メニュー 閉じる

がん診療日誌 – その8

今日はいい日だなあ

がんの手術に追い打ちをかけるように二人の患者を襲った
くも膜下出血と肝膿瘍の手術。
そしてそれから五年。
二人の患者に笑みが浮かぶ。
しかしその笑みには、家族や医療スタッフの支え、
食事療法・漢方薬・気功……と、
自己治癒力を高めるためのそれぞれの歴史があった。

帯津良一 (おびつ・りょういち)
1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、現在帯津三敬病院院長。専門は中医学と西洋 医学の結 合によるがん治療。世界医学気功学術会議副主席などを務める。著書に『がんを治す大事典』(二見書房)など多数

「先生! あれから今日で丸五年ですよ。夢のようだわ。いまもロビーでY婦長さんにお会いしたのでお話したところなんですよ。Y婦長さんも喜んでいました。本当にうれしいですよ。これも先生はじめ病院のみなさんのおかげです。先生、ありがとう。」

満面の笑みです。
胸にぐっとくるものを感じながら、カルテを繰ってみました。

「本当だあ! ちょうど5年ですね。早いもんだなあ。」

私もうれしくなりました。仕事中に疲れがさっととれる瞬間です。
Yさんの5年間は本当に苦労の連続でした。地元の病院での乳がんの手術。
術後間もなく左鎖骨上窩のリンパ節への転移。放射線治療。そのあとなんとか再々発を防ぎたいとの思いで私の病院にやってきました。

本州の涯てに家族を残しての入院です。ひとりぼっちでさぞかしさびしい思いの日々だったと思います。それでも気功にイメージ療法に漢方薬にと挑戦を重ねながら少しずつ明るさを取り戻していきました。


うまくいきそうだなとYさん自身も私たち医療スタッフもほっとしはじめた矢先です。好事魔多しというのでしょうか、まさに晴天の霹靂のような「くも膜下出血」です。意識はまったくありません。さっと診断をつけて、近くの大学病院の脳外科に転院です。

手術をするにはしましたが、術後の状態もはかばかしくはありません。死線をさまようという言葉をつい思い出してしまうような状態を何日間も続けたあと、なんとか危機を脱しました。しばらく術後のケアを受けたあと、また私の病院に帰ってきました。

意識は完全に回復しています。手足の運動も普通です。ただかなり高度の視力障害が残っています。ベッド上あるいはベッドの周囲のことは自分でできますが、別棟にある気功の道場に行くことはとてもおぼつかない感じです。

ベッド上でもできる気功の少林気功の塔指通経功からはじめました。もちろん漢方薬もハリ灸も食事療法も併せておこないました。少しずつ視力ももどってきました。気功の道場にもなんとか1人で行けるようになりました。1人でと言っても、ご主人の協力もすばらしいものでした。幸いにも、この頃、転勤で一家は東京都内に住むようになっていました。ご主人は3日にあげず病院に現われては気功もいっしょにやっています。いちばん大事な時期に、家族のサポートが十分に得られたことは本当に不幸中の幸いだったと思います。

見事に退院にこぎつけました。がんのほうの再発もみとめられませんでした。
退院後は自宅から近いということと、私が顧問をしているという理由で、文京区のアジア文化会館の気功教室へ通いはじめました。

ここで私は2ヶ月に1度、気功に関する講演をしています。一定はしていませんがウィークデイの夜七時から1時間30分の講演です。このときは必ずYさん夫妻が出席しています。しかもいちばん前列の席でにこにこしながら聴いてくれます。


そうして5年経ったのです。あれからというのはくも膜下出血のことなのです。乳がんという病気はまだまだ油断できません。5年で無罪放免というわけにはいきません。それでも吹き荒れた嵐が去って一区切りという感慨が湧いたとしても当然のように思えます。

診察をしながらの楽しいやりとりが済んでYさんと入れ替わりに診察室に入ってきたのはSさんです。
50歳の女性、大腸がんの患者さんです。

そうか5年か、とYさんのことを反芻しながら、Sさんのカルテを見るとこれも結構な厚さです。ひょっとしてSさんも、とカルテを開いてみて驚きました。なんとSさんも、手術後ぴたりの5年なのです。

「Sさん! 手術してからちょうど5年ですね。」
「ええ、そうなんです。」

こちらは満面の笑みではなく、はにかみ笑いです。
もっともSさんの笑顔はいつもこうなのです。やや憂いを含んだ笑いなのです。
Sさんがはじめて私の前に現れたときはもっともっと悲しげでした。

某大学病院で大腸がんの手術をうけ、しかも、術後2週間ほどして、今度は肝膿瘍を併発して手術です。単純な術後合併症だったのか肝転移によるものだったのかわかりませんが、進行度は4と言われたということですから、再発の不安に脅えたとしても不思議はありません。

ご主人がこれまた不安な面持ちでぴたりと寄り添っています。

食事療法、漢方薬、気功でいくことにしました。気功は10種類ほどの功法を用意してあり、そのうちのどの功法を主として続けていくかは患者さんの選択に任せています。それは、功法に優劣なし。心を込めてやりさえすればどの功法も同じというのが私の持論だからです。

最初はいろいろな功法の練功時間に姿を見せていたSさんは、いつの頃からか、火曜日の午後六時からの私の担当する調和道丹田呼吸法に的を絞ってきました。

それでも、はじめのうちはSさんの表情はいつも同じようにどこか悲しげでした。いっしょに呼吸法に励むご主人の表情からも不安のかげがちらちらと見えます。


それというのがいろいろな症状が次々と起こってくるからなのです。息苦しさ、動悸、胃部不快、下腹痛などが入れ替わり、立ち替わり現われます。血液検査も 不安定です。肝機能や膵臓酵素のアミラーゼ値が時に高い値を示すこともあれば、腫瘍マーカーもやや高目になることもあります。

私の病院外での講演にもよく顔を出していました。演壇の上からSさんんを見つけることもありますし、あとで本人の口から言われることもあります。いずれにしても、自然治癒力を信じ、これを少しでも理解しようとする姿勢がよくわかります。

いつ頃からそうなったのかよく憶えていませんが、呼吸法の常連になってしまいました。ほとんど休みません。ご主人が付き添ってくることも着実に少なくなってきました。不安が消えてしまったのでしょう。Sさんの顔から憂いが消えていることが多くなってきました。診療室でも、症状を訴えることが目に見えて減ってきました。

「大腸がんの場合は、5年経てば、ひとまず治癒したと見なすことができます。今飲んでいる漢方薬はどうしましょう。今日を一区切りとして止めましょうか。」

「いえ、まったく再発の不安が無くなったわけではありませんし、いまの体調の良さに漢方薬が役立っていることはまちがいないと思いますので、もう少し続けさせてください。」

「呼吸法はこれまでどおりに続けてくださいよ!」
「ええ、もちろんです。1週に1回呼吸法をやらないとなんとなく息苦しくなってくるのです。」
Sさんはもうすっかり自然治癒力を高める生活術を身につけてしまったようです。