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饅頭の元祖、諸葛孔明もその薬効は知り得なかった

宋代の『事物起源』を著した高承は、その中で、饅頭の起源は三国時代の諸葛孔明が南蛮討伐に向かい蛮王孟獲を平定した帰りに考案したものだと書いている。

岡田明彦

孔明が考案したとされる饅頭は、ご飯や麺類と並んで中国の人々の主食となっている(四川)このエピソードは『三国志演義』にも記載されている。諸葛孔明が南蛮を平定し、成都へ帰還のおりに瀘水という河にさしかかると、瀘水が荒れ狂っていて渡れない。孔明がこの地方の人々になぜ河が荒れるのかと問うと、「河の荒神と、戦いで死んだ将兵たちの祟りだ」という。鎮めるには人身御供として、 7749人の首と黒い牛、白い羊を河の神に供えて祭をしなければならないと教えられる。

それを聞いた孔明は、人身御供の悪習を絶ち切ろうと考え、従軍している料理番を呼び寄せ、小麦粉を練って人の頭の形に似せて作らせ、その中に人肉の代わりに牛や羊の肉を詰めた饅頭を河の神に捧げ祭を行った。すると翌朝荒れ狂っていた河は鎮り返り渡ることができたという。

孔明が上奏した「出師の表」には、濾水を渡って深く不毛の地まで進み南方を平定したことが記載されている(成都・武侯祠)これが中国の饅頭ができた起源だと伝えられている。しかしてこの饅頭がお供え物から日常の食物に広まるとともに、薬としての役割を持たされた経緯が、中国の晋時代以降の医学書に散見される。
初 めて饅頭(蒸餅)という名が医学書に現れるのは、晋代の有名な神仙家で医学者でもある葛洪の著した中国最古の臨床医学書『肘後方』である。その中に「饅頭 は火傷によい」とされ、その処方は「餡の入っていない饅頭を粉にしたものと油を混ぜ合わせて火傷に貼る」と記載されている。
南宋の時代、寧宗が皇 帝になる前のこと、孫琳という医者が寧宗の淋病を治療するのに呼び寄せられ、「乾燥した饅頭、ニンニク、淡豆鼓(加工した黒大豆)」を丸薬にしたものを毎 日3回服用させて治したと伝えられている。元の時代には飲膳太医の職にあった忽思慧が『飲膳正要』を著し、倉饅頭、茄子饅頭、鹿脂肪饅頭、剪花饅頭の4品 を食養生としている。また明代に至ると李時珍の著した『本草綱目』の中にも、饅頭の性味は平で甘く、無毒とされ、効能は消化に良く脾胃を養う、利通などと 中医学的薬効が記載されている。

孔明を讃える扁額
孔明は饅頭の他にもさまざまな発明をしたことで知られ、「木牛流馬」という荷物運搬のための車を考案したとされる
勉県武候祠の孔明像

しかし頭脳明晰な孔明も、饅頭の効能にまでは思いいたらなかったらしく、孔明と饅頭の効能とのかかわりについてふれた記載はない。このことは孔明の考案した饅頭が広く中国の人々の食卓に上るにつれて、『薬食同源』の思想が饅頭の効能を研究させたからだといえるのではないだろうか。

南陽武候祠の孔明像
襄樊武候祠の孔明像
成都武候祠の孔明像