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【座談会】看護実習を語る 臨床実験で気づく看護の奥深さ

臨床実習で気づく看護の奥深さ

看護科で臨床実習が進められている。准看としてすでに医療現場を経験している学生たちだが、臨床教育で新発見、再発見することは少なくないようだ。
看護科の4人の学生に、実習で見出した看護の意義と課題について語り合ってもらった。(司会編集部)

田中由紀 (2年コース2年生)
栗原幸絵 (3年コース3年生)
棟方美 (3年コース3年生)
島田亜紀子 (3年コース3年生)

看護現場の「もう一つ深い考え方」に感銘

–皆さんは准看としてすでに現場で働いた経験をお持ちですが、看護実習に入られて「こんなところが違う」と思ったのは、どのあたりでしょうか?

栗原
実習病院は、さすがにお手本になるような医療機関だと思いました。これまで仕事の現場で出会ったり、授業で学んだりしたのと同じ疾病を持つ患者さんを実習で担当したのですが、どうしてもわからなかったことを勉強できて、「あ、そうだったのか」と思うようなことにいっぱい出会っています。

島田
実習病院では、技術的な面など、自分が今まで経験してきたこととの違いを数多く感じています。ただ、私はここでは学生なので、どう違うかということよりも、まったく新しいことを学ぼうという姿勢をつねに忘れないようにと考えています。

棟方 美さん

棟方
私は准看の仕事としての経験から、いちばん興味があったのが脳外科だったのですが、幸いに実習でも脳外科 に行くことができました。ですから、経験のない人に比べれば、実務の上でも考え方の上でもプラスに働いた面があると思うし、自分がさらに成長しっつあると いう実感があります。
准看の現場では何人もの患者さんを受け持たなければいけないのですが、実習の場では一人の患者さんだけ担当するので、その人に焦点を当てて、元気になって もらうためにはどうすればいいのかを考えることができます。たんに物理的に援助するというだけではなく、それがどういう影響を生むかといったことまで考え ながら看護に参加できるのです。さらに患者さんや指導してくださる方、一緒に実習している仲間などとの情報交換ができ、准看で働いていた時には目を向けら れなかった部分にも、目を向けられる機会になっていると思います。

田中
私はたまたま以前准看として働いていた病院と実習先が同じになりました。慣れている病院なので、技術的な面などで患者さんに接しても何でもできると思っていたのです。ところが、いざ実習に行ってみると、看護婦さんは何でも一つ一つ、もっと深く考えてやっていることがわかりました。手技などはけっこう身についているつもりですが、それを用いる考え方そのものが足りなかったようです。たとえば今まで注射の意味について看護婦さんから質問されてもある程度は答えられる部分はあったのですが、それをもう一つ深く突っ込まれると答えられません。「よく今まで現場にいたな」と恐くなるようなところさえありました。

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疾病により大きく異なる患者像

–実習先の診療科はそれぞれ異なっているわけですが、その科でしかできないような特有の体験というものもあるわけですね?

棟方
准看の時の実習経験では、患者さんに話しかければそれなりの返答があったのですが、脳外科の患者さんはそうではありませんでした。頭の手術
を受けたりとか、呼吸するために気管に穴を明けられて発語できないとか、コミュニケーションに障害があることが多かったのです。そこで看護婦さんはコミュニケーションするための刺激を一生懸命患者さんに与えようとします。実習に行った時も、脳外科でそうした看護婦さんの対応を見てとても感心しました。

島田
私は慢性期実習で透析科に行っていて感じたのですが、患者さんはけっこうわがままで、クセのある方が多いということ。つまり、透析の患者さんは1回始めると一生続けなければならないために、生活の上でいろいろ規制が多くてスーレスが強いわけです。私が受け持っていた患者さんは心不全の発作から透析を開始した方ですが、とても対応が厳しく、すごくきつい口のきき方をされます。また、病気との付き合いが長いために、患者さんのほうがこちらより病気についての知識も豊富に持っていて、何かと突っ込まれたりします。疾病が患者さんの性格を作るようなところがあるということをすごく感じました。

田中由紀さん

田中
急性期の実習で、精神科でいきなりビュルガー病(閉塞性血栓血管炎)という難病の患者さんを受け持つことになりました。どんな疾病なのかも、患者さんがど のように経過していくかもわからず、インターネッ-などを使って調べようと思っても資料がなかなか見つからずに大混乱しました。そんななかでなんとか情報 を集めて勉強して患者さんを指導できる部分が出てきたり、患者さんも一緒に考えてくれたりして、少しずつ病気のことが理解できるようになってきたことは成 果でした。

栗原
現在いるリウマチ内科の患者さんは難病の方がほとんどなので、そういう意味では私も今まであまり知らなかった疾病を多く見ます。受け持っているのは糖尿病で脳梗塞を併発しているという患者さんで、これまで仕事で接してきた患者さんとはまるで異なったことを学んでいます。

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患者さんとのコミュニケーションの難しさ

–患者さんからはたんに疾病を学ぶだけでなく、ふれあいの中から教わることが多いわけですね?

田中
急性期の実習で脳外科に行った時、21歳の女性で結婚して3ケ月で脳梗塞の発作を発症し身体の自由がきかず、言葉も話せない状態の患者さんを担当したことがあります。先生の決めたゴールは車椅子歩行でしたが、それに向けて患者さんはとても意欲的にリハビリに取り組み、ご家族のサポートもとても熱心でした。自分とあまり年齢の変わらない患者さんだっただけに、もし自分がそういう病気になったらということを考えると、「すごいな」と感じさせる頑張り方でした。そして、私が実習を終える頃は、言葉もかなり回復し、1人で車椅子を操作できるようになっていたのです。そんななかで看護婦さんたちから、彼女が私のことを「相棒」と呼んでくれていたことを聞かされてとても感動しました。いよいよ退院という時、患者さんと2人で泣いてしまいました。「やっていてよかった」という体験です。

島田
最近担当したのは慢性の心不全の終末期に近い患者さんでした。肝臓も腫れて呼吸するのがやっとという状態でとてもつらそうに見え、最初はコミュニケーションもとれず、どのように接していいか全然分からなかったのです。こんな方には「大丈夫ですよ」などということもできません。ところが、指導の看護婦さんから、「話を聞いてあげればきっとラクになると思うので、じっくり聞くように」とアドバイスされたのです。でも、どう聞いていいのかわからずにいろいろ本を読んだりして話をしてもらえるように工夫しました。すると、患者さんの態度も変わってきて、家族のことや昔のことなどいろいろ話してくださるようになりました。まず患者さんの立場に立つということの大切さを学びました。

棟方
脳外科の実習の時、自分では頭の思考はしっかりしているのに、思っていることが言葉にできないという患者さんを担当しました。サインを作ったり文字盤を使ったり、文字で苦いたりして意志を伝達しようとするのですが、善くにしても腕が震えてよく書けないし、目も「眼振」といって視野がふるえてよく見えず、それだけで気持ちが悪くなったりします。終末期にある患者さんとは違った意味で、コミュニケーションは大変な課題だと感じました。

栗原幸絵さん

栗原
今まで受け持っていた男性の患者さんは、もともと心臓に原因があってそれが原因で脳梗塞を二度起こして、糖尿病もあるという重症の方ですがへ自分でもその 状況を受け入れられずに苦しんでおられました。ところが、患者さんの悩みの非常に大きな要素を占めていたのが、じつは複雑な家庭事情にあることがわかった のです。これは看護婦さんにも言えなかったことであり、実習生に打ち明けたのも私が最初だったらしいのです。患者さんが今本当にいちばんどうして欲しいの かということまでたどりつくのはたいへんなことですが、そこまで考えてあげるということが大切だと感じました。

田中
私は医療現場で働くようになって以来、いちばん大切なのは技術とか知識よりも心だと信じてきました。ですから、患者さん自身に少しでも近づきたいと考え、それを目標にしてきたのです。ところが、精神科の実習に入って初めて、患者さんからコミュニケーションを拒否されるということを経験し、それがすごく悲しくてどう患者さんと接していいかわからず頭が混乱してしまいました。そのなかで結局自分は患者さんの言葉で聞いてあげたり、想像してあげるということを忘れていたことに気づいたのです。たとえば時間をかけても待つことがとても大切なことだと思えるようになりました。精神科に実習に行ったからこそ、こうしたコミュニケーションの中での精神面の大切さを学ぶことができたわけで、すごくよかったと思います。

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患者さんの視線に立ちかえる姿勢が必要

–准看から看護婦へという次のステップで、これからの実習で何を心がけていきますか?

島田亜紀子さん

島田
患者さんがいちばん求めていることに気づくことができるようになりたいということです。この患者さんに必要な援助は何か、それをどうすれば適切に提供できるか、また精神面での思いを忌伸なく出していただけるかを考え続けることを、自分の課題としていきたいと思います。
実 習の中で、いつも忙しくて病棟を走り回ったりしているけれど、患者さんと話す時にはいつも目の高さを合わせて腰掛けてコミュニケーションをするという看護 婦さんがいて「いいなあ」と思いました。私も仕事の忙しさに流されるのではなく、いつも患者さんの視線に立ち返ることができる看護婦になりたいなと思います。

棟方
同じ疾患を持っていて同じような状況であっても、AさんとBさんでは対応のしかたを違えなければなりません。同じ胃の検査を受けるにしても、 人によって何が心配なのかも違うし、 説明のしかたも違います。ですから、 それぞれの人に最適のサービスをする「個別の対応」ができるようになっていきたいですね。患者さんの中でも自分から訴える人はいいけれど、看護婦さんが忙しい様子だったりすると、遠慮して自分から言い出せない人が少なくありません。私が脳外科で指導してもらった看護婦さんは、忙しいのに患者さんのことをとてもよく観察していて、患者さんが何か言いたげにしていると自分のほうから寄って行き「何かしましょうか?」などと聞くのです。あの能力は「すごい」思ったし、自分もあんなことができるように努力したいと思います。

栗原
身体と心の中は別々なものではないのですから、その人の健康を回復するためには、患者さんが今いちばん何を望んでいるかという心の問題を考えることが大切だと思います。それに対してどれだけ応えてあげられるかということが課題ですね。

田中
どの人も本来いろいろな計画とかを持っているわけですが、病気になれば大なり小なりそれが障害となって思うようにいきません。私はそういうところを見つけて、できる限りその人が社会にいた時の日常生活の環境に近づけてあげられるような援助をしていきたいと思います。また、内面的なサポートもとても大事ですね。
精神科の実習で、表面的にはすごく恐い看護婦さんが偶然指導の担当になってしまいました。最初は「いやだな」と思い、緊張していたのですが、彼女の患者さんとの接し方などを見ているうち、「さすがはプロだな」と思い知らされることになったのです。例えば患者さんに同じことを聞くにしても、彼女はいろいろな手段を知っていて、それを見ているだけでもとても勉強になりました。自分もあのように応用のきく問いかけができるようになって、患者さんが本当に求める看護サービスで応えられるようになりたいと思っています。

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