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華佗庵と芍葯の里・亳州

華佗の妻は自らの身を切って芍葯に止血の薬効があることを華佗に発見させたという。
今も亳州ではこの美談が語り伝えられ、芍葯の花が咲き乱れていた。

岡田明彦

華陀庵の裏にある沙江池安徽省亳州市は3人の歴史上の人物を輩出している。1人は春秋末期に現れた道家の祖とされる思想家老子で「無為自然」を説いた。
後の2人は後漢の末、同時期に現れ、三国志演義に登場する。
劉備、孫権と覇を争った魏の英雄曹操と、その曹操に殺される名医華佗である。

亳州城内には華佗庵が建てられていて、今でもその医業を讚えている。庵の裏に静寂な池があり、そのわきに五禽戲台と言われる黒レンガを積んだ台がある。華佗は鳥、熊、猿、鹿、虎の動作を真似て身体を調節する運動療法を考案したとされ、現代の気功法にも取り入れられている。この功法を弟子たちに教え、それを実践した弟子の呉普は、90歳まで元気で、目も歯も衰えることはなかったと伝えられている。
華佗は、五禽戲のような養生法に優れていただけではなく、鍼灸や生薬にも精通していて、世界で初めての麻酔薬「麻沸散」を作り外科手術に用いていた。江戸時代に乳がん手術を行った医師花岡青州が用いた麻酔薬「麻沸湯」に遡ること約1600年前のことである。
また亳州は、中国四大漢方市場のひとつで芍葯の里と愛称されている。
城外に出ると閑静な農村地帯のあちらこちらで芍葯が栽培され花咲き乱れていた。

亳州の漢方市場は中国4大市場の1つといわれる芍葯の根を大きくするために花を摘み取っていた農家のお婆さんに何に効くのかと訪ねると「女の血の道や血止めによい」という。
なんでもこの辺りの言い伝えによると、芍葯の薬効に気付いたのは華佗の妻だそうである。華佗の友人が白い芍葯を送ってきてくれたので、華佗は花や茎葉を調べるが薬になりそうな部分がなく、窓の外に観賞用としてほっておいた。夜、明かりを灯し読書をしていると窓の外に美しい娘が立ってすすり泣いている。そんなことが二度三度と続くので不思議なことがあるものだと妻に言うと、それは芍葯の精霊がもっと調べて欲しいと訴えかけているに違いないと夫に言うが、華佗は聞く耳を持たない。それではということで、妻は菜切り包丁を持ち出して、自分の大腿部を切りつけた。鮮血が飛び散り、華佗は慌てて止血を試みるがうまくいかない。そこで妻が白芍の根を使うよう頼み込むと出血はピタリと止まった。それ以来亳州は、芍葯の産地になっのだという。
現在でも中国軍の常備薬になっている「雲南白芍」という名の止血薬がベトナム戦争で使用されたのは有名な話である。

亳州市郊外には生薬となる芍葯の花が咲き乱れていた
亳州市に立つ華佗の像
華陀庵の裏にある五禽戲台