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中医診療日誌 – 10

がんの予後
気・血・水の回復が手術後のQOLをサポート

がんは病気そのものだけではなく、西洋医学の治療による侵襲も、患者の気・血・水の巡りに障害を与える。これらの回復に主眼をおいた漢方治療は、抗がん効果ばかりでなく、症状の緩和やQOLの向上といった点からも注目されている。西洋医学と中国医学が互いの特徴を引き出し合う新しいがん治療のあり方が、確かな成果を示しつつある。

平馬直樹 (ひらまなおき)
1978年東京医科大学卒業後、北里研究所付属東洋医学総合研究所で研修。87年 より中国中医研究院広安門医院に留学。96年より平馬医院副院長、兼任で、後藤学 園附属入新井クリニック専門外来部長として漢方外来を担当。

告知でよりよいケアが可能に

ここ数年、がんの患者さんと接していて、患者さんを取り巻く治療環境がずいぶん変わってきていることを実感します。その1つは患者さん本人へのがん告知が進んだことです。
がん専門医が患者さんに対してがんであることを話し、現在どんな病状か、治療の見込みはどうか、ということを誠実に説明するようになりました。また、患者さんもそうしたことを受け入れるようになっています。
今から5、6年前までのがん専門医は、患者さんにがんを告知せずに、できるだけ延命をはかろうとするのが一般的な姿勢だったと思います。こうした診療のあり方の中で、患者さんのほうも疑心暗鬼になり、手術を受けたとしても手術がうまくいったのかいかなかったのかということに不安を持ったりしがちでした。その結果、患者さんは主治医に隠れて漢方薬を飲んだり、民間療法を求めるというケースが多かったのです。一方の主治医の側は、自分の責任で治療をしているのだから、患者さんが自分に隠れてそうした治療を受けるのをいやがるという傾向が見られました。
ところが、がん告知の意義が認められるようになると、「告知が当たり前」という状況になってきたわけです。これは「告知したほうがずっとよかった」ということが証明されてきたのではないかと思います。
もちろん現代医学もがんに対する様々な治療手段を備えています。そして、がん告知により患者さんに対して、どこまで治る可能性が期待できるのか、あるいはどんな副作用があるのかを、正面から説明できるようになったのです。
こうしたがん治療の動向にあって、患者さんのほうも、がんを告知されてもこれを前向きに受け止めて、病気と取り組んでいこうということになってきました。じつはがんという病気は、自然に治ることもあるのですが、がん告知が一般的ではない時代には、そんなことが起こっても、「自分はもともとがんではなかったんだ」というふうに思い込むことが多かったのです。患者さんががんをがんとして認識するようになって、がん治療の新しい方向性も見えてきたのではないでしょうか。
がん告知が普及した現在では、たとえば「余命半年」というふうに告知されても、2年、3年と延命される方も珍しくなくなっています。現代医学の立場からは「手遅れ」と宣告されたとしても、それが即「死」ではなくなってきたのです。

こうした状況にあって、患者さんが求めてがんの漢方診療を希望すれば、がん専門医の側も詳しい病状を示した紹介状を書いて、漢方医に紹介するという ケースも増えてきました。漢方治療が容認され、さらにそれを超えて積極的に評価されるようになっています。がん専門医と漢方医が協力して、患者さんの治療 を進めるという時代を迎えているのです。
漢方医にとっても、こうした協力によって、西洋医学の詳しい診断の情報や、どんな手術を受けてどの程度臓腑の機能が残っているかといった情報が届くようになりました。これらの情報を役立てて、より有利な治療ができるようになったわけです。
か つてがん治療の考え方といえば延命一辺倒だったわけですが、医療の目的は、苦痛の緩和とかQOLの向上を重視するという方向に変わってきています。こうし た面でも漢方の役割が認められるようになってきたわけです。がんの告知を受けた患者さんの側も、こうした漢方薬のがん治療における価値に注目して、がんとの闘病に役立てていってほしいと思います。

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中医学のがん治療における幅広い活用分野

中国では、伝統的中国医学と現代医学が協力してがんを治療しようという「中西医結合」が、ここ数十年間進められてきました。この中では現代西洋医学の外科手術、放射線療法、化学療法と並んで、漢方薬によるがん治療も研究の大きな柱になっています。現代医学と、鍼灸なども含む伝統医学との役割分担が比較的うまくいっているケースといえるでしょう。
こうした研究の中で、いろいろな漢方薬ががんそのものの進行を抑える効果を示すという症例も出てきています。なかなか100%とはいきませんが、漢方薬でがん治療ができる可能性があるということがわかってきました。
なかでも、現代医学の治療法で治療は成功したとしても、そのあとの再発・転移が心配な場合、これらの予防という面で漢方薬が使われるケースが多く見られます。また、たとえば肝がんに移行する危険性の高いC型肝炎の患者など、がんになる危険度の高い「がん予備軍」に対して、身体の免疫力を高めて病気の進行を抑えるという面でも漢方薬の役割が高く評価されています。

現代医学との協力ということからいえば、がんがうまくみつかって手術ができた場合、手術による身体機能の衰えや体力の低下に対して、漢方治療で体力を回復 させるということが以前から行われてきました。この組み合わせは、がん治療におけるいちばんいい方向の1つではないかと思われます。
また、手術や放射線治療など現代医学の治療に漢方薬を加えることによって、それらの効果を高めるという試みでも、いろいろな方法が提案されています。さらに放射線や化学療法などによる副作用を抑えたり、軽減するという目的でも漢方薬の出番があります。
さ らに中国医学は、鍼灸や気功、食事治療なども含めた総合力といった分野も持っているので、これらも動員されます。たとえば気功という運動療法は、がん治療 後の体力の回復、リハビリにつなげることもできます。現代医学でもがんは生活習慣病の一種と認識するようになっていますが、東洋医学は食事療法によりがん にならない体質を作っていくという知恵をも、長い時間をかけて蓄積してきました。
ホスピスなどでも東洋医学的な方法が用いられる要素は大きいと思います。日本ではたとえば帯津三敬病院が、現代医学に加えて漢方薬や気功などを組み合わせて成果をあげていますが、こうした中国医学の役割はおおいに注目されていくでしょう。

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手術の侵襲(しんしゅう)による体力減退を回復

56歳の会社役員Aさんは、昨年職場の健康診断を受けた結果、胸部レントゲン写真で「右の肺野に疑わしい影がある」と指摘されました。精密検査を受けた結果、「肺がん」という診断を受け、切除手術を受けています。右下肺葉という部分を切除しましたが、わりあい早期であり、まわりにも広く侵潤しておらず、転移の心配もないとのことでした。放射線治療も化学療法も必要がなく、術後の経過も順調で、主治医から「根治できました。よかったですね」と言われて退院しています。
ところが退院後、自宅療養に入るとなかなか体力が回復せず、元気が出てこないために不安をかかえていました。職場復帰には強い意欲を持っていて、リハビリを兼ねた早足の散歩を日課にしていましたが、ちょっと歩くと息切れしてしまいます。
退院から2ヶ月後、Aさんは「早く自信を取り戻して職場に戻りたい」と訴え漢方外来を訪れました。話を聞くと、退院時は入院前に比べて体重が6キロほど減っていたけれど、胃の調子はよく食欲はあり、体重は回復しているとのことです。ただし、寝つきはいいものの夢をよく見て、熟睡感がないとの訴えでした。
舌診をすると、赤みが不足してごく淡いピンク色です。また、脈を診ると沈んで細いことがうかがわれました。
東洋医学的にこうした患者さんは、やはり気や血が不足している状態であるとみられます。手術で切除したことがダメージになり、気や血や水のめぐりが悪くなっているわけです。水のめぐりがわるいとリンパ浮腫(むくみ)が起こったり手足のしびれが起こることもあります。また、術後食欲が戻らない方が多いのですが、こうした方には東洋医学でいう脾をしっかりさせなければなりません。さらに腎や心に障害が残ったりする場合もあります。それから身体にメスを入れるために於血(おけつ)が生じたりすることもあります。
Aさんの場合は胃腸もしっかりしており、むくみが出るほどの状態でもありませんでしたが、やはり臓腑機能が低下していることがうかがえます。息切れをするのは肺を切除したため肺の気が不足していることを示しています。熟睡感が得られないのは、心の血が不足している状態です。こうしたことから、気血の不足をしっかり補ってあげることが必要と診断できました。
そこでAさんには十全大補湯(じゅうぜんだいほとう)という薬をベースにして投薬しました。これにより徐々に回復がみられ、2週間くらいでぐっすり眠れるようになっています。食欲もますます出るようになり、気づくと早足でも息切れしなくなっていました。こうして治療を開始して2ヶ月後には復職できたのです。
Aさんは当初、非常に不安を持っていたのに、思ったより早く復職でき病気前と同じように働けるようになって大変喜んでおられます。こうして2ヵ月くらいで漢方治療も終了し、あとは手術を受けた病院で定期検診を受けておられますが、経過もきわめてよいようです。

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大手術による後遺症も大幅に軽減

主婦のB子さんは1996年、37歳の時、勤務していた職場での健康診断でスメア検診(腟細胞診)という検査を受けた結果、子宮頚がんが見つかりました。 総合病院の婦人科で受診すると、「やや進行しているかもしれない」と診断されて、手術を受けています。その結果、子宮全摘のほかに両側の卵巣も摘除とかな り広い手術になりました。周囲のリンパ節もかなり切除しましたが、さいわいリンパ節転移は認められていません。ただし、「もしかしたら転移があるかもしれ ない」とのことで、数クールの化学療法を続けました。切除範囲が広くそれだけダメージも大きく、体重は術前より6キロほど減っています。
B子さん は術後3ヵ月くらいして、漢方外来を訪れました。この時点で、両足にしびれ感があり、とくに左足はリンパ浮腫が現れてかなり太くなっていました。また、術 後ずっと身体が熱っぽく37度くらいの発熱が頻繁に出て、だるさがあるとのことです。さらに下半身が冷えるようになり、下痢ぎみで、お腹がいつも張って苦 しいという訴えもありました。加えて、これは抗がん剤の影響でしばしばあることなのですが、両足の裏側に砂がついたようなざらざらした違和感があるとのこ とです。
これらの様々のつらい症状とともに、B子さんは体力の低下が顕著でした。また、主治医により「やや進行している」という説明があったことから、手術が完全だったか、再発はしないかということに非常に不安感を持っています。
治療は胃腸を立て直し体力をつけること、水の巡りをよくしてむくみを改善すること、血のめぐりをよくしてしびれを改善することなどにポイントを置きました。また、これらの治療薬に加え、胃腸障害などをもたらさない穏やかな抗がん生薬として白花蛇舌草(びゃっかじゃぜつそう)という薬を加えて処方しています。
投薬後しばらくしてだんだん微熱がとれて、食欲は出てきました。下痢はこれらに比べれば長くかかりましたが、それでも収まっています。
ところが半年くらいするうちに、冷えやのぼせなどの更年期症状が目立つようになりました。卵巣を失いホルモン環境が変わったことによるものです。ただし、最初から血の巡りをよくしたり、調節する処方もしており、これによって足のしびれなどもなくなっています。そこで、引き続きこの処方を行うと、これらの症状も軽減していきました。
こうした経過をたどった末、ほぼ1年後にはB子さんは体重も術前に戻り、主婦として普通の生活ができるようになっています。ただし、左足がちょっとむくんだりする傾向と、時々下痢が続くという症状は残ることになりました。
その後、B子さんは年に2回くらいCTスキャンによる検査を受けていますが、再発もありません。この間ずっと漢方治療を受け続けておられ、ご自分でも「漢方薬を飲み続けないと体調を維持できない」と自覚しておられます。左足のむくみは残ってはいますが、最初よりはかなり軽い状態を保ってきました。大きな手術を受けたわりには、ほとんど健康な主婦と変わらない生活を続けることができています。

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