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いのちを見つめる語らいにはスピリチュアルケアのヒントが

いのちを見つめる語らいにはスピリチュアルケアのヒントが

伝統仏教の超宗派で運営される仏教情報センターでは、「仏教ホスピスの会」という活動を続けてきた。毎月1回「いのちを見つめる集い」を開催、主にがんの患者や家族が参加して、講演や生と死をテーマにした話し合いが持たれている。ここにはスピリチュアルケアへのヒントがたくさん詰まっていた。4月23日に行われた第181回目の集いの様子を報告する。

“生・老・病・死”を語り見つめ直す

仏教情報センターは、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗などの伝統仏教が、宗派を超えて集まり情報発信を行っている。その活動は、仏教テレフォン相談、仏教街頭相談、仏教ホスピスの会、仏教ライフ・サークルの集いなど多彩だ。

中でも1983年以来続いている仏教テレフォン相談は年間4000件を超える相談があり、120名の僧侶がボランティアで参加しているという。寺や僧侶との関わりが薄れ、仏教の教えを知らない人たちが増えている中で、「生前に墓を建ててもいいか」「家族だけで葬儀をしたい」「成仏していない先祖がいると言われた」「他人と上手に付き合えない」など、仏事・信仰に関わる相談や人生に関わる相談が連日寄せられている。

さらに注目されるのが、「仏教ホスピスの会」という活動だ。この会は「広く仏教の精神を『聞(もん)・思(し)・修(しゅ)』し、出会いを喜び、ふれ合いを楽しみ、支え合いの手を差し伸べ合い、病む者、健やかな者の区別なく、共に”生・老・病・死”を語り見つめ直すこと」を目的としている。

仏教ホスピスの会はもともと、僧侶たちの「ホスピス研究会」として出発した。がんなどの難しい病気にかかった患者や家族の持つ悩みに対し、それを和らげ、人間としての尊厳を保ちつつ生きられるよう、家族など多くの人々とともに、宗教者としての精神的介護(ケア)にあたることを目指したものだったという。

これが発展して、僧侶だけでなく広い範囲に呼びかけてこの会が誕生した。「ホスピス」はもともとキリスト教に由来する言葉だが、「仏教というこだわりを離れる」という意味を込めて、あえてこの言葉を用いるようにしたそうだ。


大工原彌太郎さん

87年に第1回目の仏教ホスピスの会として、「がん患者家族の語らいの集い」が行われている。そして、94年から毎月1回、寺の本堂を会場に「いのちを見つめる集い」を開催、様々な分野から講師を招いての講演と、参加者や僧侶を交えた語り合いの場が持たれてきた。

いのちを見つめる会は、2年ほどのサイクルで会場を替えている。今年の4月からは、東京都荒川区の「泊船軒」という寺が会場となっている。1627年に現在の御茶ノ水付近に創建され、明暦の大火(1657)で浅草に移転、さらに関東大震災の被災で現在地に移転したという歴史のある寺院だ。初回にあたる第181回目の集いでは、(財)国際仏教興隆協会医療部長の大工原彌太郎(だいくばらやたろう)氏による講演「海外医療の現場から」が持たれた。

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鍼麻酔で壊疽の痛みを緩和

大工原彌太郎氏は、1944年生まれ。若い頃から仏教研究に打ち込み、「日本以外の経典を読みたい」と考え、チベット語をマスターした。63年の文部省計画でチベットから招いたラマ僧の助手となったのをきっかけに、日本を出て仏教を学ぶためにチベットの僧院へ留学している。僧院では基礎課程修了後に師匠から薦められ、伝統医学であるチベット医学を専攻することになった。

大工原氏が専攻した古派チベット医学はペルシャからシルクロードを経て入ってきたペルシャ医学の影響を受けており、解剖や錬金、劇毒薬、鍼麻酔なども用いる外科学を得意としている。毛沢東時代の中国で鍼麻酔が話題になったことがあるが、ペルシャ医学には古くから同様のものがある。また、インドでは体に剣を突き刺して見せる大道芸があるが、これもペルシャ医学の鍼麻酔技術の応用ではないかという。

大工原氏は71年インドのダージリンで診療開始、翌年仏教の聖地ブッダガヤに移ってのち印度山日本寺境内に私設の無料診療所を開所している。大工原氏は、75年に国連ユニセフ・フィールド・エキスパートとしての専属契約によりネパール、ブータン、タイ、カンボジア、ベトナム、チベット等での教育・福祉・健康・医療面での諸プロジェクトに従事してきた。

1973年、大工原氏はイギリスのウェールズにあるスオンジー大学付設のシングルトンホスピタルから、「東洋医学を教えに来て欲しい」との要請を受けたという。ここでいう「東洋医学」は中国源流のいわゆる東洋医学ではない。北イギリスに近いこの地では泥炭地特有のガスを含む湿気が高いことから壊疽という風土病が蔓延しており、この病気への対策支援を求められたのだ。壊疽は、末梢組織が壊死し、足の指から、膝、太腿と侵されていく病気で、非常な痛みを伴い、命を落とすことが多い。

「シングルトンホスピタルでは患者の激しい痛みに対して強いモルヒネを使う治療しかなかったのですが、そのため患者はある時点からせん妄状態に陥り意識を正常に保つことができなくなっていきます。私を呼んだ外科部長は、鍼麻酔でどうにかならないかと思ったのでしょう」(大工原氏)

医師から死が近いことを知らされた患者は、病院に牧師を呼ぶ。現地の人々が信仰しているのはカルバン派といって、キリスト教の中でもとりわけ古い戒律を守っている宗教だった。カルバン派では天国へ召されて行くために、司祭の立会いのもとで最期の秘蹟という儀式が行われる。生命の最後に罪の赦しを乞い、「これから主の御もとに参ります」という仲介をしてもらうものだ。

「ところが、正常な意識が働かなくなっている患者は、秘蹟を受けることができません。そして、秘蹟のプロセスを経ずに亡くなると『異端者』と見なされて、教会が墓地に入れてくれなくなるのです」(大工原氏)

秘蹟を受けないまま死亡すると、家族は異端の死ということで遺体を引き取りに来ることさえしない。その遺体は医療廃棄物として捨ててしまう運命にあった。外科部長はそのことを非常に嘆いていて、「なんとか患者たちに尊厳のある死を迎えさせてあげたい」と話していた。そこで、大工原氏は鍼麻酔を取り入れて、できるだけモルヒネを使わないペインケアのプログラムを作り、医師たちに教えたという。

いのち死を見つめるアジア人の豊かさ

大工原氏はベトナム戦争末期の1974年にベトナムを訪れた。WHOとの協力で子どもたちの病気予防や教育の機会を作り出すのが任務である。

たまたまラオス国境近くの村に行った時、小乗仏教の一人の僧侶を患者として診ることになった。が、医師の目から見て明らかに死期が近づいている。側近にそのことを伝えた。

するとまもなく、周辺の僧院やほこらにいる僧、あるいは旅の途中の僧たちが続々集まってきた。彼らは死に瀕して横たわる僧侶を取り囲み、一斉にお経をとなえ始めたのである。

読経は見事なコーラスとなって、響き渡った。朝も昼も夜も止むことなく3日も4日も続く。その間に唱和する僧たちは入れ替わり立ち替わりしている。美しいお経の声と森からの鳥の声や風の音が、じつにいいハーモニーを醸し出していた。

「その合唱を聞きながら横たわっているお坊さんは、実に安らかな表情を浮かべています。脈を診ているとどんどん鎮まっていき、『安心できているのだな』ということが見てとることができました。『この人はなんて幸せなんだろう』と思いました」(大工原氏)

インドのブッダガヤで診療をしている時、僧院の僧院長から、「診て欲しい人がいる」と依頼された。そこには下痢をしていて衰弱が著しい老人が横たわっている。治療を始めようとすると、老人は「治療するな。おれはブッダガヤで行き倒れ死したいから来たのだ」と拒絶した。そして、「俺を縄ベッド(縄で編んだ粗末なベッド)に寝かせてくれ」と頼むのである。希望通りにして、ベッドは人通りの多い道路に置いた。道行く人々が老人に水や食べ物を与えようとするが、老人は目をつぶったまま頑なにそれを拒み続けた。

ところが次に物見高い子どもたちが集まってきて、ベッドの老人に「おじさん、何しているの?」「水をあげようか?」とか、遠慮なく声をかけ始める。すると、老人の態度が変わってきたのだ。それまで大人たちのお節介を無視していた老人が子どもにはちゃんと答え始めたのである。「自分は ○○の出身」「ここは聖地だから、ここで死にたい」「樹木の湿気を吸っていてのどが乾かないから水を飲まなくても平気」とちゃんと説明する。自分たちの他愛のない質問にちゃんと答えてくれるというので、子どもたちは毎日老人のそばに集まってくるのだった。

「驚いたことにこの老人はあの暑いインドの気候の中で、飲まず食わずで3週間以上も生き延びたのでした。子どもたちにはだんだん尊敬の念が沸いてきたのか、あまり老人に失礼なことを言わなくなり、話を楽しみに聞く態度になっていったのです。その中で老人が、徐々に衰弱していく様子もつぶさに見ていました。そして、最後に『俺が死んでも片付けるな、絶対触るな』という遺言も残して息を引き取っていったのです」(大工原氏)

遺言の通り、老人の遺体はそのまま縄ベッドの上に放置された。遺体にはハエがたかり、やがてひからびていく。縄が切れて骨が下に落ちて、その骨を犬がくわえて行き、ついに風が吹いてきて遺体の影も形も消えてしまった。しかし、それを見守っている人たち誰にも、この状況を「ひどい」とは思っている様子はなかった。

大きな流れの中でとらえる「いのち」

大工原氏は、イギリス・ウェールズでの最期の秘蹟を受けられない人たちの悲惨な死と比較して、ベトナムやインドでの死を「すべてが平和に進んでいるじつに調和の取れた世界」と語った。そこにはちゃんと整えられた生き方、送り方、迎え方という世界がある。一人の生命の終わりを、大きな流れの一つとして見ることができ、「非常に豊かな文化に裏付けられたもの」としている。

「日本に帰って来ると、生命の終わりというのはまるで『ありうべからざること』が起こっているようにとらえられていることに気づきます。とくに医療が関わる場所ではそうです。日本では、この人の一生がこれで終わるということについて、本当に完全な終わり方だったのか、いい終わり方だったのか、非常に考えさせられる場面が少なくありません。私は医療が介在できないような海外の現場にいる時により強く、人の死について様々なことを教えられました」(大工原氏)

講演のあと、大工原氏を囲む形で語らいの場が用意された。参加者らは、海外の医療現場の報告を聞いて、「歴史や文化によっていのちのとらえ方が大きく違うと思った」といった感想が述べられている。

集いのまとめとして、一人一人の参加者から、会に参加した動機や近況を報告するスピーチが行われた。「私は三年前に乳がんを発症しました」「一昨年、夫を肺がんで亡くしました」など、自分や家族の病気体験や身近な人を失った体験、そこに感じた病の苦しみや死別の悲しみ、さらに命の尊さと存在の肯定が語られている。病気や死という現実の中で、身の上に起きていることを安心して腹をわって語り合える場、いのちを語り合う相手と出会える機会、互いに尊重しあえる関係の存在には、スピリチュアルケアの一つの形がうかがえるようだった。

〈仏教情報センター〉
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