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生活に根ざした笑いが、医療を考えるヒントになる

立川談志門下、立川志らくの弟子で二つ目の立川らく朝さんは、じつは現役の内科医。医学生の頃から念願だったプロの落語家への道を、46歳にしてスタートさせた。前代未聞の「二足のわらじ」を履き続けるらく朝さんならではの人生観、医療観、健康観を聞いていく。

 

立川らく朝(たてかわらくあさ)
本名・福運恒利。1954年長野県飯田市生まれ。79年杏林大学医学部卒業。歴応義塾大学医学部内科勤務を経て、92年メディカルサポート研究所を設立。現在同代表。98年、44歳で立川志らく門下に客分の弟子として入門。2000年、本格的なプロの落語家として再出発をする。02年「表参道福澤クリニック」開設。04年家元立川談志に芸を認められ、二つ目に昇進する。著書に、『外国で安心して医者にかかれる本』、『怪我と病気の英会話』、『熱く語る・企業のエイズ対策』,『一笑健康』など。

演ずるものにしかわからない魅力

後藤
医療に関系している人は、社会的な付き合いや対人関係が苦手ということがしばし見受けられます。
この点、らく朝さんは医師でありながら人を喜 ばせる芸を趣味にし、ついにこの道のプロになられたいうのは驚きです。最近、笑いと健康の結びつきということがさかんにいわれていますが、らく朝さんの生 き方は、我々、コ・メディカルの世界の者にとって、とても参考になるのではないかと考えました。まずらく朝さんの落語との出会いについて聞かせてくださ い。
らく朝
私が生まれ育ったのは長野県の飯田市という地方都市ですから、子どもの頃は落語との接点はほとんどなく、ごくたまにラジオから聞こえてくる落語を「面白い な」と思っていたくらいのものです。中学生の頃、テレビで寄席中継を見るようになり、ようやく落語の魅力を知りました。東京の高校に通うようになって、演 劇部で落語に取り組み、3年生の文化祭で初めてみんなの前で落語を演じています。
大学に入ると、そこにはやろうと思っていた演劇のサークルがな く、自分で落語研究会を創って、集中的に取り組むようになりました。落語は個人芸で、芝居と違ってお金もかかりません。それにだいいち落語が好きだったの で、かなりはまってしまいました。卒業する頃には、「医者になるか、落語をとるか」と悩んだりしましたが、すぐに医学研修が始まってこれに追いまくられる うち、もう1つの選択を考える余裕もなくなってしまいました。
後藤
それにしても、相当な打ち込み方だったのですね。いったい落語の魅力とは何だったのでしょうか。
らく朝
同じ「落語が好き」といっても、やる側と聞く側では全然違うと思います。たとえお客さんが10人くらいでも、高座でライブをする満足感というものは、やっ てみた者でなければわからないでしょう。ただ面白い話をするというだけでなく、お客さんの反応を肌で感じながら、やりとりしていくという醍醐味はほかでは 味わえないものがあります。
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他人には真似ができない健康落語
後藤
どうして立川門下に入られることになったのですか。
らく朝
大学を卒業してからも、年に1回落研OBで寄席を聞いたりしていたのですが、それも八回続いたところで、会場にしていた上野の本牧亭がなくなって、自然消 滅しました。一方で、医師としての仕事は大学勤務をやめて、自分でメディカルサポート研究所を設立するなど忙しくて、時間的、精神的余裕がなくなってしま い、落語を聞くこともなければ、もちろん高座に上がることもなく、10年くらいはまったく落語との縁が切れてしまったのです。
ところが、平成8年(1996)、あるきっかけから立川志らく師匠の主宰する勉強会「らく塾」に入会し、再び落語との付き合いが始まりました。すると、1年くらいのうちに「やっぱりプロでやりたい」という気持ちになって、志らく師匠に「弟子にしてください」と申し込んだのです。 その結果、平成10年、44歳の時に、志らく師匠の厚意で客分の弟子という扱いで入門を許され、落語家としての活動を開始しました。「らく朝」の名は、当 時の私の語り口が故古今亭志ん朝師匠に似ていたことから「朝」をいただき、志らく師匠の「らく」と併せたものです。さらに21年、46歳にして志らく門下 に本来の弟子として、改めて入門し直し、本格的なプロの落語家として再出発をすることになったわけです。後藤すると、何年かたってみて、「やはり落語家がいい、医者はいやだ」となったわけですか。
らく朝
べつに医者がいやになったわけではなくて、大げさにいえばどちらが幸せなのかなということを考えたわけですね。医者のままで幸せなのか、やはり落語をやっているほうが幸せなのじゃないかと思い、試してみた。すると、「やはり落語をやっているときのほうが幸せだった」と気づくことになったわけです。
後藤
らく朝さんは毎月、「健康と癒しの落語会」というものを開催されていますね?最近、笑うと免疫担当のナチュラルキラー細胞の値が上がるといったことが強調されていますが、こういった考え方から出てきたものですか。
らく朝
笑いで免疫力が上がるかどうかは受け取-手の問題であって、こちらは落語家である以上、まずお客さんを笑わせることが本業です。そうした笑いの提供という中で、健康ということをテーマに選んでいるにすぎません。
高座に上がっている時の私はもう落語家ですので、「笑いによってお客を健康にしよう」などという意識はないのです。もし高座で、そうした意図を持つということになれば、芸人としてマイナスでしょう。芸人とし厳しさをもって笑うことが第1と心得ています。
後藤
古典落語の世界では、ご隠居や若旦那が登場し、お灸や銭をやる医学集団も出てきて、人間の生老病死にかかわる話題も出てきますね。らく朝さんがオリジナルで作られている健康落語では、それの現代版を目指しておられることになるでしょうか。
らく朝
「健康と癒しの落語会」では、ヘルシートークか健康落語かどちらかをやるわけですが、 ヘルシートークのほうはギャグを取り入れた健康情報を聞いてもらおうというものです。誰にも身近でありながら命にかかわる生活習慣病を話題にしています。
一方、健康落語は健康情報も少しは入っているけれど、それがメインではありません。完全な古典落語の形式を取っていて、江戸時代を背景に、お馴染みの面々が出てくるストーリーの中で、ある病気についての側面を理解してもらえるよう工夫しています。例えば笑っているうちに、いつのまにか糖尿病のメカニズムが理解できしまうという仕掛けです。
本来、私がいちばん取り組みたいのは古典落語ですが、世の中の需要はなんといっても健康の話を聞きたいというほうに向いています。今のところ、健康落語のようなものは、私しかできないので、そうした気概を持って取り組んでいるところです。
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共感できる笑いを目指して
後藤
笑いの種類にもいろいろありますが、最近のテレビのバラエティ番組などを見ていると、他人の失敗などを笑いものにしてみんなでゲラゲラ大笑を出すといった種類の笑いが目立ちます。それが免疫力を高めるかどうかは別にして、どうも不健康な感じがします。例えば、上智大学のアルフォンス・デーケンスという哲学の先生は、「ユーモアの感覚とういものは、自分自身を笑いものにして人を喜ばせ、それによって自分自身も楽しむということ。それがいちばん身体にいい笑いだ」と話しています。この感覚は、ある意味で落語と共通するのではないでしょうか。
らく朝
古典落語の世界では、長屋の与太郎といったおっちょこちょいの人物が登場して笑わせたりしますね。その笑いが何故いいのかというと、人間の生活といったものに根ざしている笑いだからです。聞く人が、スートーリー展開の中で、時代背景や登場人物の背景などを理解できてはじめて笑うことができるという部分がある。これに対して、今のテレビのお笑いの多くは、人生とは何も関係のない瞬間芸のようなものです。私も勉強だと思うから、そうした番組を見ることもありますが、ときどき耐えられなくなってしまうことがあります。
人は年をとるにしたがって、話に感情移入しやすくなるものです。すなわち、その人の人生のストーリがあってこそ、ある部分の理解ができてそこに共感が生まれてきます。そうした意味で落語はおそらく芸として笑わせるパワーがあるのではないでしょうか。ドッとした笑い声の大きさが何ホーンもあったから面白かったといいますが、満足度の高い笑いというのはそれとは反比例するでしょう。年齢を重ねるほど、笑いの質は高くなっていくのであり、そうした笑いを獲得するためには勉強しなければなりません。落語には、話を聞いていながら、「ああそうだろうね」、「そうだ、そうだ」といった共感を得られることがいつも求められるのです。
後藤
確かに共感していなければ笑えないというところはあると思います。落語の中の与太郎が人を笑わせるといっても、人が失敗したことをケタケタ笑うのとは笑いの質が違うわけですね。らく朝さんのおっしゃる笑いについてののお考えからすれば、我々コ・メディカルはみんな一度落語の勉強をしたはうがいいのではないか、という気もします。
らく朝
落語の中で与太郎のことをみんなで笑いますが、けっして馬鹿にしているのではあ-ません。与太郎は例外なく否定されていないですね。何かあれば必ず、「与太郎に声を掛けよう」、「与太郎の言うことを聞いてみよう」ということになります。現実の世の中では馬鹿なことを言ったりしたりする人は、馬鹿にされ重視されるはずなのに、与太郎は拒絶されることはありません。それが落語のすごさではないか、笑いとしての質の高さではないかと思います。
医師は芸人の世界に学べ
後藤
らく朝さんは、ほかの医師はまず経験することがない芸人になるための修行をなさっています。そうした別の見方ができると、「医師になるための修行としては、こういうところが足りないのではないか」と気がつかれるようなところもあるのではないでしょうか。
らく朝
医者になるための修行で、私が決定的に足りないのではないかと思うところは、社会性を養うということです。
医師に社会性が欠如しているためにトラブルが起こったり、非難されたり、場合によっては訴訟が起こったりしています。逆にいえば、「医者には社会的常識が必要ない」といっていいくらいの状況です。常識がなくても「先生」と呼ばれる世界ですから。そこへいくと芸人は、常識がないと生きていけません。
まず挨拶ができないとなれば、修行も何も始まりません。とりわけ立川一門は、こうしたことに関して落語界でいちばん厳しいといえるでしょう。
後藤
今の医学教育で社会性を養うことができないということが、医師の患者への態度にも現われているわけですね。
らく朝
まず第一に感じられるのは、説明しないということです。現在は「患者が医療を選択する時代」といわれますが、やはり患者さんが選択できるためには医師から十分な説明がなされなければなりません。説明しないということは、「どうせ話しても理解できないだろう」と、患者さんを対等な立場にあるとみなしていないことになるし、大げさな言い方をすれば患者さんの権利を無視していることになりますね。
こうしたコミュニケーションのあり方にたいして、芸人の世界から学ぶというのは非常にいいことだと思います。芸の世界では「何がいいか」「何をしなさい」ということをけっして教えません。ただ間違ったことすると、「だめじゃないか!」と怒鳴りつけられます。具体的にいえば、タバコを取り出せば灰皿を用意する、汗を拭いていたら冷たい飲み物を出す、つまり相手の気持ちのなって考えるということを学びます。
お茶やコーヒーを出す時、ちょっと茶たくにこぼれて茶碗の底が濡れているということがありがちですが、芸人の世界ではそんなことがあったら論外です。前座というレベルの修行を積んでいって、ようやく人間扱いされるようになりますが、医者にはそういう立場を経験することがありません。こうした徒弟制度がいいことかどうかは別として、それを経験することによって見えないものがあると思います。
後藤
その人が何をしてもらいたいかを部屋の中にずっと観察する修行というのは、医学教育においてもだいじですね。鍼灸はかつてまったくの徒弟制度でしたが、それが学校教育にかわってから何か大事なことを忘れてしまった。また看護教育も日赤が行っていた時代から、学校教育に変わってすごくレベルが上がったといわれるけれど、一方で何かが欠けてしまった。私は、その欠けた部分は、「相手の望んでいる事を察してあげる」ということなのではないかと思います。
らく朝
昔の教育機関は、子どもを社会人として教育する責任があった。これに対して現在の教育カリキュラム社会というのは、教育内容は同じことをやっているのだろうと思いますが、社会性を育てるということがなされていません。「芸の世界に入ってみろ」と言いませんが芸の世界に見習うべきことはたくさんあるのではないでしょう。
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