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「バイオエシックス」にみる 生・病・老・死 – 4

老 バイオエシックスと老い

新しい時代をつくるお年寄りたちの活動
アメリカでは高齢者がボランティア活動をリードし、
若者たちと手を取り合いながら未来をつくろうという運動も浸透してきた。
高齢化時代はけっして暗黒ではない。
豊富な経験とそのパワーを活かす時代である。

木村利人 (きむら・りひと)
1934年東京生まれ。早稲田大学第一法学部卒業。同大学大学院法学研究科博士課程修了後、サイゴン大学、ジュネーブ大学大学院教授、ハーバード大学研究員等を経て、ジョージタウン大学医学部客員教授、早稲田大学教授。著書に『バイオエシックスとは何か』等多数がある。

アメリカでは高齢者がボランティアの主体

人間は誰しも老いることを避けられず、やがていのちの後半を迎える。日本には「隠居」という言葉があるが、この時期はひっそり隠れて過ごすものとされてきた。人生の収穫を終えて、あとは地味に過ごそうというライフスタイルになる。老人は老人として尊敬はされても、どこか社会的には役割を終えた存在となっている。

ところが、アメリカへ行ってみると、驚くのはお年寄りがじつに生き生きしていることである。今から二年前、アメリカでは、「ホワイトハウス・カンファレンス・オン・エイジング(高齢者に関するホワイトハウス会議)」が開催され、私は日本人でただ一人参加した。これは、高齢者のためのいのちを守り育てる運動をしている全米50州のグループの人たちが、10年に1度集まる会議である。

そこに来ている高齢者たちは、新しい時代をつくるために活発な発言と実践をしている。
彼らは雇用法の改正や、年齢差別反対をさかんに唱えていた。アメリカではこうした高齢者の意見が、街づくりや公共事業には必ず反映される。たとえば高齢者のための住宅は、台所の流しがちょっと低く取り付けられたり、廊下に手すりが設けられたり、障害者のために車椅子が入りやすいように設計される。日本では地下鉄といえば長い階段が多すぎて、とても高齢者が利用しづらい。ところが、ワシントンDCなどでは、地上の道路と地下鉄のホームが直接エレベーターでつながっている。高齢者や障害者が、磁気カードを使ってこのガラス張りのエレベーターをいつでも利用できるようになっている。

デイケアで体操をするお年寄りたち

アメリカのお年寄りは、ともかく明るく、積極的で、活発な雰囲気がある。地味で目立ちたがらない多くの日本の老人たちとは、きわめて対象的である。着ているものも違えば、仕草も違う。
どうしてこうも違うのかを考えてみると、重要な要素の一つは、アメリカではお年寄りたちが様々なボランティア活動の中心になっているという点だろう。日本 ではボランティアといえば、老人が主体になることはまずない。
ほとんど子育てが終わって時間のできたヤングミドルの家庭婦人か、学生に限られているケース が多い。

車でラジオを聴いていたら長野県の戸隠で青少年キャンプを行うというお知らせがあった。日本の昔話や紙芝居など、伝統文化について教えてくれるボランティアを募集しているという。その条件が、何と年齢35歳までとなっていた。これこそ経験豊かなお年寄りにお願いしなければならない活動なのに、こんなおかしな話はないだろう。お年を召した人たちも、自分が健康でいる間は何らかの形で社会に役に立ちたいと願っているのである。

アメリカでは、そうした高齢者のボランティアの場はたくさんある。例えば銀行で長く働いた会計士がその経験を生かして、ホスピス・ケア・センターの会計をやる。運転手を長くやってきた人がバスで患者の搬送を行ったりする。学校に長く勤めていた人が教育プログラムをつくって、小児病棟の子どもたちの教育にあたっている。

若者たちとともに明日をつくるグレーパンサーの活動

年をとった人たちが生き生き活動し、いい仕事ができる新しい時代をつくるために、戦略的にとったのが団結という手段だった。自分たち高齢者が互いに団結しなければならないのはもちろん、若い世代の人たちとも団結しなければならない。そして、世代間の壁を超えて支え合っていかなければならないというイメージをつくり出し、その実践を行った。

アメリカには、「グレーパンサー」という戦闘的な高齢者のグループがある。ヤングの世代とオールドの世代で共通する問題がいっぱいある。そのため彼らは、「老いも若きも一緒に成長しよう(Young And Old Grow Together)」というスローガンを掲げた。だから、グレーパンサーの運動には老いも若きもともに参加することができるが、もちろん高齢者が圧倒的に多い。
若い人と高齢者の共通点とは、まず第一にお互いに体が非常に変化しやすい時期にあるということである。片や成長の盛りであり、一方は老化が進む。

第二に、若い人も高齢者も互いにミドルの世代から無視されがちな世代である。若い人たちは経験がないからだめだといわれ、高齢者は社会で用済みといわれる。

第三には、お互いにドラッグに縁がある世代同士である。若い人たちは麻薬漬けが問題になっていて、年取った人たちはいろいろな薬剤漬けということが多い。

さらに、若い人たちと老人たちは、社会参加の機会が奪われがちな世代同士ということになる。一方は職やステータスがなく、一方は社会での仕事が終わったと見られる。だからこそ、両方ともラジカルな改革が提唱できる可能性がある。

風船バレーを楽しむお年寄りたち

日本には老人は老人だけ、若者は若者だけで集まる組織が多い。これに対して、グレーパンサーの戦略には、青少年と高齢者が一緒に新しい時代を作って いく可能性を感じ
ることができる。今は、ミドルの人たちがいろいろな政策をつくっているが、そういう時に、彼らの発想にはないプログラムを、高齢者と若い 人たちが一緒に作っていくことができるのである。

私もグレーパンサーの会員として、様々な活動に参加している。例えば教会でホームレスの 人たちのための炊き出しを行ったことがある。あるいは、グレーパンサーは、世界中のボランティアを必要とするところへ出かけて行く。現地の人たちに英語を 教えたり、エルダーホステルで大学のような授業を行ったりする。日本で持たれている老人のイメージとはまったく違った、活発なお年寄りたちの活躍がある。

そして、これからもっともっと元気のいい老人が、日本でもたくさん出てくると思う。見かけも実年齢も若い老人たちであふれるようになってくる。

日本人の高齢者に対するイメージは変わる

老人が新しいものを作り出すことができる時代がやってきた。そうした意味では、厚生省が高齢化対策として打ち出している福祉施設をたくさんつくろうといったゴールドプランのような政策は、間違いではないかと思う。また、年をとったら子供と一緒に住んで面倒をみてもらったほうがいいといわれる時代も、もうおしまいなのではないだろうか。これからは、年をとった人たちが、自らの意思で新しい生き方を決定し選んでいくような時代になっていくだろう。
すると、そのために具体的にどんな施策が考えられるだろうか。これもアメリカなどで行われてきたことが参考になる。

アメリカでは老年期に入って、自分の持っている土地と家を処分すると、特別の住居に入ることができる。これにはいろいろなシステムがあるが、共同体ともいうべき高齢者用のアパートメントに入ることが多い。元気なうちに夫婦で自分たちの老後のプランを立てて、家をどう処分するか、どこへ入居するかといったことを決める。
感激するのは、例えばこうした高齢者用の住居に入る場合も、それまで持っていたいろいろなものを運びこめることである。大切にしていた食器ももっていくし、可愛がっていた猫も連れていくことができる。これが日本の老人ホームだと、そこに入ることによって自分の生活が大きく制限を受けることになるし、空間も狭くなってしまう。

ゲートボールはお年寄りたちの人気スポーツ

私はアメリカのアスベリー老人ホームというところに、早稲田の私のゼミの学生を連れていったことがある。そこは、確かにとてもきれいで豪勢なホテル のような装いの施設であったが、驚いたことに学生たちは一様に、「これはお金持ちの老人の入るところで、贅沢すぎる」と口にするのである。
私は、 まず「年寄りは地味な生活をすべきもの」と考える学生たちの発想の貧困さを痛感しなければならなかった。また、彼らは、アメリカの普通の収入のある人たち が、自分の財産を売れば誰でもその程度のところに入ることができるのだということがわからないのである。これは私にはショックだった。

アメリカでは、自分が元気なうちに次のステップを計画して、高齢者にふさわしい住居を選ぶことができる時代がきている。その中でも、それまでのコミュニティの中で培ったいろいろな関係を保ちながら、充実した老後を過ごすことができる。こうしたあり方は自己決定を尊重するバイオエシックスの観点から非常に学ぶべき点が多いと思う。

アメリカの標準的家族の人々は、コミュニケーションが非常に密である。高齢者が家族から見放されて、老夫婦や一人ぼっちになった父や母がそういう施設に入り、寂しい老後を送っているのではないか、とみられるかもしれないが、そんなことはけっしてない。彼らはつねに息子や娘と電話で連絡を取り合い、気持ちを通じさせあっている。

そして、アメリカは高齢者のための制度的保証、年金制度、住宅控除、医療ケア制度、高齢者保険などが非常に充実している。そのための共通の負担をするという教育が進んでいて、小学校でも老人ホームを訪問したり、お年寄りたちと手紙のやりとりが行われたりする。また、図書館、教会などにいっても高齢者用の大きな活字の本がおいてあるし、目が不自由な人のためにテープでも聞けるようにしてある。社会全体がシニアの市民を大切にし、先輩たちを優先的にケアしていくシステムができているということは見習うべき点が多い。

私が、ホワイトハウス・カンファレンス・オン・エイジングで印象に残ったのが、最初の舞台である。それは60歳を越えた人たちによるバレエ「白鳥の湖」で幕が開いた。高齢者の管弦楽団の演奏も聞かれた。高齢者の希望と夢がかなえられるようなシステムづくりが、アメリカではいろいろな形で進んでいるのだ。
アメリカでは、普通年金が支給される65歳以上から75歳までの人を「ヤングオールド」と呼び、75歳から85歳までを「ミドルオールド」、85 歳から95歳以上を「オールド・オールド」と呼ぶ。健康な老人がこれからどんどん増えていくし、その活躍の場も増えていく。そのためのポジティブなプランが次々考えられている。

日本では高齢化社会がやってくるというと、まるで暗黒時代がやってくるように喧伝されているが、私たち日本人の持っている高齢者に対するイメージは、これから変わらざるをえない。元気な高齢者が増えてくることをネガティブな要素として見るのではなく、高齢者もいろいろな仕事をして収入を得る時代がやってくるのだとポジティブにとらえるようにすべきである。そして、社会に役立つためのボランティア活動に、高齢者が率先して立ち上がるようになっていくだろう。これから日本が本当の成熟国家としての豊かさを、世界に示すことができる時代がやってくるかもしれない。そのための基本的な計画づくりと具体的な政策を高齢者自身を中心にして、今つくり出していくべきなのである。