉県三 郷市に「臨床看護学研究所」という日本初の民間の研究所を創設し、所長になっています。 全国から看護師が自分で月謝を払いながら集まり、半年間に渡って週に1回、毎週火曜日 に研修を受けに来る場としました。すると、北海道から九州まで全国各地から研修生がや って来るようになったのです。


 この研修では、技術論や科学論などをきちんと学び、とても多くの本を読んでもらうよ うに図ってきました。研修日は「魔の火曜日」と呼ばれたほどです。そして「学んだこと を臨床にフィードバックしなさい」と指導し続けました。  70歳を過ぎた2003年に日赤から特任教授を依頼されて母校に戻りました。それまで「看 護とは」「いい看護を」という思いで活動してきたのになかなか看護の水準が上がって来な いので、本格的な看護教育にもう一回携わって、全体のレベル上げようというつもりで取 り組みました。

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手の復権は人間性の回復

後藤
 「臨床にフィードバックしよう」というのは、学問のための学問ではない研修を目 指されたということですね?研修プログラムの中には、「手当学」というものを取り入れら れているとお聞きします。
川嶋
 そうですね。看護師の仕事は手を使ったケアが重要です。脈をとり、清拭し、お腹 の具合を探り、患者さんの冷えた手を温め、肌に触れて体温や皮膚の乾湿の状態を把握し ます。人類は直立歩行になって以来、その仕事は手を使うことが基本になりました。手は 支えたり、抱いたり、なでたり、さすったり、揉んだり、握ったりととても多様な機能を 持ったツールであり、一定温度を保っているのでサーモスタットも不要です。  手を当てることで、患者さんを副交感神経優位にして神経を落ち着かせる一方、消化液 分泌を高め食欲が増進します。副交感神経が優位になるとナチュラルキラー細胞が活性化 して免疫力が高まって健康の回復が早まるのです。
後藤

 最近の看護師は、手を使う作業が減ってきました。もっぱらモニターに目を注ぎ、 端末に入力する仕事に集中しがちですね?


川嶋
 そうです。確かに機械を使って数値で患者さんの状態を把握することは誤差を少な くできるでしょう。しかし、人間の営みは機械で割り切れるものばかりではありません。 看護師の指や手のひらは数字だけでは推し量ることのできないものを察知できるという面 もたくさんあります。  私自身は数年前、胆石を患って10日間ほど入院したことがあるのですが、「看護は手を 触れる」という基本が忘れられていることを痛感させられる場面がいっぱいありました。 看護師たちの手と目は、ファミレスのウエイトレスのように端末ばかりに集中していたの です。私の同級生なども「今の看護師はどうかしているよ」などと口にしています。  そもそも最近の看護学生を見ていると、手先の器用さが足りないようです。よく看護師 が注射針で自分の手を刺す「針刺し事故」が報告されますが、私が20年現場にいた時代に、 そんな事故は起こりえないことでした。「どう間違えたら刺さるのだろう?」と思うくらい です。最近は、先の尖ったものを恐がる先端恐怖症の傾向も伺えます。大きな理由として お裁縫をしなくなったことが上げられるでしょう。  また、最近はタオルを絞れない学生も多くなってきました。若い人たちは入浴もシャワ ーで済ませることが多くなり、自分でタオルを絞る機会がなくなっているのです。でも、 臨床で患者さんの身体を拭く時は、どうしてもタオルを絞る必要があります。私は看護学 生の器用さを養うため、タオルを持って来させて雑巾を縫わせる実習を提案しました。と ころが、若い先生たちもなかなかそれを教えることができなくなっているのが現状です。
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TE?ARTEを世界の言葉に

後藤
 日赤でも、リンパドレナージなど手当学を教える仕組みを作られましたね?
川嶋
 私は老年看護学の領域のトップにいましたので、まったく個人的に手当の研鑽の場 として「すぐわざ(優れた技)研究会」というものを作りました。単位は取れないのです が、学生が実習に出る前にそういう技を身につけてスキルアップを図ってもらうことを考 えたものです。リンパドレナージの指導では、後藤学園の佐藤佳代子さんに大変お世話に なりました。
後藤
 手当学の大切さを世界中に広げようというTE-ARTEという言葉も生み出されまし た。

川嶋
 「外国の看護はどうなのかな?」と思って海外の事情を調べると、世界中の看護師 に手を触れる機会が減り、人間らしいケアが後退している傾向があることがわかってきま した。人間性回復の看護は,看護師の手の復権だと考え世界に手当学の考え方を広げられ たらと考えました。しかし、日本語の「手当」は、”子ども手当”などの例のようにお金の ことも指します。そこで、手(TE)+アート(ART)にEをつけたTE-ARTEという造 語にしたのです。昨年亡くなられたケニアのワンガリ・マータイさんは日本から生まれた 「もったいない」考え方を、世界の環境問題の合言葉としてMOTTAINAIを提唱しました が、このことからヒントを得ました。

自然治癒力の発現を手助けするのが仕事

後藤
 先生は統合医療学会へ積極的に参加されてきました。今までの医療に欠けていたも のを統合して新しい医療のあり方を追求していこうという学会ですが、TE-ARTEのような 哲学を導入していくことが必要ですね。
川嶋
 皆さんは「高度医療」や「先端医療」という言葉に酔いしれているかもしれません が、逆にそこに限界があるということで現在、統合医療が注目されているわけですね。統 合医療学会の渥美和彦先生に初めてお目にかかった時、「統合医療は”患者中心”、”自然治 癒力”、”全人的医療”」ということを言われましたが、私は「そういったことはナイチンゲ ールが昔から言っていた」「看護の世界そのものではないか」と思いました。  ナイチンゲールは、「病気は回復過程である。自然の回復過程を整えるのが看護である」 と言っています。つまり自然治癒力を発現する手助けをするのが本来の看護なのです。
後藤
 ところが、そうした看護の力が後退しているわけですね?
川嶋
 どうして後退したかというと、大きな原因は診療報酬制度にあります。つまり、注 射をし、薬を出せば治療費としての請求ができるけれど、看護を一生懸命しても報酬に結 びつかないからです。  20年くらい前に当時の厚生省は”効率的で質の高いケア”と言い出しました。その中身 が間違えて受け止められ、”効率的で”は「速く、安く、少ない人手で」となり、”質の高 い”は「早く退院させちゃえ」ということになったのです。おかげでものすごく医療現場 が荒廃してしまいました。高齢社会になればなるほどがんや終末ケアの患者さんが増えて いきます。お金にならない看護の力がもっともっと見直されるべき時です。
後藤
 じつは看護の力こそ「効率的で質の高いケア」に結びつくのですね?
川嶋
 そうなんです。例えば長期間寝たきりで、コミュニケーションがとれなくて、意識 レベルが低下していて、口から物が食べられない高齢者が、ベッドから落ちて骨折して手 術を受けるために入院したら、この人は99%肺炎になるでしょう。肺炎のためにレントゲ ンやCTを撮り、抗生剤も出さなければならなくなるし、入院も長引いてしまうことになり ます。そこでそういった人に対しては、それを予測して、3時間置きに体位を変える、痰を 出す、口の中のマウスケアを1日4回以上していればその方は肺炎を起こすことを防げる はずです。治療費も手術代だけですむし、早く退院できます。  ところが、病院としては患者さんが肺炎を起こしてくれたほうが儲かるわけです。今の 診療報酬制度からいうと、何かを起こさないと診療報酬は発生しません。看護はいつも「何 も起こさないところ」で、いいケアの質が保たれているのです。今は診療報酬に振り回さ れていますが、もっと看護の価値が見直されるようになっていくでしょう。
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被災地でも手の効用を発揮

後藤
 東日本大震災の被災地へも通って、支援活動を展開されていますね?
川嶋
 昨年3月まで看護大学に籍を置いていたのですが、折から大震災が起こり「何かし なくてはいけない」と考えました。”東日本これからのケア”というプロジェクトを立ち上 げています。リタイヤした元看護部長、元教授、元看護教員たちに「被災地の高齢者のた めに立ちあがって」と声を掛けて、応じてくれた人たちと一緒に去年の7月から活動を開 始しました。直接被災者の方たちをケアするというよりも、現地で活動する看護師たちを 外からバックアップするシステムを作っているところです。
後藤
 美智子皇后にもご活動の報告される機会があったそうですね?
川嶋


昨年の夏、御所へナイチンゲール賞の受賞者を集めたパーティにお招きいただいた 時、皇后陛下に石巻に通っていることをお話しすると、「改めて詳しく聞かせてね」とおっ しゃって下さりました。そして、今年1月に改めてお招きいただき、お話することができ たのです。被災地のナースたちは、お子さんを亡くしたりご主人を亡くしたりする人もい る中、すごく頑張っていることをお伝えしました。そして私が「手当」した仮設住宅に住 む65歳の漁師さんの例についてもお聞きいただきました。 「どす黒くなってむくんで腫れ上がり指も動かなくなっている手をさすって差し上げてい たら、だんだん色が白く変わってきてむくみが少しとれて動きやすくなってきて、すると 立てかけてあったギターを軽く弾き出した。よほどギターが好きだったようです」とお伝 えすると「本当に良かったですね」とおっしゃり、涙ぐまれながら聞いておられました。

後藤
 陛下も皇后も大変お心を東北に思いやっていることがよくわかります。 震災から一年たってさまざまな問題が山積していますが、復興のためにも被災者の方々の 健康を守ることができるためにもTEー ARTE,の教えが広く持続可能な看護の力として浸 透して欲しいものです。
川嶋
 素手でできるのが看護であります。副作用もなく、痛くもなく、安心を与え、気持 ちを良くでき回復に?がるのです。看護は手とハートさえあればできます。ほかに必要な ものと言えば、お湯とタオルと石鹸くらいではないでしょうか。これらが備わっていれば TE-ARTEになります。