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臨床家教育のこれからを考える

2001年から医師国家試験の大幅見直しが始まる。
あん摩・マッサージ・指圧 師、はり師、きゅう師(あ・は・き師)の
前国家試験委員長である丹沢章八さんは、医療教育の全分野で
臨床能力の育成が重視されるようになると指摘されている。
よき臨床家としての人間形成の上で、
これからの教育に求められるものをうかがった。

丹沢章八 (たんざわ しょうはち)
1951年信州大学松本医学専門学校卒。神奈川県総合リハビリテーションセンター、七沢リハビリテーション病院リハビリテーション部長、北里大学衛生学部非常勤講師、東海大学医学部非常勤教授を経て明治鍼灸大学大学院教授。あん摩・マッサージ・指圧師、はり師、きゅう師国家試験委員長。厚生省あん摩、はり、きゅう、柔道整復等審査会委員を歴任。現在、社団法人全日本鍼灸学会会長。

臨床能力を問う国家試験の見直し

丹沢章八さん

後藤
厚生省は医師国家試験のあり方を2001年から大幅に見直し、総合的な診断能力を問う試験に変える計画を公表しました。そこで、あ・は・き師国会試 験の委員長を務めておられた丹沢先生に、医師国家試験見直しの流れが、そうした医療専門職の資格試験のあり方にどのように波及すると見ておられるかをうか がいたいと思います。
丹沢
医師国家試験で見直される内容として、出題数の増加と出題内容の改善、合否基準、試験問題の公募とプール制の導入、試験結果の通知、判断力を問う応用力試験の導入などがうたわれています。以前から、「もっと人間性豊かなお医者さんが世の中に出てもらわないと困る」としきりにいわれていましたが、そうした見方から医者になる人の資格を問う試験のあり方が検討され、今度の国家試験の見直しが行われることになったわけで、これ自身はたいへんいいことだと思います。
医療を受け持つ領域は個々の専門分野によって違いますが、医療人としての本質はまったく同じことです。ですから「医師だから」、「PT(理学療法士)だから」といったことではなく、医療人の人格として最低限クリアしなければならないことを問うていくという新しい試験のあり方が示されることになります。
後藤
先生は大学院をはじめ、いろいろなところで教育にも深く関わっておられますが、こうした国家試験の見直しが、教育のあり方にどのように関わってくるとお考えかをお聞かせください。
丹沢
あ・は・き師国会試験をスタートするに当たっては、できるだけ教育界に影響を及ぼすことは避けようという同意がありました。しかし、現実には国家試験が教育に影響を与えているのは事実です。まずは学生が国家試験をパスしなければはじまらないわけですから、教育内容が試験対策に傾くことはやむをえない一面もあります。
そのため、実技教育の時間が不足して卒業生の実技能力が低下しているのではないかといわれています。社会に通用する医療人を育てる義務と責任を持っている教育界にそんな指摘を受けるいわれがあるとは思いませんが、もしあるとすればまさに本末転倒もはなはだしいといわなければなりません。
ところで、国家試験開始前から実技試験復活要求には根強いものがありました。その要求に応えるために、かねてから実施に向けての検討を厚生省から依頼されていたわけです。
実技は臨床の一場面です。患者に接することから治療に至る総合的な臨床能力を評価できるよい方法はないものかと探しているうちに出合ったのが客観的臨床能力試験、いわゆるオスキー(*OSCE=文末参照)でした。
そこで早速、現在医学教育学会で行われている内容を鍼灸師用に書き換え、実技能力評価モデルを作り、現在までに3つの養生施設で試行しました。結果は今まで経験したことがない画期的な評価方法として、教員、学生双方から高い評価を得ました。新鮮なインパクトであったようです。こういう評価法に基づく、卒前教育のあり方を真剣に見直す時期がきたと思います。
求められる教育者のレベルアップ
鍼の臨床指導
後藤
非常に入学試験の競争が激しくなり、入学者は成績のいい人が多くなりました。ところが一方で、他人とのコミュニケーションの場面でつまずく人が増えてきています。実習に出る前のPTや看護の学生たちを見ていると、みんな先輩などから「実習というのはたいへんだ」と聞かされたりしていて、これが大きな 重圧になっているのです。私は実習現場で、「もし『あなたはできないね』と言われたら、『当たり前だ。できないから実習に来ているのだ』と思いなさい」と 言っています。
丹沢
そうですね。医療人が病者の心をくみ取るようになれるには多くの経験を重ねるしかないでしょう。そういう点で現在最も合理的に行われているのはPTや看護婦の教育です。卒業前の半年間は完全に医療の現場に放り出されるわけですから、自然に医療人としての人間形成ができてくるのではないかと思います。
一方、鍼灸師の教育過程では医療現場に接する機会はまったくありません。鍼灸は実際に社会に出た段階で病者に接する医療ですから、何とかして卒前教育で取り入れていく必要があります。したがって、私が後藤学園で臨床家と教育者とを育てるために重点をおいていることは、ほとんどがシミュレーション授業です。
後藤
臨床の準備ということですね。
丹沢
ええ、これからの世の中は慢性疾患の患者さんが体調維持のために鍼灸治療に訪れる機会が多くなってくるのに、卒前ではなかなかそういう人に遭遇できないので、シミュレーションの教育という方法以外にないと考えたわけです。私自身に特別なノウハウがあったのではなく、必要があってやっていたらこれが先端的な教育だったんだなということがわかってきました。
もう一つ私が後藤学園の教員養成の課程で、モットーとしていることは絶対生徒を甘やかさないということです。専攻科に入った以上はいろいろな社会的制約や、厳しさというものを知っていかなければならないし、教育の最終目的である知識を行動と結びつけることを習慣づけるためには、ある程度スパルタ教育が必要だと考えています。
そういうことを教師一人一人が自覚し、「自分はこういう医療人を育てていく」という問題意識をもっていればいろいろな悩みも沸いてくるし、その悩みを解決するための創意も生まれるのではないでしょうか。
後藤
教育の目標は、知識、技術、態度・習慣というふうにいわれていますが、先生は卒前の学生はもちろん、大学院の学生を見ておられるなかで、端的にいって今の教育ではどれが不足しているというふうにお考えでしょうか。
丹沢
その3つの中では、態度・習慣というのが不足どころかまったくゼロでしょう。それに教育の現場で教師が創意を持たなければ生徒も創意を持てないことをよく認識すべきです。「どうしたらいいか」と考えることが大切なのにそれをしない。教える側にちょっと行き当たって悩むということがなく、十年一日のごとく自分が教わってきたこと、教えてきたことを繰り返して教えていればいいということが問題なのではないかと思います。
後藤
私は医療と教育はたいへん近いところがあると思います。すなわちともに対象である患者さんなり、学生なりに、行動の変容をもたらす仕事だからです。先生はリハビリの専門医であり、患者さんや障害者と接して、治療技術によりもっと歩けるようにする一方、学生に「ああ、人間の体は面白いんだな」ということを考えさせ、行動を促すということをされています。やはり学生は教師の姿を見て、何かを始めないといけないわけですね。
丹沢
医学教育の中で非常に問題になっているのは教育者の能力です。医学部で医学を教えていく教育者は、「教育学」というものを教わっていません。何とはなしに自分が勉強してきたことを教えているわけですから、あらためて教育者の能力アップということを真剣に考える必要があります。そのためには自分の殻や大学の殻に閉じ込もらず、教育者同士が積極的に交流し、切磋琢磨し合うことが非常に大切です。はっきりいえば、学校によって教育の仕方、水準が相当違うわけですが、多くの学校では比較され評価されることを嫌がっています。すすんで他者評価を受けるという気構えが必要です。
後藤
そこで日本の学生と中国やアメリカの学生を比べると、日本は集中力というものがいちばん欠けているような気がします。たとえば天津の中医学院では、教授が1つずつ診療室を持ってそこへ学生が詰めかけて勉強をするという昔の形式をとるようになりました。一方、アメリカの臨床教育では、こまかく項目を設けて自己評価やそれぞれ指導者の評価を記載する「評価表」というものが取り入れられたりしています。その中で人間関係のことを教育するためには、やはりマンツーマンで教える場面が1回は必要だと思います。
求められるのは感性を育てる教育
専攻科の学生指導
後藤
先生がおっしゃる感性というのは非常に大切なことだと思うし、ものに感じる力というのはじつは育てないと育たないと思います。それから人の痛みが感 じられるといったこともそういう感性ということの中に含まれるのでしょうが、もともとそれがないような人は医療人になる資格がないのですから、そういう人 は入学試験などで除外されるような仕組みも作らなければならないかもしれませんね。
丹沢
ある時、卒業間際の学生が手を挙げて「私に鍼灸師としての感性はあるでしょうか」と聞いてきたことがあります。これにはちょっとびっくりしました。私は感性の根底には「直感」があると思っています。直感は非科学的なものだと思われがちですがけっしてそうではなく、自分の意識下で積み上げられてきた経験の集積から生まれた目の前の状況を判断をする能力といえます。それは自分にとってまことに論理的なものだと思います。私はその学生に答えました。「君が鍼灸の専門学校を選んだということは、鍼灸師としての最低限の感性を持っている証拠である」と。これを磨くか磨かないかは今後の努力次第であることもつけ加えました。
後藤
私は学生を見ているとちょっと遠回りしたり、挫折したり、自分が専攻している以外のことにも関心を持っているような人のほうがどうも豊かな感性を持っているような気がする。さらにそうした感性を伸ばすためには教師たち自身が自分の感性を育てることが大切だと思います。
そした意味で丹沢先生は、途中で医師をおやめになって実業家になられたりしたご経験をお持ちですが、お話をしているとそういう意味での人間的な幅広さや深さを感じることができます。また彫刻をおやりになるなど、非常に芸術家でいらっしゃるわけで、そういうことが非常に大切だと感じます。
丹沢
確かに一途に専門知識ばかりため込んでいる学生より、多少他のところをよそ見している人のほうが感性が豊かになる可能性があるのではないかと思うし、そういう方向に向かわせるカリュキュラムの工夫も必要でしょう。とくに医療人として必要な感性を育てる方法として、私はもっと学生に医療現場でのボランティアのようなものをさせる仕組みがいいのではないかと思います。例えば老人ホームなどで介護のボランティアを行ってもらい、それを単位として認める。このようにいろいろな人と出合い、いろいろな悩みを聞くということは、感性を養うための1つの方策だと思います。
後藤
非常にいいご提案だと思います。カリキュラムが大綱化し、法律的な制約はあっても各学校が工夫をして独自に単位認定するということになっていくと思いますので、ぜひそれは実現したい。一方、学園ではPTと看護の新しいカリキュラムで「医療人間学」というものを取り入れました。ここでも感性を豊かにするための授業を目指しています。私は感性を豊かにする大切なものの1つに「自然との一体」ということを考えています。
東京キャンパスで
丹沢
今の若い人たちには、自分たちが四季の移り変わりの中で生きているといいった意識はまずないし、米がどのように実っているのかという姿も知らない。 そうした中で自然との一体感を覚えるというのはなかなか難しい話ですが、小学校時代の教育から考え直して、もっと自然の中に自分が存在しているということ を確かめていくようにし向けていくということが必要なのではないでしょうか。
例えば何らかの挫折感を味わった時など、自然によって慰められ、 「ああ、自分の周りには自然があるんだな」ということを感じます。そんな時、自分の体験として自然との一体感が生まれるような気がするわけです。その時に 意識した自然をどういうふうに表現し、また自分の中に定着させればいいのか考えると、私は「宗教」という言葉を借りることが多いのです。こうした考えか ら、私は持論として、医療人は基本的に広い意味の宗教家であるべきと思っています。
後藤
WHO(世界保健機構)が健康の定義を、「身体的社会的に良好な状態」に加えて、「魂の良好」ということをいっている。そうした意味では「魂」、「スピリチュアル」と表現してもいいし、「生命観」でもいいわけですが、私は「気」だな、と思いました。こんなふうにこれから医療の概念も大きく広がります。そうした中で今育っている学生に対して、先生から何か一言いただくとしたら、どういうことでしょうか。
丹沢
人が人間として生まれてくるというのは何億分の一という確率の偶然の所産でなのです。その人間を人間としてマネージするという職業に選ばれたということをよく自覚して、選ばれてあるということに自信を持って将来を見つめていくことが大切であるということを言わせていただきたいと思います。
*OSCE
複数の試験場所(ステーション)を用意し、それぞれの課題のもとで臨床能力のさまざまな側面を評価する方法。受験者は医師役を演じて、課題に沿って患者に対して医療面接や身体診療などの実技を行う。課題にはあらかじめ評価基準が定められており、受験者は各ステーションを回って多角的に評価を受ける。OSCEの利点は臨床医のパフォーマンスを直接評価できること、最大限客観的な評価が可能であること、医療面接・身体診察・コミュニケーションなど広い範囲の臨床技術評価が可能であることとされる。一方、大きな欠点として、多大な人的・金銭的・時間的資源を要することがあげられる。
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