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中医学とメンタルケア/中医診療日誌–25

在宅医療と伝統医学 第3回 『症状を和らげ最期まで寄り添う』

 前回ご紹介した脳梗塞後に嚥下障害を合併したCさんのその後の経過をお伝えします。Cさんは半夏(はんげ)厚朴(こうぼく)湯(とう)という漢方処方を用いることで飲み込みの力が回復し、ついに経管栄養のチューブを抜き去ることができていましたが、やがてまた嚥下は困難に。生命の炎は少しずつ細くなっていきました。

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北田志郎(きただしろう)

1991年東北大学医学部卒業。 その後,東京都立豊島病院臨床研修医(内科系・東洋医学専攻)を経て、 1993年東京都立広尾病院神経科 1995年東芝林間病院神経科 1997年精神医学研究所附属東京武蔵野病院 2000年天津市立中医薬研究院附属医院脾胃科に留学、その後、後藤学園附属クリニック医師として勤務 2003年より千葉県で地域医療を特徴としているあおぞら診療所で勤務。最近はとくに精神医学・中医学と地域医療と関連する研究に力を入れている。帰国した残留孤児達の心身の健康をサポートするボランティア活動などにも、積極的に携わる。

 

経管栄養を断念、中心静脈栄養へ

 Cさんはチューブを抜いてから半年の間、口からしっかり食事を摂ることができました。この間、嚥下障害から来る誤嚥性肺炎を一度も起こしていませんでした。
しかし半年後の2月、感染性胃腸炎に罹ったCさんは激しく嘔吐し、ほどなく高熱と呼吸困難をきたしました。吐物による誤嚥性肺炎を起こしたと推測され、直ちに地域の基幹病院に救急入院となったのです。そのまま気管内挿管を受け人工呼吸管理となり、生死の境をさまよいましたが、幸い肺炎は治癒し、人工呼吸器からも離脱することができました。
 しかしCさんはもはや自力で痰を吐き出すことができなくなってしまい3月には気管切開術を受けることとなりました。経口摂取は一切禁止となり、経鼻チューブによる経管栄養が再開されましたが、腸閉塞に罹ったり、嘔吐からさらに誤嚥をきたしたりというトラブルが相次ぎます。そこで、6月に経管栄養を断念し、中心静脈栄養という点滴による栄養補給に切り替えられました。8月に慢性期主体の病院に転院すると肺炎治療を繰り返したためか、痰から抗生剤の効きにくい耐性菌が検出されたのです。
 私たちスタッフはこうした状況を家族や病院のソーシャルワーカーを通じて随時知ることができていたのですが、事態は明らかにジリ貧状態と言わねばなりませんでした。しかし夫人がが、「どうしてもCさんを退院させたい」と希望されたことから、10月のある日転院先の病院で「退院前共同指導」が行われました。これは在宅ケアを担う医療・福祉従事者が退院前に病院に伺い、病院スタッフとのミーティングを通じて病状と生活能力を把握し、スムーズな在宅移行を実現するために開催されるものです。

どうしても主人に家に帰ってきて欲しい出し

 私たち往診チームは、ミーティングの前に夫人と一緒にCさんの病室を訪れました。Cさんはベッドに力なく横たわっていました。顔はパンパンにむくんでいて、目もどんよりと曇っています。しかし私が近寄り声をかけると、動く方の左手に握手をすると驚くほど強い力で握り返してきました。Cさんは私だとわかったようです。
病室を出るとすぐに夫人が小声ながらしっかりした口調で話しかけてこられました。
 「私はどうしても主人に家に帰ってきて欲しいんです。家に帰ればまた元気になるんじゃないかと思うんです。先生また往診をお願いします」とお願いをされました。
 確かに、病院から自宅に帰ることで元気になる方は少なくありません。なかには「余命いくばくもない」とされていたがん末期の状態の方が、退院後その予測を大幅に超えて長生きされ、しかも元気さをギリギリまで保たれることが珍しくないのです。その方の生命力が十全に発揮される「場」が自宅であったのだと言い換えることもできます。かといって、そういった方々が死そのものを免れることができるかというと、これはまた全く別の話です。夫人が求めている「元気」が入院前の状態に戻ることを指しているのなら、あまりにも期待が大きすぎるのです。
 私は大変厳しいと状態を思い「退院となればできる限りのことはさせていただきますが、ご自宅で看取ることも覚悟していただかなければなりません」と言わざるを得ませんでした。
すると夫人は「いや、それも困ります」と言うのです。
 「先生、今度も漢方でなんとかなりませんか?前の時だってもうだめだと思っていたのに、あんなに元気になって、自分で食べられるようになったじゃありませんか」
 「評価してくださるのは嬉しいのですが、漢方薬は魔法の薬ではありません。この前はCさんの体力と気力がまだ十分残っていて、他にもいろいろなテコ入れができたからうまくいったのです。今度はとても安請け合いできる状況ではありません」私はそのようなことを言ったと思います。
 その一方で、もし夫人が自宅での看取り覚悟で連れて帰られるなら、今度は「訪問鍼灸」も導入しよう。なんとかして漢方薬を服用する方法がないものか、などという思いが巡っていました。

「苦肉の措置」のもと再び在宅へ

 夫人とのミーティングでは多くの不確定要素を残しながらも「退院に向けた準備をする」という方向性への確認をしました。
 しかしほどなくして、Cさんはまた高熱を発してしまったために中心静脈のカテーテルを抜去することになってしまいました。高熱はほどなく解熱したとのことでしたが(これは「カテーテル熱」と呼ばれる感染症が起こっていたためと推測されます)この結果中心静脈栄養の継続も困難となってしまったのです。
 Cさんは再度急性期病院に戻り、改めて経管栄養を受けることになりました。ただし、チューブの先端部
位はこれまでの胃ではなく、十二指腸も越えて空腸に達するようにしたのです。胃を亜全摘していたCさんが、注入した栄養物が逆流して誤嚥してしまう傾向を強めていたための苦肉の措置だった分けです。
 Cさんはこれらの困難を乗り越えて、ついに12月になって自宅に帰ってこられたのです。しかしチューブの交換は以前のように在宅ではおこなえず、月に1度病院に行きレントゲン透視下で実施しなければなりませんでした。それでもCさんと家族は、自宅に帰ることを選んだのでした。

 

漢方薬と鍼灸併用の「健脾去痰」


 スケジュールの都合上、私がCさんの自宅に伺ったのは、退院から10日目のことでした。その時すでにCさんは誤嚥性肺炎を一度起こしていました。
 Cさんが身体を動かすたびに、切開された気管に挿入してあるカニューレから痰が噴出してきます。私は病院から指定されてきたチューブへの水分量を減らし、入院前に用いてきた半夏厚朴湯エキスを再開しましたが、前回ほど明らかな変化を見ることができませんでした。注入物がCさんの胃腸の処理能力を越え、「痰飲(脾という消化器の衰えによる水分の滞り)」と化していると考えられました。そこで水分の停滞を改善する機能を持つ茯苓飲(ふくりょういん)を合わせることとしました。「茯苓飲合半夏厚朴湯エキス」として一剤で処方できることも、在宅ケアにおいては大きな利点と言えます。一方で訪問鍼灸も開始し、主に水分代謝を高めるための「健脾去(けんぴきょ)痰(たん)」の治療を行ってもらうこととしました。
 効果はてきめんでした。痰の量は次第に減り始め、Cさん自身が自力で唾を飲み込む感触を得たようでした。以降抗生剤の使用も減り、月1回の病院でのチューブ交換も順調にこなして、冬を越すことができたのです。
 しかし体調の安定とは裏腹に、Cさんの表情は徐々に険しくなっていきました。そして5月のある時、私をじっと見つめながら指差し、そしてその指を上へと持っていったのです。
 「Cさん、それは天国ってことですか?私に天国に送って欲しいと?」Cさんは大きく、何度もうなずきます。
ベッドの傍らで立ち会っていた夫人が目に涙をいっぱいためて「お父さんごめんなさい、私のわがままで、でも私はお父さんがどんな姿になっても、お父さんに生きていて欲しいのよ」
 Cさんはその言葉には応えようとせず、ひたすら上を指差し続けていました。

終末の時が近づき表情は穏やかに

 当院の訪問看護師は、それまで主にCさんの身体のリハビリテーションを行ってきましたが、このエピソードがあってから、彼女たちはリハビリを少し早めに切り上げ、細心の注意を払いつつCさんにアイスクリームやゼリーを召し上がっていただく介助を行うことにしたのです。漢方薬を継続使用しても、もうこのころにはCさんの嚥下の力はほとんど残っていませんでした。看護師が「ごほうび」の後に気管カニューレの側管を吸引すると、胃に入っているはずのアイスクリームがそのまま吸い上げられてきてしまうこともしばしばだったと言います。それでも次の冬を迎えるころには、Cさんが上を指差すことはなくなっていました。


 私はこの間、ずっと茯苓飲合半夏厚朴湯エキスを使い、状況に応じて2種類目の方剤を加えていきました。繰り返す気道感染には、気管の炎症を和らげ痰を切りやすくする清(せい)肺(はい)湯(とう)や苓甘姜(りょうかんきょう)味(み)辛(しん)夏(げ)仁(にん)湯(とう)を加えることで、抗生剤を使う局面を減らすことができました。貧血が強くなり一度輸血を要した時も、胃腸を丈夫にして貧血症状を改善する機能を持つ加味帰脾湯を加えて、貧血を抑えることができています。
 しかし、栄養が過不足なく補われ、疾患を未然に防いでも、その次の春にはCさんの生命の炎は尽きようとしていました。このころには、夫人にも、娘さんにも、そのことが自然にお分かりになったようでした。そしてCさんご自身が、誰よりそのことがよくお分かりだったのだと思います。にらみ付けるようなお顔も、弾けるような笑顔も見ることができなくなりましたが、そのかわりこれまでになく穏やかに微笑まれるのでした。
 7月2日には在宅酸素療法を導入、そして翌3日には経管栄養と漢方処方も止めて皮下への点滴に切り替えました。表情は一貫して穏やかで、これ以上の緩和治療は必要ないと判断されました。
 入れ替わり立ち替わり親戚や友人が面会にこられ、Cさんと目で語り合ったといいます。7月10日、1日500mlの点滴でもむくみが出るようになり、この日で点滴も終了としました。
私はこのことをCさんに告げると、しっかりと目と目が合いその目は「それでいい」とおっしゃったようでした。
 7月14日、ご家族ご親族に囲まれ、Cさんは自宅で息を引き取られました。私たちが訪問診療をはじめてから、約3年半の時間が経過していました。