メニュー 閉じる

がん診療日誌 – その7

志があれば誰でもプロフェッショナル

医療者としての資格をもたない看護助手……。
でもいつの間にか患者さんたちに太極拳と気功を指導するほどに。
しかし何より、誰にも負けない志をもってしまったFさんは、
今や医療のプロフェッショナルだ。

帯津良一 (おびつ・りょういち)
1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、現在帯津三敬病院院長。専門は中医学と西洋 医学の結 合によるがん治療。世界医学気功学術会議副主席などを務める。著書に『がんを治す大事典』(二見書房)など多数

医療とは”場“の営みです。患者さん、その家族、友人、医師、薬剤師、看護婦、心理療法士、鍼灸師、コ・メディカルの担当者などを当事者とする”場“の営みなのです。

当事者一人ひとりが、自らの”場“のポテンシャルを高めることによって、医療という”場“のポテンシャルが高まり、その結果、患者さんはいうまでもなく、その場を構成する当事者すべてが癒されるというのが医療の本来のあり方です。

そして、当事者の場は相互に絡みあっていますから、個としての区別ははっきりしたものではなく、まして、誰が主役で誰が脇役ということはありません。全員が主役なのです。そのかわり、全員が、自分はその場の当事者であるということを自覚し、自分の場のポテンシャルを高めることによって、その場のポテンシャルを高めることに貢献していこうという志 をもたなければなりません。

医師は処方箋を書くとき、この処方で患者さんを少しでも快方に向かわせるのだという確信をもたなくてはなりません。


薬剤師は、処方箋を見ながら薬剤を分包していくとき、これできっとこの患者さんはよくなるぞという気持ちをもたなくてはなりません。
看護婦は患者さんの体に触れるとき、いつも祈るような気持ちをもつべきでしょう。
心理療法士は患者さんの心のエネルギーを高めるために、いつも腐心していなくてはいけません。
鍼灸師はハリにしろ灸にしろ施術するときには、しっかりと”気“を込めなくてはなりません。
栄養士は、いかに患者さんが喜んでくれるかということを夢見ながら献立をたてます。

調理師も自分の”気“を込めて、ご飯を茶わんに盛ります。
レントゲン技師は「早く、良くなってくれ!」と念じながら、スウィッチを押します。

事務職員も、同じく祈るような気持ちで、患者さんに接しなくてはなりません。
いくら高度の技術を身につけていても、自分の守備範囲だけを守っていて、場のポテンシャルを高めようとしない人は本当のプロフェッショナルとはいえません。

本当のプロフェッショナルとは志をもった人のことをいいます。
医療という場の当事者が全員、同じ志をもつことができたとき、別に新しい特効薬など出てこなくても、
がんの治療成績はぐーんとアップすることはまちがいありません。

だから、私の病院も全員、同じ志をもつ人でやっていけたら、どんなにいいかといつも思っているのですが、なかなかそうはいきません。なかには、志どころか、医療というものが場の営みであるということがまったくわかっていない不心得ものもいないわけではありません。

しかし、私は悲観していません。同じ志をもつ人が少しずつではあっても増えてきているからです。同じ志をもつ人を見ると、私の眼はいっそう細くなり、胸のなかに温かいものが拡がります。
Fさんもその一人です。
自慢の手兵の一人といってもよいでしょう。

開院してまもなく、同じ志ということにかけては人後に落ちないY婦長の引きで就職してきました。
15年前のことです。
普通の看護助手でした。看護婦ではありません。看護助手です。しかもパートですから世間の一般的な見方からすれば、病院のなかではさして重要な役割を果たしているとはいえません。当然、最初は特別目立つこともない存在でした。

病院の道場ではじまった太極拳を見て、何か感ずるところがあったのか、勤務の無い日を利用して、東京の太極拳の教室に通いはじめました。


この太極拳が彼女の人生にとってきわめて大きな転機をもたらしたと私は思っています。つまり、太極拳が種子となって、彼女の志が芽生え、育っていったのです。

太極拳がよほど性に合っていたのでしょう。あるいは指導者と仲間にめぐまれたのかもしれません。実に熱心にこつこつと続けました。今では立派な師範です。 病院の気功道場の太極拳を三単位受け持って患者さんの指導に当たっています。ほかにも郭林新気功を一単位受けもっています。

太極拳にしても郭林新気功にしても、およそ気功の指導者に要求されることは、技術的なことよりも、気功の本質をしっかり掴んでいることですし、もっと大事なことは生徒さんたちに好かれるということです。

彼女が気功の本質を掴んでいるかどうかについては正直なところなんともいえませんが、患者さんたちに好かれることはたしかです。
この好かれることは当然、天性のものがあるでしょう。しかしそれだけでは十分ではありません。やはり志なのです。場のポテンシャルを高めようとする志なのです。

この患者さんに好かれるということは医療者としては絶対的な必要条件です。どうやっても好かれない人は職を変えたほうがよいくらいです。でもどうしても医療の仕事をつづけたいなら、志をもつことです。志をもって仕事に励むだけですぐに好かれるようになります。実に簡単なことです。


郭林新気功だって、誰も彼女に習うようにすすめたわけではありません。太極拳とうまく両立させながら、いつの間にかリーダー的な存在の一人になっていたのです。
毎年5月の連休の頃、上海のがんクラブとの交流会が
開かれます。私の病院の患者さんたちも参加します。このときも無くてはならないメンバーなってしまいました。

身体は小柄ですが実に行動力に富んでいます。今ここに居たと思えば、もうあそこにという具合に患者さんたちの面倒をみてくれます。中国語はからきしなのに物怖じしません。いつも大きな声で日本語をしゃべっています。

早朝の郭林新気功の練習でも非常に熱心です。脇目もふらずにという感じです。
上海がんクラブの人たちともすっかり友だちになってしまいました。

医療者としては何の資格も持ち合わせていない彼女なのに、誰も負けない志をもってしまったようです。医療のプロフェッショナルになってしまったのです。

だから安心して見ていられます。たとえば私の病院にはいろいろ見学の方々が見えます。この方々のお相手をして、院内を案内する係がいるわけではありません。その都度、さまざまな人がその役割を担当することになります。

設備の面で特に見てほしいと思うものもありません。見てほしいとすれば、ホリスティック医学の志だけなのです。それにはまず案内を担当する人が志の低い人ではどうにもならないのです。せっかく遠くから来てくださった方に、これ以上の失礼はありません。

彼女はその志を伝えることのできる人です。
彼女がその任に当たっているときは、本当に安心なのです。
申し遅れましたが、彼女は49歳です。