張飛は、怒りを恐れた部下に酒に酔って寝込んでいる間に寝首をかかれ、
あげくの果てに首を長江に投げ捨てられてしまう。
岡田明彦
閬中を通って長江に流れ込む嘉陵江酒にまつわるさまざまなエピソードを持つ張飛が治めていた閬中は、長江の支流嘉陵江が舌の形のように蛇行した砂州の中にある。ここに張飛が眠る墓と、張飛を祀る『張桓侯祠』があるが、墓に葬られている張飛の身体には首がないと伝えられていた。
張飛はこの地で、「生まれたときは別々でも死ぬときは一緒」という契りを結んだ関羽が殺されたのを知る。怒った張飛は劉備と呼応して関羽の仇をとるべく、部下に呉との戦いの準備を急がせたが急なことで間に合わなかった。張飛の怒りを恐れた部下は、酒に酔って寝込んでいる張飛の寝首をかき、あげくの果てに首を長江に投げ捨ててしまう。首は長江を漂ううちに、老漁師に拾われ雲陽に手厚く葬られたという。
演義では、張飛の酒癖にまつわる話が随所に出てくるが、たいていは良い話ではない。どちらかというと酒での間違いが多い。張飛の酒癖を中医学で見るとどのようになるのだろうか。
張飛を祀る張桓候祠の張飛像『醫』の文字の成り立ちにみられるように、古代中国の医療には巫術や酒が用いられていた。宋代の唐慎微が編纂した医学書『政和経史証類備用本草』にも酒の 効用が説かれている。「酒の味は苦く甘く辛い」とあり、「大熱と毒がある。またその役割は薬の勢いを増し百邪や悪毒を殺す」と記載されている。また唐代の 陳蔵器という人は唐慎微の酒論をうけて「血脈を通じ、胃腸を厚くし、皮膚を潤し、石気を散じ、憂いを消し、怒りを発し、心が解き放たれ意見を述べやすくな る」と心身両面に及ぼす効果を述べている。
張飛の場合は陳蔵器のいう酒を飲み過ぎて、いつも怒りをコントロールできない状態にあったに違いない。「酒で身を滅ぼす」の喩えである。そんな大酒飲みの張飛が部下の健康のためにつくったとされる薬酒がここ中の名物になっている。「保寧圧酒」といって大麦、小麦、紅高梁でつくられた酒をベースに枸杞、半夏、肉桂、大棗、砂仁などの薬草を入れた赤い色の甘い酒である。
この辺りの人びとは張飛を敬愛していて、この酒を『張飛酒』と呼び、もう一つの名物、表面が真っ黒な牛肉の塊でつくられたハムを『張飛牛肉』と呼んでいる。これを肴に張飛酒を飲むとき、張飛の思いが伝わるのだという。その訳は、この肉は張飛の顔のように黒いが、切って見ると中身は燃えるように赤く染まっていて、義侠心に厚い張飛の心の内を表しているかのようだからという。