杭州の「胡慶余堂」という、清代から続く中医薬専門の薬屋を訪ねたとき、
「諸葛行軍散」の薬名を目にした。訊くと現在は作られていないということだった。『三国志演義』に薬や薬草名が2つ出てくる。そしてそのいずれにも後世諸葛孔明にちなんだ名前が付けられている。
岡田明彦
雲南省には多くの鍾乳洞がある。乃古林の芝雲洞劉備亡き後、孔明が出師の表を上奏して南蛮に南征するが、この南蛮地方は現在の雲南省昆明辺りで、少数民族の多い所である。そこは着物や鎧をまとっていられないほどの炎暑の地で、湿気も強く、蜀で育った兵馬には耐えられない場所だった。
演義には草で日除け棚を作って陣を張っているところへ、蜀より武将の馬岱が暑気払いの薬と兵糧を届けにやってきたとある。この暑気払いの薬が孔明の作った「諸葛行軍散」であったであろうとされている。
現 在中国で発行されている『中医学大事典』にその名を留めていて、またの名を孔明の諡(おくりな)武侯から取って「武侯行軍散」ともいう。その配薬を見る と、犀牛黄、麝香、真珠、梅片、朋砂、明雄黄、火硝、金箔など、動・鉱物の高価な生薬を配合していて、これらを細かく粉砕し、散剤にしたものを素焼きの瓶 に入れ口を蝋で密閉しておき、服用時には0.1~0.3グラムを取り出し冷たい水で飲む。効能を見ると、身体の穴を開き汚れを取り除く、暑さを治め解毒す るとある。高温多湿の土地で、マラリヤやコレラ、毒虫などに見舞われながらの難行苦行の行軍にとってその薬は天の恵みにも等しかったに違いない。
杭州市胡慶余堂の棚に飾られた秘薬の入った薬壺もう1つは、南蛮の王、孟獲の計略で4つの毒泉に誘い込まれた孔明軍は、唖泉という所で人馬がその水で喉を潤すと、ものが言えなくなり、兵馬ともども死を覚悟する下りがある。
そこへ1人の老人が現れて、万安渓に涌く安楽泉の水と、「薤葉芸香 かいよううんこう」という薬草を噛むと唖泉の毒を解毒することができると教わり事なきを得る。
この薤葉芸香も『中医学大事典』によると、四川省、雲南省、貴州省、陝西省等に分布する薬草で、噛むと苦辛く舌にしびれ感があり、また揮発油がふくまれているので独特の香りがあるとされている。効能は、「解表利湿」といい、夏風邪、風湿性の筋骨の痛み、慢性気管支炎に使用し抗菌作用がある。また『四川中医薬志』にも出ていて薤葉芸香草のまたの名は「諸葛草」というと、これもまた諸葛孔明の名が冠されている。
有名な事典に出ているくらいだから、ことあるたびに北京や上海の古い中医薬店に足を運んだが未だに出会えない幻の薬でもある。