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戦況を病気にたとえ呉を説得する孔明

戦に負け窮地に追い込まれた劉備を救うため、呉に赴いた孔明は、劉備の状況を病人にたとえて共同戦線を申し入れる。

岡田明彦

古隆中武候祠の諸葛孔明像日本経済の状況を説明するとき、政治家や経済学者が、「いまの国の経済は風邪をこじらせている状態なので、安定のためにカンフル剤として公的資金を投入し、小康状態を保ってから本格的に経済の抜本的治療をすべき」とか、「いやこの状況はがんが進んだ状態だから、外科手術をおこない早く摘出しなければならない」などと、よく国が置かれている状況を身体観や疾病観で言い表すことがある。
『三国志演義』第43回「諸葛亮、群儒と舌戦し」の場面でもこのようなことが語られている。
新野、長坂坡の戦に負け続け、呉と同盟を結ぼうとする諸葛孔明は、独り呉に赴き、魏の曹操の圧倒的な軍事力に恐れをなし降服しようとする呉の孫権と群臣たちに対し、劉備と共同戦線を組むように説得を試みる。

劉備が三度足を運んだ諸葛孔明の草廬跡この時、呉の張昭という儒者に、劉備軍は負け戦ばかりだと揶揄される。
孔明は冷静に、劉備は大儀のため、山あいの新野という小さな県に赴いたが、 そこは食糧も乏しく、兵や人口も少ない。いくら大儀のため赴いたといえ、そのような環境では、ちょうど病気でやせ衰えていくようなものだと、劉備が置かれ ている困難な状況を病人にたとえて説明し始める。
「重い病気になった人を回復させようと思ったら、まず始めにやわらかな粥を食べさせておいてか ら、穏やかな薬を与える。そして五臓が調和したら肉を与えて、元気が出てきたら強い薬を飲ませて病気を根本から治すもので、もしも始めから強い薬を与え、 固い食べ物を食べさせて治そうとするなら、かえって病気を重くしてしまうことは皆さんもよく知っているはずだ」と切り返す。

このことは、中国最古の医学書『黄帝内経素問』五常政大論の考え方に表れている。「もしも、頑強な身体を持っていて強い薬に耐えられる者であれば強い薬を与え、もし虚弱な身体をしている者であれば穏やかな薬を与える」とある。
孔明はまた、呉の群臣達に向かって、劉備は困難な状況にあるにもかかわらず、その志は万里を飛ぶ鳳凰と同じで、群飛ぶ小鳥にはそれがわからないものだと論破するのであった。

武候祠の池
諸葛孔明が農耕をしながら勉学に励んだとされる古隆中碑坊
三顧の礼の故事を描いた石版