健康について考えるときには、死についても考えなくてはいけない。
死を思うことではじめて、ネガティブな養生からポジティブな養生への
ダイナミックな転換を果たすことができる。
独創的な養生観の話題から始まって、21世紀の医療人に
求められる資質や能力、そして本来あるべき統合医療とは何かについて、
帯津良一さんに語っていただいた。
帯津良一 (おびつ・りょういち)
1936 年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。都立駒込病院外科医長などを経て、現在帯津三敬病院名誉院長。専門は中医学と西洋医学の統合によるがん治 療。著書に『死を思い、よりよく生きる』(廣済堂・健康人新書)、『健康問答1・2』(五木寛之氏との共著、平凡社)、『静けさに帰る』(加島祥造氏との 共著、風雲社)など多数。
健康と養生の関係
後藤
帯 津先生にお話をうかがうのはこれが2度目です。がん治療に焦点を合わせたホリスティック医療をテーマに本誌創刊号から連載していただいて、ちょうどその連 載が終わったところで、ホリスティック医療の未来についてインタビューさせていただきました。それから10年たって、ホリスティク医療に対する認識が非常 に高まってきています。そういうなかで、本日は健康というテーマでお話をうかがいます。昨今、健康ブームといわれていますが、健康とは何かとあらためて問 われると、はっきり答えられる人は少ないのではないでしょうか。先生は養生という言葉を盛んに使われていますが、健康と養生はどう違うのか、そのことから お話しいただけますか。
帯津
まず健 康についてお話しますと、ギリシャのジョージ・ヴィソルカスが面白いことを言っていました。彼はいまホメオパシー(同種療法)の世界で神様みたいにいわれ ている人で、私より4つ年上だから今年76歳ですか。エーゲ海に浮かぶ小さな島に住んでいて、1度訪ねていったことがあるんですよ。
後藤
わざわざエーゲ海まで訪ねていかれたんですか。
帯津
ア テネから船で5時間くらいかかるんです。でも思い切って行ってみました。そのとき、ホメオパシーのことをいろいろ話してくれたなかで、健康についてヴィソ ルカスはこう言いました。「私は健康を身体と心と命に分ける。身体の健康は苦痛からの解放である。心の健康はもろもろの情念からの解放である。そして命の 健康は利己主義からの解放である」。
後藤
解放というのが健康のキーワードだと。
帯津
「苦 痛からの解放」を英語で言うとfreedom from pain となります。つまり解放はfreedom だから「自由」ということですね。それを聞いて、この「自由」というのが健康のもとだなと直感したんです。とにかく、身体も心も自由で、わだかまりもな く、伸び伸びと虚空に向かって広がっていく状態を健康というんではないかと。私は感心して、そのことを長野県の伊那谷に住んでいる英文学者の加島祥造さん にお会いしたとき話したんです。
後藤
老子を詩のように訳された方ですね。
帯津
そうしたら彼は、「俺ならfromじゃなくてin だな。だからfreedom inpain だ」って言うわけです。つまり苦痛から自由になるのではなくて、苦痛は苦痛として受け入れて、その中で自由になる。
後藤
さすが深いことをおっしゃいます。
帯津
これは、ヴィソルカスより上だなあと思いました。健康というのは静止した状態じゃない。私たちには、自分の命のエネルギーをつねに高めようとする、向上する心というのがあると思うんです。それを、いろんな意味で自由な状態になって行うということが健康のポイントです。
後藤
そうすると、その自由な状態をもたらすために養生が必要だということでしょうか。
帯津
そういうことです。
後藤
先生は「攻めの養生」という言葉をお使いになりますね。これはどういう意味なんでしょうか。
帯津
いままでの養生がいかにも守りに徹していると感じたんですね。たとえば未病という言葉にしても、病を未然に防ぐということは、考えてみれば消極的ですから。野球でも、リードしたからといって守りを固めてばかりいたら負けてしまった、ということがあります。
後藤
ええ、よくありますね。
帯津
勝負事は何でもそうですけど、つねに攻める気持ちがないといけない。人生もそうだろうと思うんです。だから現在の位置に安住せずに、わずかでもいいからつねに上を目指す。養生にもその姿勢が根底にないといけないと思って、攻めの養生という言葉を使っています。
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食の養生の基本とは
後藤
先生は養生を食、気、心の3つに分けていらっしゃいますね。
帯津
そうです。食の養生と、気の養生と、心の養生があって、この3本立てで、それぞれバランスよくやっていくことが肝要です。
後藤
食の養生について、とくに先生が注意されていたり、あるいは患者さんにお話しされることはありますか。
帯津
食 に限らず、養生にとっていちばん大事なのは、心のときめきだと思うんです。食の養生というと食材のことはよくいわれますが、食べたときの「うまいなー」と いう喜び、私はこれが大事だと思っているんです。だから、食材に対する配慮と、おいしいものをしっかりとるという、この2つが食の養生の基本だと、うちの 病院の患者さんにもいつも話しているんです。
後藤
食の養生では惑わされることが多いですよね。水ひとつとっても、たくさん飲んだほうがいいとか、逆にそんなに飲んじゃいけないとか。
帯津
そんなことで迷わないで、のどがかわけば水を飲めばいいし、白米が好きなら玄米でなくてもいい。みんな自然な命の流れの中に生きているわけですから、その中で、おのれに正直に、あるがままに行くのがいいんです。
後藤
でも若い人にそう言うと、ハンバーガーばっかり食べたりするんですよ(笑)。そこのところが、先生のおっしゃる「命の場」ということと関わってくると思うんですが。
帯津
あ るがままというのも、その人の命のレベルで決まってくるわけです。私は身体の中の場のエネルギーが命であり、これを高めることが養生になると考えていま す。命のレベルが低ければハンバーガーに行ってしまうわけです。それを高めていけば、もっと自然なものに目が向くと思うんです。若い人たちも、年を重ねな がら少しずつ命の場をレベルアップしていって、好みや見方がだんだん自然なほうに向かっていけばいい。
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吐く息に気持ちを込める
後藤
そして、その命の場を上げるために、気の養生や心の養生が求められるわけですね。気の養生については、先生は呼吸法や気功を改良されて、患者さんに指導されていますね。なかでも、呼吸法に非常に重きを置いていらっしゃるようですが。
帯津
古 来、調息に重きを置いた気功を呼吸法と呼んできました。だから呼吸法は気功の一種なんです。呼吸法では吐く息にすーっと気持ちを込める。吸うときにはあま り意識しない。吐ききれば自然に入ってきますからね。そうすると、副交感神経がだんだん働いてきて、ふだんストレスによって崩れている交感神経とのバラン スが回復してくるわけです。
後藤
息を吸うことよりも、吐くことが大事だと。
帯津
もう少し説明すると、息を吐くときにエントロピーを出しているんです。身体の中で高まってくるエントロピーは排泄物として外に出すわけですが、呼吸もその役割を担っています。
後藤
よく学生に話をするんですが、ため息をつくというのは吐く息が足りないからだと。だから中途半端なため息はやめて、いやなことがあったら、お風呂でもトイレでもいいから、思い切りはーっと大きなため息をつけと言うんです。
帯津
それはいいことですね。
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ときめきが自然治癒力を高める
後藤
3つ目の心の養生についてもお話しいただけますか。
帯津
患者さんにいつも話すのは、心というのは循環しているということです。人間は本来、悲しくて寂しい存在なんだと。そのことをしっかり心に決
めれば、これ以上は悲しくならないんだから、安心してそこに希望の種が蒔ける。希望の種が芽を出して花を咲かせば心がときめいて、そのときめきが何回か続 くと、人は明るく前向きになっていく。ところが、いつまでも明るく前向きではいられないから、また悲しみに帰ってくる。結局、我々はこれを繰り返しなが ら、命の駒を進めていくんだろうと。だから、この循環を行いながら命を高めていくというのが心の養生です。
めれば、これ以上は悲しくならないんだから、安心してそこに希望の種が蒔ける。希望の種が芽を出して花を咲かせば心がときめいて、そのときめきが何回か続 くと、人は明るく前向きになっていく。ところが、いつまでも明るく前向きではいられないから、また悲しみに帰ってくる。結局、我々はこれを繰り返しなが ら、命の駒を進めていくんだろうと。だから、この循環を行いながら命を高めていくというのが心の養生です。
後藤
やはりここでも、ときめきが大事なわけですね。
帯津
ときめくことが、自然治癒力や免疫を上げていると思うんです。
後藤
食の養生とも関連しますが、先生は必ず晩酌をされるそうですね。先生にとって晩酌の1杯はときめきの瞬間なんでしょうか(笑)。
帯津
私 は夕方6時半になるとビールを飲むんです。そのために早起きして仕事を始めるくらいです。飲むときは本当にリラックスして、この瞬間のために俺は生きてい るんだとつくづく思いますね(笑)。新潟大学の安保(あぼ)徹先生が言うように、身体を温めたりリラックスさせたりすると、副交感神経が高まってリンパ球 が増える。そのためにいいのは何かというと、これが酒なんです。だから私は患者さんにも勧めることがあります。
後藤
お酒は百薬の長ですから。
帯津
いけないのは節度なく飲むことです。作家の山口瞳さんが言ったように、酒は品性を高めるために飲むんだと、そう心がけて飲めばいい酒になる。
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医療は格闘技である
後藤
医療人も患者さんと関わっていくなかでときめくことが多いといいんですが、逆に患者さんと接していると疲れてしまうとか、邪気をかぶるというようなことを言う人たちがいます。先生はそういうことを感じられたことはありますか。
帯津
いいえ、まったくないですね。医療というのは患者さんとの共同作業ですから、2人で一緒になって、お互いの命のエネルギーを高めるんだという気持ちで臨まないといけません。患者さんのほうがエネルギーは低いかもしれないけれど、2人して上げていけばいいわけですから。
後藤
それはたいへん参考になります。これからの医療人は、そういう認識をしっかり身につけなくてはいけませんね。
帯津
若 い人たちにも言っているんです。私は駿河台予備校で、医学部を受験する人を相手に毎年講義をしています。そこで必ず医療人としての資質について教えてくだ さいという質問を受けるんですが、それにはこう答えています。20世紀の西洋医学は修理工の医学だから、知識と技術を持ったプロフェッショナルが、何も知 らない素人を上から見下ろして技を施すというものだった。でも、命の時代はそれではいけない。これからの医療は格闘技のようなものだ。命と命のぶつかり合 いだから、まず腕力も精神力もパワフルにならなくてはいけない、と。
後藤
医療は格闘技であるというのは、とても面白いたとえですね。
帯津
し かし、たんにパワフルなだけではダメで、同時にヴァルネラブルでなくてはならない。ヴァルネラブルというのは、いじめられやすいとか、弱々しいということ です。哲学者の中村雄二郎さんが医療について書かれている中に、癒しを行う者はすべからくヴァルネラブルでなければならない、というのがあるんです。つま り、患者さんの命の場のレベルというのは医療者より低いものだから、その高さにさっと合わせられるためには、そういう弱々しさも備えている必要があるとい うことです。そしてパワフルかつヴァルネラブルたろうとするなら、自分の死から目をそむけてはいけない。メメント・モリ(死を思え)だと。これが、これか ら医療人となるあなたたちが満たさなければならない条件だと言うんですよ。
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健康は死への覚悟とともにある
後藤
パ ワフルでヴァルネラブルであるためには、自分の死を見つめなければならないということですか。専門の医学教育を受ける前の理想に燃えているときに、そうい う話を聞ける学生たちというのは幸運ですね。いま教育の話が出たのでうかがいますが、食育ということがよくいわれています。健康についても健康育、あるい は健康教育というんでしょうか、健康とは何か、それを維持するためにはどうすればいいかということについて、小さいころから教えていく必要があると思うん ですが。
帯津
昔は食習慣だとか早寝 早起きといったことは、家庭が率先して子供にしつけていましたね。ところがいまでは家庭がそういう役割を持たなくなってきた。だから学校教育の場が代わっ て担っていくことも必要でしょう。健康だけでなく医学的な基礎について、小学校から教えていっていいと思います。それから同時に、死についても、どこかで 教育していかないといけませんね。
後藤
健康とともに死について考えるということは、子供だけじゃなく、大人も身につけなくてはいけないことです。
帯津
大 人が死について考えなくなりましたからね。4月からとうとうメタボリックシンドロームの健診が始まりましたが、五木寛之さんとの対談でそういうの は余計なお世話だと話したんです。身体の状態に気をつけろというなら、いずれみんな死ぬわけですから、死ぬときの覚悟のようなものも合わせて提案してくれ ないと困る。
後藤
メタボリック健診は、極端な言い方をすれば魔女狩りのようになってしまう可能性がありますね。
帯津
そうなんですよ。
後藤
今回の特集で、首都大学東京・大学院の星旦二先生にも健康についてお話をうかがっているんですが、星先生によると、コレステロールが少し高めの、小太りの人のほうが長生きするらしい。
帯津
そうそう、ちょいメタがいいんです(笑)。
後藤
健康と死の問題について話が及びましたが、先生は、養生の道はさらに死後も続いていかなければいけないと書かれていますね。
帯津
攻 めの養生というのは、つねに向上を目指すわけでしょう。でも、向上していった先に死があって、それで終わりだとつまらないですから。だから死に向かうとき には、死の壁をぶち破るために加速していく。スキーのジャンプの選手がジャンプ台を滑降していくようにね。そうして、向こうの世界に先に行っている人たち がびっくりするような勢いで飛び込んでいかないといけない。それには日ごろの覚悟が大事なんで、ぼんやりしてないで、若いときからそう思いながら生きてい く必要があります。そういう覚悟が養生の中に入ってくると、楽しくなってくるんじゃないかと思いますよ。
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医療人に求められる教養
後藤
最近またスピリチュアル(霊性)という言葉が使われるようになってきましたが、死後の養生といわれるときに、先生はスピリチュアルについてはどうお考えになっているんでしょうか。
帯津
人間は身体、心、命からできていますね。つまりボディー、マインド、スピリットです。スピリットというのは霊性といってもいいし、魂といってもいいんですが、人間を全体として見る場合、核になるのがこのスピリットです。池田晶子さんという哲学者がいましたね。
後藤
お若いのに去年亡くなったんですよね。
帯津
え え、46歳でした。亡くなってから、彼女が死についてどんなことを感じていたのかと思って本を読んでみたんですが、もう本当に面白い。とくに「池田は死ぬ が私は死なない」、この一文はじつにすばらしい。後藤 個体が死んでもスピリットは残るということでしょうか。帯津 要するに、スピリットというのは共有 の命であって、その一部が一人ひとりの身体の中に宿り、それをソウルと呼んでいるんだと。そして身体が死ねば、入っていたソウルは本来の故郷であるスピ リットの中に戻る、こう考えればいいんです。
後藤
魂、つまりスピリットは個人のものではないわけですね。ヴィソルカスが命の健康を「利己主義からの解放」と言ったのは、きっとそういう意味なんでしょうね。
帯津
まさにそうなんです。
後藤
じ つは後藤学園では平成22年に医療系大学(看護学部)を立ち上げようとしているんです。ゆくゆくは、医療の専門職大学院の創設を目指しています。そこで テーマにしているのが、医療人が持っているべき教養です。医療人に求められる教養について考えるとき、当然のことながら統合医療ということを視野に入れな ければいけません。ところが西洋医学をはじめとして、伝統医学などさまざまな医療資源がありますが、日本の統合医療はその医療資源というものを、どうも技 術と技術を合わせて統合しようとする流れに向かっているんじゃないかと思うんです。
帯津
日本だけでなく、外国でも同じですよ。
後藤
本来あるべき統合医療というものは、伝統的な医療文化とか、いまお話しいただいた死生観やスピリチュアルなどによって、たんに補完するということではなく、それらを互いに共有しながらまったく新しい医療をつくっていくことではないんでしょうか。
帯津
統合というのは足し算ではなくて、インテグレート、つまり積分です。積分とは、1回それぞれを解体して、新しい体系をつくることですよね。だから、いまおっしゃったとおりで、文化的なことも全部含めて、新しいものを生み出すというのが統合ということです。
後藤
つ まり統合医療というのは、結局はホリスティック医療ということですね。本来あるべき統合医療の創出に力を発揮できるような人材を育てるためにも、私ども も、さまざまな医療文化やスピリチュアル、医療リテラシーも含めた教養ということについて、これから取り組んでいかなければなりません。