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震災ボランティアに参加して

後藤学園リハビリテーション学科OBの小野寺健三さんから東北震災地でのリハビリテーションボランテアの活動報告。

鹿児島県与論島 介護老人保健施設 風花苑
理学療法士 小野寺 健三

3月11日、あの震災が発生して以来、すでに2ヵ月が経過しようとしている。大地震、津波の被害に加え、原発からの放射能漏れ。その被害者のほとんどは東北の人々である。私にとって懐かしい東北弁さらに故郷の岩手弁を聞くたびに、自分が東北人、岩手県人であることを実感させられる。何か自分も手伝いをしたい。今できる支援は募金であると、報道されているが、集められた募金はまだ被害者に届けられていないという。何か違う。いつまでも見守っているだけでは、被災者は救えない。私は職場のある鹿児島県与論島から直接被災地に入りボランティアを行う決心をした。
4月25日。夜行バスで岩手入りした私は、地元の友人から軽トラックを借り、被災地の一つである大船渡市へと向かった。
三陸のほとんどの街がそうである様に、大船渡市も川沿いの河口に、わずかに広がる平地にしがみつくような形で町並みが作られている。私は両側を山に囲まれた郊外から街の中心地に向かう途中、そのすり鉢状に広がっていた街並みが根こそぎ津波にさらわれ、跡形もなくなっている様子に驚いた。私の知っている市内の中心地にあったショッピングセンターや銀行、市内一の商店街が記憶のなかから消え失せていた。どの建物も2階から3階部分まで激しく損傷している事から、津波が10メートル程の高さで押し寄せたことが分かった。鉄筋コンクリートの建物はかろうじて原型を留めているが、木造住宅はその姿すら確認できない。この場所で暮らしていた人々、また買い物等で訪れていた人々はどのようにして避難したのだろうと思うと胸がいっぱいになる。この街では数百人の人々が亡くなり、未だに数百名の人々が行方不明だという。

見慣れた街が無残な姿になっていた。

JR大船渡線も津波にのみ込まれて未だ復旧のめどが立たない。

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ボランティアの開始

ボランティア初日は被災した個人宅の泥だしや清掃、2日目は被災した小学校の体育館の清掃を行った。この2日間は市の社会福祉協議会の運営する災害ボランティアセンターでの作業であった。私は理学療法士なので、当初、避難所でリハビリやマッサージの仕事が出来ればと考えていた。しかし、避難所には各自治体や大病院から医療チームボランティアが入っているから個人のボランティアは受け入れていないとのことであった。3日目、私は直接避難所に足を運び、リハビリやマッサージのボランティアができないかを尋ねることにした。避難所を運営する事務所を訪ねたところ、個別のボランティアも受け入れОKとの返事。やっと私は避難所の中で理学療法士としてのボランティア活動が出来る事になった。
「マッサージのボランティアに来ました」と避難所の入り口で声をかけると、入り口の人がすぐに手を挙げてくれた。その後、次々にマッサージやリハビリの希望者が現れ手を休める暇も無いほどである。予想した通り、高齢者から若者まで避難所暮らしを強いられている人々は健康、体調を悪化させていたようである。

避難所の体育館

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心のケアをもふくめて

当初なるべく被災者の気持ちを考慮して被災当時の事や、ご家族の安否は聞かないように心がけるようにしていました。ところがマッサージして身体に触れている間に、自然とご本人の口からぽつぽつと避難所生活に対する不安や家族との別れなど様々な苦しみを抱えていることを話してくれました。中でも津波で流され行方不明になった夫を思うおばあさんや釣具屋を経営していた息子を亡くしたお父さんの話などなど、私はその内容に、ただただうなずくしかなく胸にこみ上げてくるものを抑えることが出来なかった。
今も避難所から、行方の知れない身内を探しに瓦礫の中を捜索する人や壊れた家跡で家族の思い出での位牌やアルバムを探し続ける人々。「立ち上がれって皆言うけど、どうやったらいいか分からない」とつぶやく人達に出会う度に私の目頭に熱いものが込み上げてくる日々だった。

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止まった時間の中で

避難所に行くと中で喪服に着替える人達が目についた。聞くと今日はあの震災から四十九日目にあたり近くのお寺で法要があるとの事。あの震災からもう四十九日になるのだと気付かされた。しかし、被災された方々の悲しみをこらえた表情からは、あの日から皆、時間が止まっているように感じられたのは私だけではない。
その後、2日間私は2か所の避難所を巡りボランティアを行う中で、見ず知らずの私に被災者の方々が何のためらいもなく身体をゆだねてくれた。そして心の中までも話してくれる。私が同じ岩手県人であり、方言も話せたため、被災者の方々が安心して素直に受け入れてくれた面もあろうが、それよりもましてこのリハビリやマッサージという仕事は不思議なくらい心身両面から人を癒す力があるという事をボランティアの中で実感させられた。

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これからが出番

市内の医療施設が整い始め、避難所を巡る都道府県や大学病院等の医療団が少しずつ撤退しているという。これは救急医療の役割が終わったことを意味している。私が避難所を巡るとリハビリやマッサージ希望の方々が殺到した理由は、今回のボランティアで分かったことだが、避難所で暮らす方々の心身ともに癒されるケアはまだこれからなのである。被災者の方々が今求めているのはまさにこのことなのだと実感した。
今後、避難所において、リハビリやマッサージの継続的な支援が必用なことは確実である。現在、大船渡市だけでも40か所以上の避難所があり、全国規模では十万人以上の避難者がいるという。東北で避難所の数はいったい何ヶ所あるのだろうか? そのことを考えただけでも私たちリハビリ医療にたずさわる医療者は、これからが本格的な活動の時なのである。全国のリハビリ医療者の仲間達に、今こそ避難所に一人でも多く赴き、被災者の支援にあたる事を希望し続けるものである。

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感謝のご挨拶

お世話になった西光寺の皆さんと

この度のボランティアを支えて下さった皆様に心から感謝申し上げます。自動車を貸してくださった同級生の田口君。自身の叔母様も陸前高田で行方不明だというのに「お前がボランティアに行くというなら、おれも君にボランティアをしたい。車をただで貸すよ」と商売で使う自動車を快く貸してくれて有難う。はるばる、熊本から単身乗り込み、1ヵ月近くもボランティア活動を続ける、万波さん。短い間ですが、共同生活を行いながら仕事が出来たことが幸いでした。最後に、大船渡市の古刹、西光寺の住職宮沢様。まだ寒い野外での生活は大変だろうと離れの一室を貸して頂き、有難うございました。今回の活動は、皆様のご協力とご理解のたまものと思い、心より感謝致しております。
震災で亡くなられた皆様のご冥福と、被災され、今も毎日ご苦労されている皆さまのご健勝を心よりお祈りいたします。私自身、今後も被災された皆さんの為に、何が役立てるかを考えながら日々暮らしていきたいと考えております。
平成23年5月3日

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