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訪問看護は医療の原点

看護からのインフォームド・コンセント

昭和40年頃から訪問看護に取り組んできた先駆者として、
利用者の安全とQOLを真っ先に考えるその姿勢は医療の原点ともいえる。穏やかな口調の中に訪問看護への思いがみなぎる。

川村佐和子 (かわむら さわこ)
1938年生まれ。61年東京大学医学部衛生看護学科卒業。横浜保健所の保健婦などを経て、66年東京大学医学部保健学科の技官に就任。その頃から訪問看護への取り組みを始める。71年東京都立府中病院の看護婦長に就任。74年在宅診療に着手。その後、東京都立神経病院などを経て、91年東京医科歯科大学医学部保健衛生学科教授に就任。医学博士。

責任が重い訪問看護の仕事

左・川村佐和子さん 右・後藤学園長
後藤
川村先生は昭和40年頃から訪問看護に取り組まれた先駆者とうかがっていますが、当時、訪問看護はどのような状況にありましたか。
川村
当時、訪問看護を手がけていたのは聖路加国際病院だけでした。その後、熱心な取り組みで有名な東京白十字病院もまだ始めておりませんで、まったく一般的ではなかったですね。
後藤
川村先生が訪問看護を手がけるきっかけは何だったのですか。
川村
私たちが子供の頃、日本は第二次大戦が終わったところで、結核が蔓延していまして、私の母もやはり結核で療養しておりました。入院を希望してもできず、自宅療養でした。そこで医者よりも保健婦にお世話になりまして、看護の大切さを自然と理解するようになっていたのです。しかも、たまたま伯父が東大の教授だったのですすめられて衛生看護学科を受験することにしたわけです。
後藤
高齢化社会を迎えて、ようやく訪問看護、在宅看護、在宅リハビリなどが注目されるようになってきたわけですが、現在、最も重要な問題点は何だと思われますか。
川村
一つは自宅における看護の体制が整っていないということ。もう一つは医師の診療が充分に利用者に届けられているのかどうかということでしょうね。まず診療と看護の両方が確実に提供される必要性があります。特に訪問看護婦の数がまったく不足しています。自宅で呼吸器をつけた利用者を看護するとき、医療の知識と技術を持つ者しか安全を提供することができない。はじめは家族だけではお風呂に入れることさえままならないんです。専門的技術力を持った訪問看護婦の存在が非常に重要なんです。
後藤
病院内では医師や看護婦などのチームワークが重視されますが、在宅では看護婦一人の持つ責任の範囲が広がるのではないですか。
川村
そうなんですよ。私なんか身体が小さいでしょう。体格のいい男性の人工呼吸なんか大変です。ある時、訪問看護の最中に利用者の容態が急変したので、馬 乗りになって人工呼吸を施し、首の付け根で動脈の確認をしていたんですよ。こちらは必死ですからね。ところが救急隊とドクターが到着したときに家族の一人 が私を「こいつはひどいヤツだ。患者が死にそうなのに馬乗りになって首を絞めていた」と非難したんですよ。主治医もほかの家族も理解してくれたので問題に はならなかったんですが、危うく殺人犯扱いでした(笑い)。
後藤
なるほど、それは笑い話ではすませられませんね。訪問看護の際に家族との関係で注意していることはどんなことでしょうか。
川村
まずは信頼関係でしょうね。そのうえでインフォームド・コンセントですね。 私は重度の障害を持つ利用者の訪問看護を担当していましたので、利用者が退院する際には必ず最低一週間、長時間の訪問ができるよう計画していました。家では日常生活があるので家族は看護に集中することはできないのです。だから原則を崩さずその家にあった処置の仕方を家族と一緒に看護しながら指導していました。
後藤
病気の種類によっては日常から切り離す「病院」という施設のメリットがあるのに、あまりにも在宅や訪問看護が声高に騒がれすぎていないでしょうか。
川村
一つの問題は一人暮らしや夫婦の高齢者世帯が急増していることです。世話をしてくれる家族がいない人がどんどん増えているのです。在宅療養を増やすなら訪問看護婦をもっと増やして要所要所に据え、ヘルパーも増やすような体制を早急に整えなければならないと思います。
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予測と五官の診断技術
後藤
入院治療に比べて、在宅看護は病気や怪我を日常生活に溶け込ませようということですよね。その意味では病院内と在宅では利用者の医療に大きな違いがあるように思うのですが。
川村
そのとおりです。最大の違いは病院では何が起こっても医師が数分で駆けつけてくれるのですが、自宅ではそれが不可能ということです。もし人工呼吸器 が壊れて、家族が一人しかいなければ、その人がアンピューバワグをもみ続けなければなりません。電話で病院に連絡することすらできないんですよ。訪問看護 の際も器具を一つでも忘れたりすると、適切な処置をできないということも出てくる。どんな非常事態が起きても一次救急はできるように完璧な準備が必要にな るわけです。
後藤 在宅医療を手がけている医師と話をしたとき、在宅では利用者に関する情報量が院内とまったく違うので、手や目や耳など五官によって診断しなければならないといっていましたね。
川村
私は国立医療センターの看護学校で10年ほど教えていましたが、学生に利用者のカルテを見せずに一緒に訪問看護するのです。すると学生は自分自身で利用者の容態を判断しなければなりません。例えば二メートル離れた壁に掛かっているカレンダーの文字が見えたらおおよその視力が分かるといった知恵が必要になるのです。カルテを見て「この利用者には視力障害がある」と判断するのではダメなことなのです。
後藤
病院では検査機器によるデータを取らないと利用者が診察できないという医師も多いようですが、自分の五官で何をつかむかという訓練が重要ということですね。
川村
訪問看護では医師の診断とは質の違う技術が求められます。例えば院内では六時間尿が出ていないという利用者に対して判断を保留し経過を監視することができますが、自宅ではその時点で判断しなければならないのです。夜間救急対応になってしまうと問題が大きくなります。つまり予測的判断が必要なわけです。入院させるときも病院まで来る体力を計算しておかなければなりません。すべて予測的に準備しなければならず、これは高度な専門的技術ですし、訪問看護婦はスペシャリストになっていく必要があると思います。
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ソフト重視の予算制度を
後藤
技術に加えて制度面でも新たな対応が必要ではありませんか。
川村
もっと問題解決型で分担を決め、それを保証する制度が必要ですね。具体的には予算分類の問題があります。今までの医療はハード中心だったが訪問看護や介護はソフトにおカネがかかるということです。例えば訪問看護する前に利用者の容態を予測して、いろいろな準備を行い、現場で看護の診断をして看護する、その一連の行為がどの予算項目に属するのか明確ではないのです。もう一つは訪問看護婦への収入の問題ですね。今まで以上の責任が生じるこの仕事には、必要な知識や技術を日々新しくしていく努力に対する報酬が必要です。そうでなければ本当に役に立つ看護婦が育たないのです。
そして主治医との関係も大きな問題ですね。アメリカでは状況に応じて実施するべき処置の手順が明確に文書化されているので、それに従えば看護婦が責任を問われることはありません。しかし今の日本のやり方は医師と訪問看護婦の関係が不明確なので、何かあれば看護婦が責任を負わされることにもなりかねません。必要に応じてアメリカのような方式の導入も考えなければならないでしょう。
後藤
在宅看護・介護を実施するうえでボランティアの活用も重要ではありませんか。
寝たきり老人を訪問看護する看護婦さん。
川村
日本ではボランティアというと「身を捨てて奉仕する」と考えますが、その姿勢はあまりいいとはいえません。私はボランティアも自分の技術や価 値を生かすことだと思います。ピアノを生演奏で聞きたいというおばあさんがいたので、音楽大学の学生に頼んで弾いてもらったことがあります。音楽という技 術を持っている人も花を生けるのが上手な人も自分たちの能力を生かしてボランティアに取り組んでほしいですね。
日本ではボランティアの組織化が進 んでいないのでマンパワーの不足を補う存在になりがちです。ところが善意で行える仕事量は個人的に決まっている。それを超えて要求されるので耐えられなく なって、結局ボランティア活動をやめる人も出るのです。ボランティアと利用者の関係をとりもつ組織化が必要だと思います。ボランティアをもっと客観的な存 在にして、頼る側も善意を受けていることを客観化しないといけません。そのためにも電車やバス代などの必要経費ぐらいは払うようにすべきでしょう。
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一人一人のQOLを重視
後藤
我々の学校にもこの頃、訪問看護に進みたいという学生がみられるようになりましたが、若い人へメッセージをお願いします。
川村
自分の専門技術を正確に実施することで利用者のQOL(Quality Of Life)を改善することができるということをまず分かってほしい。基礎的な知識と技術をきちんと習得したうえで、利用者や家族とのコミュニケーションをできる能力を身につけること。訪問看護は一人一人の利用者ごとに違った判断が求められるからです。
ただし利用者のやりたいことを実現することだけが目的だと勘違いしてはいけません。”安全に“実現することが訪問看護婦としての役割なのです。例えば呼吸器をつけた利用者が音楽会に行きたいと望んでいるときに、看護婦は利用者の容態や起こりうる事故を予想しなければなりません。寝たきりの人を動かすことによってたまっていた痰が出やすくなるので、どこでも吸引器を使えるように準備する必要があります。一人一人、要望も状態も違うので、あらゆる条件を知ったうえで、その利用者のためのマニュアルを作るわけです。
後藤
コミュニケーションの能力とはどのようなことですか。
川村
利用者や家族と信頼関係ができないと家に入れてもらうことさえままなりません。現に信頼関係を作るのは人間性が重要です。私はいつも学生に「高齢者 の家に若い人たちが行くことは利用者や家族を活性化できます」と言っています。若い人たちが訪問することで「孫や子供を思い出した」「生きる喜びが出てき た」「あの子たちが来るのが楽しい」という方々もたくさんいるのです。
若い人たちの考え方や流行を話したり、桜が咲いたなんてことでもいいんです。それを きっかけに家族と利用者の会話が明るくなったこともあります。これは私などの年齢ではとてもできないことですよ。
後藤
まさに医療の原点をうかがっている気がしました。お話をされているときの川村先生の顔が輝いていらっしゃったのが印象的でした。まだまだ訪問・在宅看護に関してシステムもマンパワーも整っていない状況のようですが、川村先生のように生き生きと取り組んでおられる方々の輝きを失わせないような仕組みを我々も行政と一緒になって考えるべきだと痛感しました。