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環境ホルモンを考える

環境ホルモンとは何が問題か

環境ホルモン問題を正しく理解するために
新たなタイプの環境汚染として注目されている環境ホルモン。96年3月に米国で出版された1冊の本「OUR STOLEN FUTURE」(『奪われし未来』翔泳社)をきっかけに、欧米で問題となり、研究が始まった。特に、ヒトの精子数の減少と環境ホルモンの関連性が疑われ、関心を集めた。一方、今なお誤解や混乱も生じている。そこで、環境ホルモンについて現状や問題点を整理してみよう。

山本猛嗣 (やまもと・たけし)
1966年横浜生まれ。90年、東海大学政治経済学部卒業。日刊工業新聞社入社。南東京支局、流通サービス部を経て、現在、科学技術部記者。医療、化学、生命科学などを担当。著書に『日本発環境ホルモン報告』(日刊工業新聞社)がある。

ようやく少なくなってきた過激な報道

「環境ホルモンがこれほど問題になるとは思わなかっ た」。環境ホルモン研究の第一人者である井口泰泉横浜市立大学教授は振り返る。最近、環境ホルモン問題をめぐる国内の状況は大きく変化した。これまで日本 国内での人々の危機感や認識の不足、行政による対応の遅れが指摘されていたが、政府は98年度補正予算で120億円を超える環境ホルモン関連対策費を盛り 込み、専門の研究施設の建設も計画されている。六月には学会も設立されるなど研究体制も急速に整いつつある。その各省庁の研究予算を合計すると、米国環境 保護庁(EPA)の年間研究費1400万ドル(約18.2億円)を上回っている。

環境ホルモンは、日本でも98年に入ってから報道が過熱 ぎみになり、講演やマスコミを通じて「警告」を繰り返してきた研究者らが当惑するほどに社会問題化した。環境ホルモンに関係する学会にはマスコミ各社が殺 到した。研究者にはマスコミの取材依頼のほか、心配になった主婦など一般の人々からの問い合わせや講演依頼なども多く寄せられた。

井口教授によると「3月は電話が1日50本以上あった」という。また「猛毒! 環境ホルモン」など週刊誌等で過激な報道も見られ、多くの環境ホルモ ンの研究者はマスコミ不信に陥った。サッカーの中田選手ではないが、「信頼のできる記者にしか、本当のことを話さない」という研究者もいたほどだった。
最 近では、一時期のようなパニック状態や恐怖心を煽るだけのような過激な報道も少なくなった。ただ、今なお井口教授のところには、ファクスの厚さが3センチ を超える講演依頼などが寄せられ、新聞や雑誌、テレビでも環境ホルモン問題が連日のように報道されている。人々の関心はまだまだ高い。

一 般的には「欧米では、環境ホルモンに対する人々の関心が高い」と思われている。しかし、現在では日本の方がはるかに関心が高い。野生生物に与える環境ホル モン汚染の代表例として知られるワニのオスのメス化現象を報告した米国のルイス・ジレットフロリダ大学教授は「オゾンホールや地球温暖化の問題に比べ、関 心はまだまだ一部の人達に限られている」と述べている。私は「米国では大騒ぎしている問題」と聞いていただけに、意外だった。

6月末に来日したEPAのゲーリー・ティム汚染防止対策局局長付顧問も「日本の方が関心が高い」と述べる。また、日本ではカップ麺の容器からの環境ホルモ ンとされるスチレンのダイマー、トリマーの溶出の有無が論争になっているが、「米国では日本のカップ麺に見られるような騒ぎは生じていない」と説明している。

同列には論じられない多種の環境ホルモン

さて、「環境ホルモン」とは何か。環境ホルモンは生物の体内に入ると、ホルモンに似た働きをして内分泌系を攪乱、生殖障害などヒトの健康や生態系に悪影響を与える環境中に放出された化学物質。世界自然保護基金(WWF)のデータをもとに、環境庁の研究班が九七年夏にまとめた中間報告書のリストによると、約70種類の化学物質があるといわれる。

これらはダイオキシン、PCB(ポリ塩化ビフェニール)、DDTなどのようにすでに厳しく規制されている物質から、ポリカーボーネート製の食器や哺乳瓶、缶詰のコーティングなどに使われるビスフェーノルA、プラスチックを柔らかくする原料としてラップや食品の包装材など幅広く使用されているフタル酸エステルなど、日常的に使われているものにも含まれる。大半の農薬もリストアップされている。あらゆる食品や飲料、水道水からも微量ながらも環境ホルモンと呼ばれる物質が検出されている。ダイズなどに含まれる植物エストロゲンも女性ホルモン的作用がある。

しばしば環境ホルモンとされる物質すべてを同列に「怖い」、「猛毒」と考えてしまう人もいるが、大きな誤解である。環境ホルモンは、それこそダイオキシンのように「猛毒」もあるが、ビスフェノールAなどをダイオキシンやPCBと同列に考えるのは無理があり、混乱を招く。
この「環境ホルモン」という用語が頻繁に使われだしたのは、おそらく97年秋ぐらいからだろう。以前は「内分泌攪乱物質」、「外因性内分泌攪乱物質」などと呼ばれていた。ほとんどが女性ホルモン(エストロゲン)的作用をするので「環境エストロゲン」と呼ばれることもある。

この「環境ホルモン」という用語だが、実は井口泰泉横浜市立大学教授が97年5月にNHKの科学番組「サイエンスアイ」に出演した際、一般の人々に分かりやすいように名付けたものだ。番組放映後、井口研究室には他の研究者らから「環境ホルモンなんて、辞書にはない」、「ホルモンとは体内にあるもので、環境中に放出された物質はフェロモンと呼ぶのが正しい」、「環境ホルモンというと良い意味にしか聞こえず、環境汚染物質を呼ぶにはふさわしくない」などという批判もあったという。しかし、環境ホルモンという用語は一年も経たずに定着した。

やはり「ホルモン」というと、体には大切なものだけに、一般的には良いイメージが強い。ところが、内容を聞くと「体に悪い」ものであるため、逆に印象が強く残る。「よくわからないけど、なんとなくわかったような気になる」という人も多い。環境ホルモンというネーミングがなければ、これほど話題にならなかったかもしれない。

環境ホルモンの様々な影響

ところで、環境ホルモンの何が問題なのか。環境ホルモンは、生体内に入るとあたかもホルモンのような働きをして、ホルモンの働きを狂わせる。まず、化学物質が生体内でホルモンの「カギ穴」となるレセプター(受容体)に結合するという説が注目される。
なぜなら、ホルモンそのものは非常に微量でも作用するからだ。特に、胎児期や成長段階にある幼児期では、感受性が高く、微量のホルモンがとても大切な働きをする。大事な胎児期や幼児期に影響を受ければ、生殖器の奇形やがん、精子減少など、将来的に生殖障害を引き起こしたり、健康を害する恐れがある。

また、合成女性ホルモンを使ったネズミの実験では、かえって濃度が低い方が前立腺重量などの生体反応が高まるという研究報告がある。ボン・サールという米 国の研究者が行った実験で、女性ホルモンの投与量に対して生体反応を示す曲線は「逆U字」型になるという。これは場合によっては濃度が低い方ががかえって 環境ホルモンの作用も強くなるという可能性を示す。

また「濃度が高いほど毒性も強くなる」という従来の毒性学の概念では正しく評価できないことを示す。もし化学物質がホルモンのような働きをするならば、これまで問題とされなかった量よりもはるかに低濃度な化学物質でも問題となるわけだ。
このボン・サール博士の研究について、データの信憑性を疑う声もある。しかし、最近、米国で過去の研究データを検索した結果、ボン・サール博士の研究を裏付 ける複数のデータが発見されている(かつてはがん研究が中心だったため、研究者は「逆U字」現象を発見してはいたが、わざわざ論文にされるようなことはな かったと考えられる)。
しかし、この「低濃度で効く」という表現がしばしば誤解を生みやすい。「環境ホルモンはppt(一兆分の一)レベルで作用する」とよくいわれる。これは人間に対するものではない。国立環境研究所の堀口敏宏主任研究員が報告した有機スズ(トリブチルスズ)によるメスの巻き貝(イボニシなど)に対する生殖障害のことだ。インポセックスと呼ばれ、メスの巻き貝にペニスなどが生じるオス化現象。このインポセックスは、pptレベルで発生することが確認されている。

「人間に対しても環境ホルモンがpptレベルで作用すると勘違いする人がいるが、明らかに間違い」と井口教授はいう。続けて「ホルモンそのものは pptレベルというごく微量でも効くが、環境ホルモンはある程度の量がないと効かない」と断言する。環境ホルモンと呼ばれる化学物質は、女性ホルモンの1000分の1とか、1万分の1という弱い作用である。なかには10万分の1というデータもある。単純計算してもホルモンと同じ働きをするなら、1000倍、1万倍という濃度が必要となる。

しかし、まったく安全とは言い切れない。化学物質は日常にあふれ、複数の化学物質に暴露されている。このように多様な化学物質と接触する機会が増えれば、微量でも危険性は増す恐れがある。「複数の環境ホルモンによる複合作用はどうなのか」という問題がある。

また、胎児期ではごく微量のホルモンや化学物質でも大きく影響する。特に、胎児は一定の期間だけ、特定のホルモンや化学物質に対してものすごく影響を受けやすい時期がある。サリドマイドによる薬害は、妊婦に投与した量よりもむしろ時期が問題となった。

ル イス・ジレット米・フロリダ大教授は「胎児は小さな大人と考えるべきではない」と胎児の感受性の高さを指摘する。胎児期に影響を受けると、奇形だけでな く、数十年後にたってからがんなど健康を害する可能性もある。胎児の時の影響が一生残ることも考えられる。危険性はゼロとはいえない。

ま さに、人間に対して「どこまでなら安全か、どれほどの量以上なら害があるのか」という暴露評価が必要だが、現在は判断できる材料がない。科学的な視点から 評価したくても評価できるデータがない。人体に対して精子減少や精巣がん、子宮内膜症、生まれつきの生殖器の奇形など環境ホルモンの関連が疑われている報 告はある。しかし、妊婦にDESという合成女性ホルモンを投与した薬害事件を除き、環境ホルモンによる人体への影響は証明されていない。

ただ、野生生物では生殖障害など多くの事例がある。井口教授は「野生生物に起こることは人間にも起こり得ると考えるのが普通である」と指摘する。「坑道のカナリア」という例えがあるように、環境汚染は野生生物や胎児、子供など「弱いもの」から影響を受ける。現在、環境ホルモンの研究は始まったばかりで、まさに「点と点を線で結ぶ作業」(井口教授)。因果関係やメカニズムを含め、わからないことだらけだ。「環境ホルモン問題は大いなる『仮説』にすぎない。ただ、もし仮説が本当なら取り返しがつかないことになる」(同)わけだ。今なら、間に合うだけに対策を考え、研究体制を確立して研究を進める必要がある。そこで、少しでも研究を効率的に、正確に進めるには、やはり世界規模での研究者同士の連携・協力や、共同研究が必要となる。また、各省庁の情報の一元化も不可欠となる。

化学物質によるリスクを正しく知る努力が必要

環境ホルモン問題に対し、私たちはどのように対応したらよいのだろう。日本の場合、環境問題というと「公害問題」という認識が強い。公害問題では専ら「少しでも疑わしきは使用せず」という措置が取られてきた。しかし、環境ホルモンとしてリストアップされている化学物質の種類は多く、これらをすべて禁止するのは困難だ。代替品の開発もなく、むやみに使用を禁止すれば、社会的、経済的なコスト負担は大変大きなものになる。かえって「地球環境」に悪い結果を生み出すことにもなりかねない。

やはり、環境ホルモン問題も冷静な目で、適切なリスク評価をするしかないと思われる。リスクとは「好ましくない結果」とそれが「発生する確率」であり、その「影響の大きさ」の兼ね合いで示す。もし、「好ましくない結果」が生じた時、「大きな影響」になることがわかっていても「発生する確率」がゼロに近ければ、リスクは小さいということになる。また、リスク評価は「リスクとベネフィット」の兼ね合いで考える。多少の危険はあってもそれ以上に見合う恩恵があれば認めてしまおうという概念である。水道水のトリハロメタンの基準値もこのような考え方で決められている。

自動車を考えれば分かりやすい、交通事故で毎年たくさんの人間が死ぬが、リスクよりもベネフィットの方が多いために使用するのである。飛行機も一度 でも事故があれば、大勢の人が死ぬがベネフィットを優先させるから人々は利用するのである。外国人の目から見れば、フグ料理はリスク管理の「見本」であ り、外国の教科書にも掲載されているという。猛毒なフグを免許を所有した料理人が調理するというシステムによって、リスクを最大限除去しておいしく食べる ことができる。もしかすると、死ぬかもしれないフグを日本人はわざわざ高いお金を出して食べているのであるから、よく考えると不思議なことである。

リスク論を専門とする中西準子横浜国立大学教授は「リスクは必ずあるもので、ある程度は許容せざるを得ない」と主張する。一定の利益が生じる場合には、ある 程度の危険(例えば化学物質の使用など)はやむを得ないと割り切って考えることになる。つまり、化学物質の場合、「量的にどこまでなら、許されるかを見極 める」というもので、中西教授は「毒性の強さと摂取量という問題を定量化して考えることが大切」と指摘する。

「環境ホルモンの場合、人によって摂取量の違いなども考えられ、定量化が難しい」(井口教授)という問題があるが、研究によって定量化を行い、適切なリスク評価を行う必要がある。要は「便利さ」だけに流されず、化学物質を賢く使うことである。

井口教授は「環境ホルモンによる危険性は成人ではなく、成長段階にある胎児や乳幼児。この点を十分に考慮した対策を取れば、意外と解決できるのではないか」と説明する。
ただ、リスクの許容範囲を決めるのは、最終的には社会や国民であり、科学者や行政が決めるべきことではないということである。したがって、一般の人々も化学物質によるリスクを正しく知る努力が必要であるし、科学者もわかりやすく説明する義務があると思う。