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EBMという共通語が、医療の質と経済性を向上させる

これまでEBMという言葉は、
もっぱら西洋医学の新薬開発の場面で多用されてきた。
東洋医学の普及に努める秋葉哲生さんは、

このEBMを東洋医学と西洋医学の、医師と患者の、
あるいはコメディカルという医療環境全体の共通語として提唱されている。
これまで「医師にまかせるもの」だった医療が、
共通語を得られたことにより大きく転換し、
その質と経済性を向上させることになるとの見方をうかがうことができた。

秋葉哲生 (あきば てつお)
1947年生まれ。75年千葉大学医学部卒業。89年あきば病院院長。2001年より日本東洋医学会理事。和漢薬学会理事。2003年慶応義塾大学医学部東洋医学講座客員教授。代表的著書に『奥田謙蔵による皇漢醫學書き込み解説』、『洋漢統合処方からみた漢方製剤保険診療マニュアル』、『奥田謙藏研究』、『高齢者漢方治療マニュアル』、『東西医学の交差点』など。

EBMがあれば説明しやすい

 

後藤
今日は秋葉さんに、主に2つのテーマでお話をうかがいたいと思います。1つは2001年から取り組まれている「漢方治療におけるEBM」の仕事につ いて、もう1つは2000年に報告された「漢方薬と西洋薬の経済学的比較」の仕事に関してです。まず、EBMについてはどのような目的で取り組まれること になったのですか?
秋葉
それは、EBMが医療の「共通語」であると考えたからです。EBMというのは、今おっしゃったもう一つのテーマである経済性と密接な関係がありま す。すなわち、医療ではより的確にお金が使われなければならないわけですから、その治療法が「どのくらい有効か」ということは、「どのくらいの価値がある か」という経済性で見ることができるわけです。
私が患者さんに漢方薬を出すとき、その価値を伝えるために、「このお薬はこういう効能があってだいたい7割の方に効果がある。あなたはこういうタイプだか らこの薬が向いている」といったことをお話しできれば、喜んで受け入れてもらえるでしょう。これができれば医療の専門家、サービス提供側にとっても、たい へん仕事がしやすいわけですから、「そういう手段がほしい」と望まれていたはずです。
私は以前、「漢方薬の有効性は、伝統が証明しているのだから、あらためてエビデンスなど必要はないのではないか」と考えていました。ところが、患者さんた ちから、しばしば「西洋医学の先生の話を聞いてもちっとも理解できない。だから嫌いだ」といったお話を聞くことがあります。すると、患者さんは「わからな いから」という理由で、医療を排除するということになるわけです。これに対して、「7割の方に効果がありますが、どうですか?」と説明できれば、「なるほ ど、それはいい」と受け入れてもらえるでしょう。これがEBMという共通語の役割です。
1996年に、厚生省(現・厚生労働省)が「小柴胡湯」の副作用について発表したことが、漢方にとって大きな逆風になりました。慢性肝炎の治療用に使われた小柴胡湯の副作用により、88人が間質性肺炎を発症し、10人が死亡したと発表されています。
しかし、そもそもこの薬が有効だということが確立されていれば、問題は「副作用が出ないように、正しい使い方をしよう」ということで終わってしまうわけで す。西洋医学の新薬では、はるかに多くの死に至るような副作用事例を生んでいますが、そちらはきちんとした行政手続を踏んで承認された薬なので、「保健薬 収載を取り消しにしよう」という話にはなりません。このことからも、漢方治療のEBMはどうしても取り組まなければならない課題と考えました。
後藤
EBMは、疫学的、統計的に証明されたものがいちばんエビデンスのレベルが高いとする西洋医学的な手法に基づくものですね。どうしてその手法を使って漢方薬のエビデンスを得ることが必要なのでしょうか。
秋葉
薬がどのくらい有効かという尺度もいろいろありますね。隣にいる人の「効いた」という証言が尺度になることもあれば、「100人に使ったら60人効いた」とか「自然経過がよくなった」というデータもあるでしょう。あるいは100人を50人ずつに分けて、一方のグループは試したい治療を行い、もう一方は違う治療をして、治り方を何かの尺度で判定したうえ、比較検討する方法もあります。
EBMでは、この比較検討を、無作為に選んだ人を対象に行うRCT(7頁参照)や、信頼度の高い臨床試験の報告を読んで評価したメタアナリシスがいちばんレベルの高いエビデンスを得られるということになっています。これらの方法なら、治療行為がプラスになったかマイナスになったかは誰が見てもわかるし、そういう意味で共通言語になるわけです。
ここで漢方を検証するために、(「証」に応じた診断・治療など)漢方独特の論理などを持ち込むと収拾がつかず、西洋医学との対話を拒否することになってしまいます。そのため、私たちは、誰が見てもわかりやすい結果を得るためには、あえて1991年に唱えられたEBMの考え方に則して、西洋医学の標準となっている手法を適用しようと考えました。
すると、我々にはたくさんの遺産があることに気がつきました。1976年に、日本の漢方薬の42処方に保険が適用されて以来、西洋医学の専門家たちが自分の専門領域に対して、西洋医学的な病名で漢方薬を投与しており、その臨床論文がたくさんあるのです。これらを集めて、その中からさらに評価できるものについて、東洋医学会会員有志の先生に読み込んでもらい、これをまとめて2002年秋に発表しました。この報告で4割以上の処方で、病名にしたがった利用でも漢方薬が有効と示すことができたのです。これにより初めて「あ、漢方にもきちんとエビデンスがあるんだ」ということを理解してもらえる道が開けたと思います。
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共通語がチーム医療をスムーズに
後藤
EBM という言葉を理解するのに当初、難しくて頭が痛くなるほどアレルギーを感じたものです。これに対して、秋葉さんがおっしゃる「共通語」という概念は非常に 分かりやすく、説得力があると思います。医療の中では、鍼灸も、漢方薬も、看護という行為も、理学療法も、比較検討して統計的な有意差を示すというEBM の手法により、「患者さんにとってすごくいいことなんだな」という共通認識がもてるわけですね。
秋葉
先祖から受け継いでいる伝統医学や、看護など一対一の医療行為などを、ほかの人にも分かりやすくするというのが科学の役割だと思います。たとえば私 の病院では、在宅の患者さんを何十人かケアしていますが、ケアチームには医師も、訪問看護のスタッフも、専門の理学療法士もいるし、入浴サービスをする介 護士さんも参加しています。そして、チームではたとえば、脳血管障害のような重症の患者さんがおられると、まず1つのテーブルを囲んでカンファレンスを開 いています。
その中で医師は、「この薬はこのように有効性が証明されているので、こう使います」と話をすると、「なるほど」ということになりますね。また看護師は、寝 たきりの患者さんに対する口腔内清拭が重要であることから、「あまり強力な消毒薬は使わないほうがいいので、緑茶を使います。緑茶は肺炎の発病を抑えるう えで非常に有効であることが有意差をもって証明されています」といった説明をします。また、理学療法士は、「このくらいの障害の発生をもった方は、こんな ふうに褥瘡が発生し、関節可動域はこうなるでしょう」と話すでしょう。みんな共通認識をもつことにより、それぞれがもっている領域の力を発揮でき、まさに チームによるケアができるわけです。さらに、訪問看護にうかがう場合、看護師と患者さんのご家族の間にも共通語ができて、看護の協力をお願いできることに もなります。
後藤
科学的な評価をもとに患者さんに「6割の方に有効です」というふうに説明するとしましょう。すると患者さんにとって「自分は六割に入るのかどうか」が問題になりますね。このように、一対一の医療の中では、共通語としてのEBMにも限界があると思います。そこで、その次に秋葉さんはどのようなことを大事にされていますか。
秋葉
確かにEBMに基づいて治療をしたとしても、それが効かない3割とか4割のほうに入ったら困りますね。でも、幸いなことにこの領域の臨床研究は、重複して生まれていますから、次の共通語を使うことができる可能性があります。漢方薬にしても、ある研究で有効性が証明されているA薬を処方して効きが悪い人がおられたら、ほかの研究で有効性が証明されているB薬を使うという手があるのです。そうすれば結果的に治療成績を上げることができるでしょう。有効性の限界も、こんなふうに信頼性の高い薬から使うということで、十分カバーできるのではないかと思います。このことはおそらく漢方におけるEBMの集積、厚みを誇ることができる部分ではないでしょうか。

東洋医学のEBMに向いた症例追跡

後藤
同じ東洋医学の中でも、鍼灸などはEBM研究があまり進んでいません。むしろ、日本より欧米で進んでいる部分があると思います。これに対して、漢方薬のEBM研究のご経験から、何かご提案はありませんでしょうか。
秋葉
じつは私は、日本だからこそできる研究手法があると思っています。西洋医学のEBMの場合、それこそ何千人から万に近い被験者を分母にして、しかもそれを2群に分けて比較するといった臨床研究によって確立されますが、これは新薬を世に出すための手法です。製薬企業が莫大なお金も出し、クリアな成績が出れば企業は利潤で回収できるわけですね。
これに対して漢方薬は大規模な臨床試験ができる大きな企業もないし、国は新薬を認めていないのだから、新薬開発の手法は使えません。それに漢方薬のRCTをやろうとすれば、臨床試験の倫理についてうたった「ヘルシンキ宣言」に照らし合わせても問題が出てきます。ヘルシンキ宣言では、ほかに治療法がないなどの場合でなければ、新薬とプラシーボの比較試験を組んではいけないことになっているのですから、臨床経験豊かな漢方薬などは除外されるのです。
たとえば最近、ある若手研究者が、脳梗塞を起こした患者さんに対してある漢方を使ったところ、非常に経過がよかったので、「これを形にしたい」と言うのです。この薬のEBMを確立したいというわけですね。もちろん脳梗塞の患者さんに対して、「あなたはプラシーボに当たるかもしれません」というふうにRCTはとてもできません。
ところが、RCTと同じようにできる研究手法があったのです。これは症例の自然経過を学会レベルで収集することでした。たとえば脳卒中なら、初発の場合なら病期の程度に応じてどういう経過をとる、といったことがだいたいわかっているわけですね。こうしたデータが集まっていれば、この患者さんはこういう障害があり、画像の所見はこうだから、現在はこういう病期であり、今後どのような自然経過をたどるか、あるいは西洋医学的な治療をすると3ヶ月後にはどのへんまで回復するか、といったことが予測できて、これを根拠にした治療ができるわけです。
5段階に分けたEBMのレベルでは、症例を集めたようなものは下から2番目くらいにしか評価されていません。しかし、症例を追跡する手法ならサンプル数が少なくても、ものが言えるようになると思います。鍼灸のEBMでも、「RCTをどうするか」といったことが議論されているようですが、私はむしろ鍼灸が EBMに取り組まれるとすればこの方法だと思います。伝統医学を検証するうえでこれがいちばんいい方法ではないでしょうか。
後藤
この方法なら、コメディカルはみんなEBMづくりに参加できるわけですね。
秋葉
そうです。私は医療サービスを提供するすべての方に、ぜひEBMをつくる役割を担っていただきたいと思っています。たとえば看護師の医療サービスは、ものを使うことより、むしろ患者さんの状態を丁寧に聞いたり、簡単なアドバイスをするといったことにあると思います。そこでこうしたことを通じて、患者さんの苦痛を和らげるとか収めたとすれば、このことを何らかのかたちで定量化できる可能性があるわけですね。理学療法や入浴サービスなどにしても、患者さんの経過を観察するなかから、こうした定量化ができれば、それぞれの患者さんの状態に最適のサービス・メニューを探り出すことができるようになるでしょう。
後藤
たとえば「看護の科学」といったことがいわれていますが、これまで1対1で培われる経験則のようなものも、定量化し、エビデンスをつくりあげることができるわけですね。
秋葉
たとえば鍼灸でも、脈をとる、舌を診る、顔色を診るといったことは必須ですね。こうした行為は、意外と定式化できると思います。そういう共通的なものを科学化、数値化していけば、今度は評価できますから、患者さんにもわかるものになるでしょう。
このことがとくに必要だと感じるのは、介護保険が導入されて以来医療が変わったからです。それ以前の医療は、いわゆるパターナリズムで「医師におまかせ」という世界でしたが、介護保険ができてから、患者さんが自分で選択する機会が急に増えました。いまや患者さんは過剰なくらいにサービス提供側に要望を出しておられますが、その中で、今まで「満足していらっしゃるのかな」と思っていたのに、「本当はこんなことをお求めだったんだ」と理解できるようになったわけです。
要望も相手が医師だとなかなか出てきませんが、介助する人たちが相手だと本音をお話しになることが多いのです。そこにもやはり患者さんの気持ちを引き出す1種の技術があるわけで、これは個人的な技量にまかせるのではなくて、定式化されるべきものだと考えられるわけです。

東洋医学は経済性にも優れている

後藤
アメリカなどでEBMを重視するようになったきっかけは、医療費が経済を圧迫するなかで、無駄にお金を使っている医療がないかどうかをちゃんと検証しようということがあったからだといわれています。秋葉さんは、2000年にかぜ症候群に対する漢方薬と西洋薬の経済性比較研究について報告されていますが、このこともEBMが医療に経済的な貢献をするというお考えからですね。
秋葉
はい、そうです。ご存じのとおり、日本の医療はほとんど保険診療でカバーされており、「国民皆保険」ということが金科玉条のようになっています。そのなかで、20年ほど前から「医療費の高騰」ということが問題になり、どうやったら医療費の膨張を抑えられるか、つまり「経済性」ということが論じられてきました。医療費を節約するための方法の一つとして、当然より低価格な薬を使うという方法が考えられます。我々は、漢方が安い薬剤なのではないかということにあるとき気付き、これを実証してみようということになりました。研究の結果、かぜ症候群の治療においては、漢方薬が西洋薬よりも経済性に優れた薬剤であることを証明できたわけです。
じつは「EBMを医療費削減の道具にしよう」という考え方は、規制当局である厚生省(現・厚生労働省)のほうが早くから着目していたのです。1996年頃の厚生省の委員会の議事録を見ると、「EBM」という言葉が乱れ飛んでいます。そこには、「保険診療をEBMが確立した領域に限定しよう」「EBMのない漢方を規制しよう」という考え方を読み取ることができるのです。ですから、EBMはまず行政のほうにもてはやされた概念だったわけですね。ところが、西洋医学でEBMの確立した領域はどのくらいあるかを検証してみると、まだほんの一部にすぎないことがわかってきました。私たちの研究は、行政の当初の思いとは逆のことを示す結果になったわけです。
後藤
アメリカなどでは、代替補完医療が医療費を抑えられるのではないかという考え方で様々な研究が進められていますね。たとえば1997年にNIH(国立保健研究所)が示した声明では、手根管症候群の治療のために、従来の労災の支払いだと8100ドルかかるのに対して、鍼治療では1100ドルくらいですむということが報告されています。鍼灸を学ぶ学生たち、将来コメディカルに携わろうとする学生たちが、EBMに取り組んでいくうえで、何かアドバイスをお願いいたします。
秋葉
東洋医学には「未病を治す」という予防医学の考え方があります。また、「異病同治」という考え方もあり、私たち臨床家は、漢方薬1剤で西洋薬3〜5剤に匹敵するくらいの効果を示すという印象をもっています。これらも東洋医学の経済性を物語るものだと思いますが、実際にこういうことを裏付けるというはっきりした目的をもった研究報告はまだありません。ですから、今はスタンダードなものを積み重ねていき、その有効性を示していくということが最も大切なのではないかと思っています。
EBMでいちばん大事なことは、1例1例を大切に経験し、よく観察することです。そして、このようにして得た知識は、ほかの人たちにもきちんと客観的に伝え、理解してもらうという努力をしなければなりません。医療に関わる自分たちの仕事が、大切で有意義なものであることを知ってもらうためにも、学生の皆さんにはEBMをよく勉強してもらいたいと思います。