病気のなかで溌剌と生きる
腎臓がんのMさん。
自分でやると決めた治療はひるまずにやる。
さらに検査の結果や情報を熟読玩味して新しい治療法を加え、
その治療法を信じて、いとおしむようにつづけるMさん。
その眼にはいつも喜びや感謝の気持ちが溢れている。
帯津良一 (おびつ りょういち)
1936 年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、現在帯津三敬病院院長。専門は中医学と西洋医学の結 合によるがん治療。 世界医学気功学術会議副主席などを務める。著書に『がんを治す大事典』(二見書房)など多数。
「先生!。『がんになったとき真っ先に読む本』に出てくるDさんというのは私のことでしょう。」と診療が終わったMさんがセーターを着ながら突然問いかけてきました。
いま診察した所見をカルテに記入していた私は「そうですよ!」と間髪を容れずに答えました。
いろいろな書き物のなかに私の患者さんの誰彼が登場します。ほとんどの場合、本名で登場することはありませんし、年令や病名も変えていることが多いので、 特別の場合以外、ご本人にそのことを断ることはしません。第3者の目からは誰のことかわからないからです。しかし、ご本人が読めば自分のことだということ はわかります。
だから、あとになってご本人と私の間で話題になることはあります。そのタイミングとかきっかけについては一定していません。その人によってさまざまです。 Mさんの場合はあの本が出てから五か月目のことです。その間にすでに2、3回は診察室を訪れていることになりますが、その時は言おうか言うまいか思いあぐ ねていたのかもしれません。今回の切り出し方もいささか唐突でしたから。
「あなたの病と向き合っての生き方が、一つのスタイルとして私には興味があるものですから、書かせてもらったのですよ。」
「ありがとうございます。この次に書いていただくようなことがありましたら、参考になればと思って、いま私が受けたり、自発的にやったりしている治療法をリストにしてみましたので、お使い下さい。」
と言って、一枚の大判の集計用紙のようなものを手渡してくれます。巾の狭い行間が小さな端正な字でびっしりと埋められています。ざっと40行もあります。目を瞠るとともに、なにかMさんの生きざまが伝わってくるような温かいものを感じたこともたしかです。
Mさん。現在は68歳の男性。若い頃は陸上競技の選手として鳴らしたというだけあって、背筋がすっと伸びて上背のあるよい姿勢をしています。
腎臓がんのために1992年12月に左腎の摘出をうけました。ほっとしたのも束の間、翌年の8月に肝臓への転移が見つかり、再入院して、肝動脈塞栓術 (TAE)を受けました。局所的な治療とはいえ、術後に発熱や嘔気があったりして、決して楽な治療法とはいえません。Mさんは3か月間の入院で3回の TAEを受けました。
TAEの効果は期待に沿うものでした。転移巣を押さえこむことに成功しました。しかしこれでよしというわけにもいきません。闘いはこれからです。退院後 は、通院で週三回、インターロイキン2の注射を受けることになりました。インターロイキン2というのは、Tリンパ球の作り出すサイトカインと呼ばれている 物質で、がん細胞に対する最強の攻撃部隊であるナチュラル・キラー(NK)細胞を刺激して、これを奮い起こさせる働きがあります。比較的新しい免疫療法の 一つです。
まだまだ一定の効果をいつも得られるという段階には至っていないうえに副作用も少なくはありません。Mさんの場合も注射後には必ず発熱と腰痛が現れましたが、ひるまずに週三回の注射を受けに通院しました。
この何事もよく吟味した上で、やると決めたらひるまずにやるというのがMさんの真骨頂のようです。
Mさんとの付き合いのなかでそれがだんだんわかってきました。そしてこのことが病の克服のうえでいちばん大事なことのように思えてきました。
インターロイキン2の注射に通いだして間もなく、自分の力で自然治癒力を喚起する方法もやってみようと思いました。だれかにきちんと相談したわけではなく、それまでに活字や人の話によってなんとなく記憶にあるものから始めました。ビタミンCの錠剤を1日に1グラム、ニンニク錠、スギナ茶です。それに食事から肉類を除くようにしました。
Mさんはその時点で私の病院にやってきました。最初に気持のもち方について話し、食事指導の予約をし、気功のオリエンテーションをおこない、漢方薬を処方 しました。その後は2・3週間に1度の割合で通院してきます。いつも奥さんがいっしょです。2人の呼吸はぴたりと合っているのがわかります。
あちらの病院での検査の結果をいちいち報告してくれます。そのつど一喜一憂です。
しかし、この一喜一憂は普通の一喜一憂ではありません。一本ゆるぎない芯棒が通っています。その都度情報を熟読玩味して新しい治療法を加えます。その治療 法を信じて、はじめた以上ぐらつきません。
いとおしむように続けます。まさにMさんにとっては珠玉です。その珠玉のリストとは次のようなものです。
●煎じ薬、エキス剤の十全大補湯、天仙丸、ウコンとガジュツの錠剤。ニンニク粒。クコの実。
●ビタミンC(10g)、プロポリス液、、ロイヤルゼリー(カプセル)、EMX、サメ軟骨エキス錠。
●飲料水としてはミネラルウォーターと野草茶(18種の野草を混じたもの)に朝鮮ニンジン、霊芝、スギナを加えて作った茶。時にブルガリアヨーグルト。
●食事。主食は胚芽米(有機農法、無農薬)。醤油、味噌も無農薬、無添加。塩は自然塩。
副食物で毎日必ず3度3度食べるものとして、ニンジン、小松菜(いずれも有機農法、無農薬)、海草類(自然酢で和えたもの)、鰯の丸干し、黒ゴマ、ふりかけ。 納豆、シイタケをできるだけ食卓にのせる。
魚(青皮、白身)、貝類、有色野菜(天然、、露地物)を主としたメニューをつくる。
肉類(牛、豚)、白米、パン、出来合い弁当は一切食べない。
どうです。すごいでしょう。
しかも、こんなにたくさんのものを嫌々食べたり服用したりしているのでもなければ、これもすべて病を克服するためなのだという悲壮な決意のもとに遂行しているのでもありません。
それどころか、喜びや感謝の気持が溢れているのです。リストを私に手渡すときのMさんの眼を見ればそれがわかります。もちろん、奥さんの笑顔もさわやかで す。奥さんも喜びを噛み締めながら毎日協力しているのでしょう。協力ではないですね。一心同体と言った方がよいでしょう。
そのほかにも万歩計を着けて出来るだけ多く歩くようにしていますし、気功にも余念がありません。ひと頃、有名な外気功の先生のところにも通ったそうです が、いまは止めています。そうでしょう。Mさんの内気はいやが上にも高まっているのですから、他人様の気は無用の長物というものでしょう。
Mさんは病のなかで、これまで以上に溌剌と生きているのです。
「病気になり死に瀕したからといって、自分のなじんできた世界の終わりではない。自分自身でありつづけることはできる(たぶんこれまで以上にそうでさえある)。病者は、病気に対抗する行為を、ゲームに、キャリアに、芸術形式にさえ変えることができる。興味深くて同時治療学的なことを、いろいろやることができる。」
アナトール・ブロイヤード
(『癌とたわむれて』、晶文社)