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がん診療日誌 – その9

山色空濠として雨も亦た奇なり

レントゲン技師や臨床検査技師は、
医療イコール医学の世界では従属的な位置に置かれてきた。
しかし、医療が”場“の営みであると分かったとき、
その場その場で最もふさわしい人が主役になる。
そしてポテンシャルを高め、互いの場が絡み合ったとき、
患者は病を克服し、当事者も癒されていく。

帯津良一 (おびつ・りょういち)
1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、現在帯津三敬病院院長。専門は中医学と西洋 医学の結 合によるがん治療。世界医学気功学術会議副主席などを務める。著書に『がんを治す大事典』(二見書房)など多数

今年に入ってから、いつ、どこの会場であったか忘れましたが、講演のあと、こんな質問がありました。

「私は、臨床検査技師です。超音波診断(エコー)を担当しております。一人の医療者として情熱をもって仕事をしているつもりですが、いつもふっとさびしくなることもあります。それは患者さんの治療に直接関わっていないというさびしさです。つまり医師や看護婦のように患者さんがよくなっていくことに直接貢献しているという手応えがないということなのです。

医療者として、もっともっと患者さんとの関係を深め、手応えをもって仕事をするために私はどうしたらよいか、ということを伺いたいと思ったのです……。」
20代と思われる女性です。

私は次のように答えました。
「お気持ちは十分に分かります。
しかし、そんなふうに考えるのは、あなたが従来の医療観から脱しきれていないからだと思います。
これまでの日本の医療はイコール医学でした。極端な言い方をすれば、医学だけが存在して医療は存在していなかったのです。だから人々は医学をもって医療としていたのではないでしょうか。

 

医学は学問であり、学問が生み出したテクノロジーです。だから医学が医療のすべてであるとするならば、知識と技術が医療の中心ということになりま す。主役は当然、知識と技術を持ち合わせた医師ということになり、これを直接補佐するのは看護婦で、レントゲン技師や臨床検査技師はパラメディカル (PARA-MEDICAL)と呼ばれていました。

パラメディカルとは辞書によれば、『医療補助的な、医療隣接部門の』となっています。つまり、一人前の医療者と見なされていないのです。人を馬鹿にした話です。しかし、医療イコール医学の世界では仕方のないことだと思います。

いくら医療イコール医学の世界でもパラメディカルとは人を馬鹿にした話だと誰かが思ったのでしょう。いつの頃からかコメディカル(COMEDICAL)と呼ばれるようになりました。コ(CO-)とは『共に』という意味ですから、隣接した、あるいは従属した位置から仲間に入ったということで、少なくとも身分的には上がった感じですが、医療イコール医学のままでは内実は少しも変わりません。だいいち、コメディカルを辞書で引いてみてください。『喜劇風の』とか『滑稽な』とか書いてありますよ。どうにもなりません。

医療の本来の意味が分かれば、これはたちどころに氷解することなのです。
医療はイコール医学ではありません。医療とは”場“の営みなのです。患者、家族、友人たち、そして医師、薬剤師、看護婦、心理療法士、鍼灸師、レントゲン技師、臨床検査技師、栄養課の職員、事務職員に至るすべての医療者がつくる”場“そのものが医療なのです。そして、その場の当事者一人ひとりが自らの場のポテンシャルを高め、かつ互いの場を絡み合わせていくことによって、その医療の場のポテンシャルを高めていく。その結果、患者は病を克服し、当事者すべてがそれぞれ癒されていく。これが医療なのです。医学はこのことを少しでも能率よくおこなうためのテクノロジーにすぎません。

そして、医療という場の営みにおいては、固定した枠組みなどありません。清水博先生(金沢工業大学)の言われる『リアルタイムの創出』です。その場その場で最もふさわしい人が主役になり、ほかの人は脇役に徹するのです。医師がいつも主役ということはあり得ません。臨床検査技師のあなただって、ある時は主役です。まして、エコーを操作していると時はまちがいなく主役です。


さびしがっている暇はありません。手に持ったプローブ(PROBE 探触子)から患者さんの体内に”気“を注ぎ込むのです。目と心は画面に集中しているの にそんなことができるわけがないと言われるかもしれません。たしかに最初はむずかしいでしょう。しかし、患者さんに良くなってもらいたいという祈るような 気持ちでいつもプローブを握るように心がけることと、日々の生活のなかで、自らの”気“を高める、すなわち、内なる生命場のポテンシャルを高める努力を怠 らないようにすれば、こんなことは簡単にできるようになりますよ。」

私の病院の超音波診断担当の技師は現在で何代目かになりますが、ほとんどの人がこのようなことを理解してくれていたと概ね、満足しています。しかし、これ も場の営みなのです。私自身をはじめ、病院全体のポテンシャルと比例しています。病院開設間もない、まだ病院としてのポテンシャルが低い頃は技師もそれな りに未熟だったように思います。

外来の場合は、患者は来院してすぐに予約していた超音波の検査を受けて、そのリポートとともに診察室に現われます。そのときの患者の表情を見れば、技師の”気“がプローブからきちんと患者の”場“に入ったかどうか判断できます。

どんな検査であれ、多かれ少なかれ不安はつきものです。本当に安心するのは結果が出て、異常がないということを医師から説明を受けたときですが、検査を受けただけで、まだ結果の説明のないうちから、すでに安堵の表情になっているということは、これは技師の”気“が入ったということなのです。これこそ”場“の絡みです。ときに、技師が余計なことを口走って、患者を不安にさせることがあるようですが、これでは”場“のポテンシャルを上げるどころか、反対に下げてしまいます。

Iさんという技師がいました。当時20代の後半といったところでした。今は結婚して関西の方で暮らしています。すらりとした物静かな美人でした。超音波検査のプローブを捜査中はもちろん、その前後も口数は多くはありません。それでいて、検査が済んで私の前に現われる患者は皆一様にほっとした表情をしています。互いの”場“が絡んで、彼女の”気“が入っているのがよくわかりました。


その上に、彼女の書く検査の所見のリポートがすばらしいのです。小さめのきちんとした字で簡にして要を得ています。名文と言ってもよいでしょう。彼女のリ ポートを見ながら、いつも蘇東坡(1036~1101)を思い出したものです。蘇東坡は本名蘇軾。北宋の詩人で文章家です。不老不死の研究家としても有名 で、彼の気功に関する著作はわが国の養生法にも大きな影響を及ぼしています。

さらに、地方官を歴任し、杭州在任の印が西湖の蘇堤として人々に愛されています。その仕事の中で、彼が上司に呈出する報告書があまりにも名文なので、受け取った上司が、その報告書を何回も読み、いつまでも手許に置いておくので、仕事が滞って困ったと言われています。

西湖を詩った「湖上に飲む、初めは晴れ後雨ふる」という七言絶句の中の、
「山色空濠として雨も亦た奇なり」という言葉が大好きです。

蘇東坡の名文もIさんのそれも天性のしからしむところなのでしょうが、少なくともIさんの名文には、Iさんの”場“のポテンシャルが加わっていたことはたしかです。