日本で臓器移植は定着するか
移植に必要な 情報“公開”の姿勢
札幌医大における心臓移植から、
日本での臓器移植の歴史は30年近くが経過した。
その間、果たしてどこまでこの問題は論議されてきたと言えるのか。臓器移植の今後の可能性と課題を、現場のジャーナリストが、移植医療チームと報道陣の関係から探る。
田沢健次郎 (前メディカル編集新聞社長)
廃案になった「臓器移植法案」
臓器移植に関する法案「臓器移植法案」が今年9月の衆議院解散で廃案となった。法案は、日本で1968年に行われた札幌医科大学の和田寿郎教授による移植 以来停滞してきた心臓移植をはじめ、脳死がからむ臓器移植を実施するための内容を盛り込んだものだった。
しかし、2年前の4月に国会に提案されたのに、衆 議院の厚生委員会で参考人意見聴取と名古屋などで地方公聴会などが開かれた程度で、いっこうに審議が進まず、実質的な論議はなされてこなかった。
わずか に、今年6月の国会の会期切れ寸前に、法案の一部修正がなされただけだった。
この2年間、国会では他の審議の後回しにされてきたのである。
移植を行う外科医たちなどの集まりである日本移植学会(理事長・野本亀久雄九州大学教授)は、国会で法案が審議されている間は、脳死移植を自重してきた。
しかし、廃案となったことで、学会は解散の翌日の9月28日に理事会を開き、「脳死移植を学会の責任で実施する」ことを決めた。選挙後の国会で再度法案が提出されるかもしれないが、学会としては、国会の審議を見守ったのに2年間まともに扱われず、もう我慢できないというところかもしれない。
しかし、そこには68年の日本初の心臓移植が投げかけた問題が深く尾を引いてきた、という気がする。
人口心臓
札幌医大の心臓移植では移植を受けた患者は83日で亡くなっているが、・ドナーの心臓は生存中に摘出されたのではないか、・手術を受けた少年の病気 は本当 に移植の対象になるものだったのか、などの疑惑を生み、和田教授が殺人罪で訴えられた。結局は不起訴処分となったが、以後、移植医を含めた医療界に対する 不信感と、心臓移植に必要とされる脳死の状態は「人の死」かをめぐる問いかけを残した。脳死状態では脳は機能しなくても、人工呼吸によって心臓や肺など首 から下の臓器には血液が流れ、体温もある状態が続く。この状態は、確かに脳は機能しないが、体は「生きている」ように見える。果たしてこれは死といってい いのか。
法案が提出される前の1990年から国レベルで臓器移植を審議してきた脳死臨調(臨時脳死及び臓器移植調査会)は、脳死体からの臓器移植は認めるが、脳死が死かどうかについては賛否両論の意見を付けて結論を出さないままに2年後解散した。
その後、法案が提出された際には、脳死が人の死かどうかを議論することなしに、心臓死による角膜と腎臓の提供による移植に関する法律(角膜及び腎臓の移植 に関する法律)の転用を図った。この法律の中の「死体」という言葉の後ろにカッコを付けて(脳死体)という言葉を挿入し、「死体(脳死体も含む)」とし て、脳死移植も可能という文言に変えてしまった。大事な論点を、こうした安易なすり替えで片づけようとして、かえって国会議員から市民まで含めて法案成立 に対する賛否両論の動きを活発にすることとなり、結局は廃案になってしまった。移植学会は今後シンポジウムなどを開いて国民に移植の必要性を訴え、移植に 備えてのルール作りに乗り出すという。
フェアな医療体制と公開の姿勢
ドナーから取り出された腎臓
和田移植当時は、医師が絶対的な権力を持っていた時代だった。
約30年たった現在、インフォームド・コンセントという言葉が医療現場に頻繁に登場し、患者に治療法をわかりやすく説明し、患者が治療法を選択することができる時代になりつつある。
こうした流れに移植も例外であってはならない。野本理事長は昨年9月に理事長に就任した時に、「フェアでベストの医療体制で、しかも疑念をもたれたらいつでも公開の姿勢で対処する。」と言明している。理事長の言葉は守られてほしい。
そ うでないと、今後脳死移植が起きたとしても、密室の移植とすら酷評された和田移植の二の舞となり、臓器移植の定着はさらに遠のいてしまうだろう。臓器移植 が成人病治療の一環として存在することは間違いないが、今後の日本で定着していくかどうかは、理事長のいうように公開の姿勢にかかっている。
公開ということでは、1989年11月に島根医科大学で行われた移植を思い出す。父親の肝臓の一部を子どもに移植したもので、日本初の生体肝移植だった。脳死による移植が滞っているなかで、突破口を開こうという移植だった。
欧米では生体肝移植が少数試みられていたとはいえ、肝臓移植の主流は脳死者からのドナーによる移植で、島根医大の移植は日本の移植医たちからも冷や やかな 目で見られた。事前に外国でその手術手技を学んだわけでもなかった。動物実験はあったにせよ、いわばぶっつけ本番の移植だった。
子どもは手術後280余日で亡くなったが、この移植に関しては、マスコミから強い批判は出なかった。
なぜか。情報が公開されていたからであろう。
こ の手術は、最初に NHKと読売新聞のスクープとして報道された。すぐに追いかける形で各マスコミがしのぎを削るような取材を始めたが、最初の段階から患者の名前が表面化し てしまったこともあって、移植チームの研究室にまで自由にマスコミが入れるようになった。研究室の黒板に書かれた移植患者の子どものデータや、移植チーム のスタッフの動向などを見ることができた。これを取材側が見ては、チームに
質問し、スタッフも答えるという慣例もできてしまった。
定例の記者会見は毎日数 回開かれるが、研究室までオープンになっていたために、移植に関するデータが隠されているという感じを私は特に持たなかったし、他の取材者も持たなかった と思う。最初に名前が公になったこともあって、両親も記者会見にしばしば応じてくれた。移植チームは病院に泊まり込み態勢でのぞみ、取材記者も彼らといつ も一緒にいた。
チームの家族が夜食の弁当や食べ物をよく運んできていたが、それを一緒にごちそうになることもあった。スタッフの動向を逐一間近で観察する ことができた気がする。
なれ合いといえばそうかも知れないが、恐れずに言うと、移植チームと取材者側との間に「信頼感」のようなものも生まれていた。こうした「信頼感」ができる かできないかで、報道の姿勢も変わってくるのではないかと思う。
人工透析を受ける患者
実は、この手術は、本当は縫ってはいけない部分を縫うという失敗もからんだために、子ども は退院できなかったのだが、子どもが悪い状態になると、チームの中心だった助教授は、自分の部屋に閉じこもっては外国の論文を読み、何か治療法はないか探 し、製薬メーカーに、まだ未承認だが外国で使用されている薬を送ってくれるように頼むという「泥縄」的な対応をしていたこともある。そういうことがわかっ ても移植チームへの批判報道とはならなかった。
人工肝臓
手術には明らかなミスもあったし、手術後も泥縄的な対応がいくつもあったが、それを厳しく批判するような報道とはならなかったのはどうしてか。
ここでも「公開」と「信頼感」というものが作用したのかもしれないのだ。こうした報道がよかったのかどうかは別にして、移植が定着するかどうかのカギの一つに、取材側との「信頼感」がどれだけ築かれるかということがあると思う。
こ の「信頼感」は、移植施設がどれだけオープンな姿勢をとれるかに関わってくるであろう。少しでも隠れた部分があると、調べようとするのがマスコミの習性 で、その結果は移植側の意図とは別に大げさに扱われてしまい、「あの病院は、こんな悪いことをしている」という悪いイメージを与えてしまうことになりかね ない。
島根医大での生体肝移植はこの一例だけだが、その後は京都大、信州大など10ほどの施設で実施され、日本では今までに300例以上も実施されてきた。これ は、島根医大の例が「好意的」に報道された点が大きかったと思う。
腎臓移植以外で、これだけの例数を重ねている移植は日本では生体肝移植以外にない。「脳 死肝移植こそ主流で、生体肝移植は傍流」と言っていた他大学の移植医たちが多かったが、「主流」とされた脳死移植は、東京女子医大がベルギーから送られた 肝臓を使用した一例以外は実施されていない。「傍流」の移植の生体肝移植が主流となっているのが日本の実態である。
島根医大の移植が、データを隠して公開とはほど遠い姿勢で行われていたとしたら、おそらく、生体肝移植は悪いイメージとなって報道され、患者が亡くなった ことを大失敗として、チームの責任も厳しく問われていたかもしれない。最初から公開されていたことが、移植数を300以上という実績に積み上げる原動力に なったのではないかと私は思っている。
島根医大の移植から七年が過ぎた。移植学会理事長のいう「公開」が これから本当に問われていくであろう。